【Step7】平将門の足跡を辿りながら〜雲取山
「東京都で一番高い山はどこでしょう?」と聞かれてどのくらいの人が答えられるのかと言うのは気になるところだ。山に登る人なら当たり前のように答えられるのだろうが、登山が趣味でもなければそんな山は知らないと言われても無理はない。大都会東京のビル群のイメージが強烈過ぎて「2,000mを超える山がある。」なんて思いもしないだろう。
今回は東京都最高峰に登りたいと言う友人と新緑の森歩きを楽しみながら、奥多摩の雲取山へ行く。
雲取山について
概要
深田久弥の日本百名山にも数えられている雲取山(くもとりやま)の標高は2,017m。東京都、埼玉県、山梨県と一都二県にまたがる山で、都内で2,000mを超える山は雲取山だけであり、また奥多摩で日本百名山に選ばれているのもこの山だけである。
深田久弥は著書“日本百名山”において雲取山を、「煤煙とコンクリートとネオンサインのみが、いたずらにふえていく東京都に原生林に覆われた雲取山があることは誇っていい」と評した。
多彩な登山ルート
雲取山は奥多摩山域でもかなり深いところにあり、そこに至るルートも様々ある。
①鴨沢ルート
雲取山への最短ルートと言われる、鴨川バス停から雲取山の往復コース。途中七ツ石山に登る事もでき、健脚が日帰りするのはたいていこのルート。それでも一般的なコースタイムは往復10時間はかかるし、歩行距離も20kmを超える。殆どの人は途中の七ツ石小屋や山頂付近の雲取山荘に宿泊し、一泊二日でこのルートを楽しむ。
②三条の湯ルート
鴨沢の少し先のお祭バス停から登るルート。このルートの最大の魅力は何と言っても温泉宿“三条の湯”に泊まれることだ。お祭から林道を歩いていくと辿り着く三条の湯はちょうど雲取山の中腹あたり、標高1,103mにある山小屋で、この山域唯一の温泉宿である。「東京の山で温泉を楽しめる」ことが嬉しい一泊二日の人気のコースでもある。
③三峰ルート
雲取山の北側、埼玉県の三峰口からはじまり、三峯神社、白岩山を経て雲取山を目指すコース。三峯ルートは日本武尊の伝説やお犬さま信仰が色濃く残るパワースポットの三峯神社をはじめ、雲取山周辺の歴史や信仰に触れる機会の多いルートだ。
④その他
他にも、奥多摩最深部を巡る長沢背稜ルートや奥多摩駅と雲取山を結ぶ石尾根ルートなど、多彩なルートが開拓されてある。が、いずれも長い。日帰りでと言うよりは、一泊二日、二泊三日の縦走登山で楽しむコースかもしれない。
山行記録
小袖登山口(7:16)→堂所(8:42/8:44)→七ツ石小屋(9:21/9:34)→七ツ石山(9:48/9:56)→奥多摩小屋跡(10:41/10:43)→雲取山(11:21/11:45)→奥多摩小屋跡(12:34/12:35)→堂所(13:57/13:58)→小袖登山口(15:05)
※()内左が到着時間、右が出発時間。
駐車場から鴨沢コース往復
友人に車を出してもらい、朝5時に九段下を出発した。友人が「雲取山に行ってみたい。」と言うので、それなら早い方が良いし、車があるなら小袖の駐車場まで上がったほうが楽だと答えた。「でも、結構長いよ?」と何度も何度も確認する自分に、内心乗り気でない気持ちが透けて見えているようで我ながら可笑しい。
何せ長い。とにかく長い。平均的なコースタイムで10時間かかる道のりを寝不足で歩くのは相応に覚悟が必要だ。ただ一方で、最近長い距離を歩くのを意識的に控えていたこともあってそろそろ歩かねばと考えていた節もあったので、友人の要望は僕にとっても都合が良かった。とにかく行ってみるか。そんな気持ちで山へと向かった。
丹波山村営駐車場には7:00前に到着。40台ほど停められるそうだから空いているだろうとたかを括っていたが、実際はギリギリだった。日曜日に駐車場に止めようとする場合、土曜日から泊まりで入山している人がいることも考えて、時間に余裕を持って来ないといけないなと反省。
駐車場には泥落とし用の水場もあるし、整備されたトイレもあり設備は充実していた。ボランティアが日に何度か見回りに来てくれているようだ。
平将門の面影を追う(小袖登山口〜七ツ石山)
小袖登山口から入山してからは暫く緩やかな登り坂を歩いていく。進行方向右手に小袖山と言うピークもあるようだが、メインルートからは外れて確認しづらい。 歩いて行くと所々畑跡や廃屋があり、かつての生活感がうかがえる。僕が山を始めた当初に良く雲取山に来ていた頃には、廃屋もまだ建物としての原型を留めていたが久しぶりに見たら壁は剥がれ、戸も殆ど崩壊していた。いずれ廃屋自体も潰れて、この道の目印も一つ無くなるだろう。そう言う所に時の経過を感じてしまう。
