【Step16】一年に数日だけの特別な夕日【高尾山/東京都】
《山行日》12/22㈰
《行き先》城山〜高尾山
《打上げ》やまかし(八王子駅より徒歩5分)
毎月一回開かれるお店の山の会。今月は年内最終山行で城山から高尾山を歩く。目的は高尾山から見るダイヤモンド富士。富士山の向こうに沈む夕日を皆で眺めようというわけだ。今回は新規参加者も多く、いつにも増して新鮮な気持ちでの山行になる。
◆コース紹介◆
JR相模湖駅に集合してバスに乗り、千木良バス停にて下車。東海道自然歩道を歩き城山へ登る。城山茶屋で休憩した後、高尾山へ続くアップダウンを15:30頃の到着を目標に歩く。
高尾山到着後は、16時過ぎの日没まで待機。夕日が富士山の向こうに沈むダイヤモンド富士を観賞してから、1号路を使って下山する。
《距 離》8.8km
《時 間》約5時間
◆山行記録◆
相模湖駅集合/出発
午前11:30の集合時間にJR相模湖駅に集合した。天気は晴れ、乾燥気味でやや風ありというコンディションだが、のんびり歩くにはちょうどいい気候だ。今回の参加者は総勢12名と、いつもより少し多い。そのうち3名が初めての参加ということもあって顔ぶれは新鮮だ。
相模湖駅には思い入れがある。というのも、僕達の山の会で初めて歩いたのも高尾山〜城山で、その時に下山して打ち上げをしたのがここ相模湖駅だったのだ。あの時はまだ勝手も分からず参加者の皆さんも不自由が多かったろうが、下山後の打ち上げは初回から良かった。駅前の『カドヤ食堂』と言う店だった。
集合の際に2名、常連さんが駅の改札からではなく向かいの喫茶店の方から歩いてきた。「早く着いたのですか?」と聞くと、「カドヤ食堂が懐かしかったから、早く来てランチしようと思ったんだよ。」と言う。カドヤ食堂の方を見るとまだ暖簾が掛かっておらず、不思議に思って聞いてみた。
「それがさぁ、11時開店だと思って行ったら、開店時間11:30だったのよ。」と常連さんは残念そうに言った。結局食べられなかったそうだ。そんな話を聞いているうちにバス停に向かう時間になる。バスに乗り込む際にもう一度カドヤ食堂を見ると、いつの間にやらもう暖簾が掛かっていた。
東海道自然歩道を城山へ
千木良バス停から出発するとすぐに、登山口に建てられた富士見茶屋に着く。富士見茶屋の傍に立つ一本桜が有名で、ここに桜が咲くと素晴らしい景色が見られる。あいにく茶屋のシャッターには「休業中」の張り紙が張ってあって、それがいつまでなのかはわからない。
紅葉も終わって冬枯れの木立の中を歩いていく。高尾山域もすっかり冬模様で、木々を縫って乾いた風が通り抜けていくとさすがに寒い。「寒いねぇ」と言いながらも歩いていけば自然と体は温まるもので、温まってうっすら汗ばんだと思ったそばから冷たい風が体を冷やしていく。
東海道自然歩道は、いわゆるロングトレイルの先駆けのような存在らしい。オフィシャルサイトによると以下の通り。
ロングトレイルのような『時間をかける旅』は好きだ。僕達が開業する前に歩いたカミーノ・デ・サンティアゴがそうであったように、僕が学生時代に自転車で東海道を旅したように、出来ればゆっくりと旅がしたい。東海自然歩道も調べてみたくなった。いつか、のんびりと時間をかけて大阪まで歩いてみるというのも悪くないかも知れない。
初参加の方たちがどのくらい歩けるのかと言うのは手探りだったが、皆さんよく歩く。コースタイムも順調で、城山までなんなく到着した。城山はいっそう風が強まって時折砂埃も舞うほどだったが、日当たりは良くたくさんの登山者が休憩に使っていた。城山茶屋の名物なめこ汁を飲んで温まる。週末の賑わいは少し嬉しい。