以前来ていた頃には気にもしなかったが、鴨沢から七ツ石山までの道は平将門迷走ルートと呼ばれているらしい。鴨川バス停から七ツ石山までの各箇所に、説明が書かれた立て看板が建てられている。
正直山の中でその名前を聞くのは遠慮したいと思った。日本三大怨霊とまで呼ばれている平将門という名前に対するイメージが悪すぎる。中学校の教科書では、朝廷に盾突き晒し首にされたと言うことは勉強した。そんな人が迷走した山と聞くと少し怖くなるが、どうも看板を順に読んでいくと少し認識が違うんじゃないかと思うようになった。
平将門迷走ルートとは、平安時代中期に朝廷への謀反の罪で追われた将門が逃走の際に使った道と言われているが、そもそも平将門がどういう人物だったかという点を知る必要がある。
平将門の足跡を求めて
鴨川バス停付近の立て看板には、平将門迷走ルートのモノローグとしてこんな説明が書かれている。
これを読む限り、将門を『平将門の乱を起こした反逆者』とだけ見てしまうのは尚早の様に思う。
祖父の遺産を巡り関東の豪族同士で争いが絶えなかったこと、争いに負ければ死という世の中で生き残ることで結果的に勢力を拡大していったこと。また関東では少なからず朝廷の年貢取り立てに対する不満が民衆の間であり、平将門はそれを代弁する代表者であった側面もあったことを念頭に置かなければならない。
教科書の一文からは『朝廷側の視点』でしか歴史を語られておらず、敗北した将門は悪として描かれているが、そこに別の側面があることも史実として見てみるべきだ。
この迷走ルートの立看板は面白い。全部で10ある看板は、それぞれ【将門 丹波山に来たる】【お祭と福寿寺】【釜場タワ】【小袖】【茶煮場】【風呂岩】【堂所】【紫久保】【七ツ石神社と七ツ石山】【大血川の悲劇】【モノローグ】として各所の説明やエピソードが書かれている。時間に余裕のある登山なら、それぞれで足を止めて物語を読むのは良い休憩にもなるし楽しいだろう。全てを読み終える頃にはきっと、平将門に対するイメージも変わってくるに違いない。
七ツ石山から雲取山へ
七ツ石山から雲取山までは気持ちいい稜線歩きが続く。ブナ、カラマツの森と急坂をいくつか越えれば、避難小屋が見えてくる。最後のもうひと頑張りで坂を登りきれば、もう山頂だ。
あいにく雲取山の山頂からはどの山も見ることが出来なかったが、当初の予報ほど悪天候にはならずホッとした。台湾から語学留学に来ているという女性のソロハイカーと暫し談笑した後、下山を開始した。
滑落事故現場と遭遇
仕事明けの僕にとっては、眠気という意味で登りよりも下りの方が辛い。幅広の稜線でウトウトしてしまったことも反省だが、奥多摩で注意すべきなのは稜線から下ったところから続く巻き道だ。
奥多摩の巻き道は細く、足元が切れて急斜面になっていることが多い。アルプスの岩稜帯のように滑落したら露骨に崖の下へ…と言うわけではないが、奥多摩も一歩踏み外せば谷底へと言うリスクはある。
友人とふたりで下山していると、前を行く友人がふと足を止めた。何事かと思って前を見ると、友人が下を見て心配そうな顔をしていた。視線の先には斜面を登ってくる登山者の姿が。そういう趣向の人かと思ったが、顔の裂傷を見てこれは事故だとわかった。
幸い滑落した登山者は自力で這い上がり、その後しっかりとした足取りで下山出来たようだ。「大丈夫ですか?」「怪我の手当は必要ですか?」と、必要最低限の質問しかできない自分が心許なく思った。ファーストエイドは持っていても、それを使えるかどうかは別だ。山へどんな道具を持っていくか、どういう意識で山を歩くか、リスク管理について改めて考えさせられる。ここでウトウトの僕もさすがに覚醒し、友人と二人で無事下山した。
下山して
以前は雲取山と言うとひたすらトレーニングで歩くということばかりだったが、別な視点から見てみると植生や歴史にも大きな魅力があるなと感じた。
「往復10時間、20kmは長いよなぁ。」とばかり思わず、その行程を楽しむに足る魅力に気付けることが奥多摩を楽しむコツなのかもしれない。
平将門、そういう人だったのか。神田明神や成田山新勝寺との因縁を調べてみるのも面白いし、ここから派生して千葉の歴史を深堀りするのも良い。
雲取山、俄然また行きたくなってきたな。
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