「今年はどこどこに登ったね。」
「前回来た時はこうだったね。」
この活動ももうじき三年を終えるとなると、皆の山行の記憶もいくらかストックされてくる。共通の思い出が増えれば思い出話も盛り上がる。こういう機会がもっと増えたら良い。社会人ともなると年代も様々な趣味の集まりという機会はそう多くないからこそ、『酒場の仲間』で歩く旅は良いと思う。時にまじめに、時に面白可笑しく珍道中であっても、何だか青春しているようで楽しい。
高尾山でダイヤモンド富士を見る
城山から高尾山にかけて歩く。時間が経つにつれて日が傾いて、見える富士山の雰囲気が変わっていくのが分かるのがこのコースのいいところでもある。初参加の皆さんもこれは絶景だと終始感動してくださったのも嬉しい。
高尾山に着くと山頂は既にすごい人だかり。皆ダイヤモンド富士を待っているのだ。クリスマス前ということもあって色んな被り物をしている若者もちらほら見られるのも高尾山ならではの光景かもしれない。
あれだけざわついていた山頂の人々も、日没の瞬間には静かになった気がする。カメラを構えて写真を撮る人、黙って見つめる人、この数分間の過ごし方は様々だ。僕はこの日没の時間がとても好きで、このために山に来ることもあるくらいだ。色々考え事をするのにも良いし、逆に何も考えずぼーっとしているだけでも良い。「これをやらなきゃ!」という決まりごとが無いことが気を楽にさせるという感じだろうか。
日が沈むと、周りが一気にざわつき出す。我先にと帰りだす人々を横目に、もう少し夕暮れの時間を楽しんでいたいと思う。「夕暮れはここからが良いんだよなぁ」とつぶやくと、それを聞いていた隣にいた女性が「ねぇ!なんかここからが良いらしいよ!」と言って友達を引き留めていた。何か悪いなと思ったけど、まぁ、混雑は避けられるよきっと。
皆で夕日を見るということ
出来れば、こういう節目のイベントには沢山の人に参加してもらえたら嬉しいなと思う。それは個人的に『夕日を見る』ことが好きだからということもあるが、『皆で夕日を見る』という行為自体に特別な意味があると思うからだ。これは山を登頂したという達成感や特別感とは違う、もっと何か根本的に人の情緒に訴えかけるようなことだと思っている。
古来から『夕日を見る』という行為は特別なこととして受け取られていたそうだ。浄土宗では『日想観』という修行法があるらしい。西の空に沈む夕日を見つめて極楽浄土を観想するという修行なのだそうだ。仏教の理想郷とされる極楽浄土は西方にあると言われていて、「静かな心で夕日を見つめることで自身の内面と向き合おう」という修行法だとか。
日想観には知識や経験が必要無く、日没の時間という時の限定のみで場所も選ばないシンプルな修行として修行僧だけでなく一般人にも浸透しやすかったという歴史がある。日想観は十六観(日想観、水想観、地想観、宝樹観、華座観、像観、真身観、観音観、勢至観、普観、雑観、上拝観、中輩観、下拝観)
という瞑想法のうちの一つと言うから、夕日を見ることもそのうちの一つに過ぎないのだろうが、僕達が生まれるずーっとずーっと昔から、人は夕日を見て何かを思ってきたのだ。
宗教観を抜きにしても、自然神崇拝が根底にある日本人は原始から太陽を見て何かを考えてきたと空想すると、この『高尾山で夕日を見る/皆で夕日を見ている』ということが言葉にできない価値があると思わざるを得ない。毎回上手く伝えられないのだが、それを自分の周りの人たちに伝えたい、共有したいという想いなのだ。
下山後は八王子駅に直行して、居酒屋『やまかし』にて忘年会だった。お刺身、焼き鳥、もつ鍋とフルコース頂いて、下山メシも含めて大満足の山行だった。