【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】No.40
巡礼33日目
サンティアゴ・デ・コンポステーラ滞在
滞在中、数々の再会が訪れた。その一つ一つに喜び、涙した。再会は同時に別れを意味した。いや、それは別れではなくそれぞれの旅立ちだったのかもしれない。いずれにせよ、僕達は再会のひとときをコーヒーで、あるいはビールで喜び合った。その瞬間を楽しむことこそが、何より幸せだと皆知っていたのだと思う。
■祝福の雨
朝、久しぶりにゆっくり起きた。
もう、早起きして歩く必要もないのだ。
チェックアウトの11時までのんびりして、正午のミサの前に巡礼事務所に向かう。おそらく到着したであろう井ノ原氏をお祝いするために。
井ノ原氏はやっぱり到着していて、既にコンポステーラ(巡礼証明書)を手にしていた。にこにこと証書を眺める彼を背後からそっと近付き、おめでとう!と声をかけた。ささやかなサプライズだった。
彼のカミーノにかける想いは聞いていた。パウロコエーリョの【星の巡礼】を読み終えたその日から始まった彼の巡礼の旅は、足かけ8年を経てこの聖地まで辿り着いた。カミーノへの憧れは、きっと並々ならぬものだっただろう。それは彼の言葉から伝わっていた。だからこそ、彼の到着は自分の事の様に嬉しかった。人の幸せを祝福できることがこれほど幸せだと感じることは、人生の中でもそう多くないだろうな。そう思った。
彼と妻と僕の三人で正午のミサに出た。たくさんの巡礼者たちが一同に介していたが、残念ながら大聖堂は改修工事のため、その日のミサはサンフランシスコ修道院で執り行われた。
静かで荘厳とした修道院でのミサは、厳かに、淡々と進んでいった。人々は祈り、司教は旅人に祝福の言葉を贈った。言葉こそ全ては伝わらなかったが、僕達は祝福に包まれていた。仲間と共に喜び合い、達成感に満たされた巡礼者の至福の時だった。
外へ出ると雨が強くなっていたが、少しも嫌にはならなかった。これは祝福の雨で、この先の自分達の行く末を決める予言の雨だった。
■西の果てを目指すか否か
僕達はこの日、中心街から少し離れた、街を見下ろす高台の宿を取った。
生憎学生の旅行のため、ドミトリーは無かったが、宿は代わりに少し値引きして個室を用意してくれた。スペイン語の理解が浅い僕達は三人でひとつの個室かと思っていたが、実際は一人ひとつずつ個室が与えられた。思わぬ厚待遇に僕達は喜んだ。三人とも、これがスペインに来て初めての個室宿泊だったかもしれない。
ところで、巡礼者たちは大抵の場合この先ふた手に別れる。
【フィステーラへ行く者】と【家に帰る者】
僕と妻は、当初西の果てフィステーラまではバスで行く予定だったが、考えた。
「ここまで歩いてきて、最後にどうすることが自分達の旅の終わりに相応しいか」
終わり方の美学を考えるのは日本人らしい考え方かもしれない。
そして、僕と妻は答えを出した。
「フィステーラまで行かない」と言う答え。
歩くことに意味を見出だした僕達の旅は、【今回は】ここまでだ。今回の旅の終着点は、サンティアゴにあると言う結論。バスは、最後まで使うことはなかった。
同時に、それは旅の続きを意味していた。
僕達の巡礼の旅には続きがある。フィステーラはいつか訪れる。それを決めたとき、僕達の巡礼は【一生に一度のもの】ではなく、【生涯をかけて続くもの】になった。
帰国した今も、旅は続いているのだ。
■約束の乾杯
約束の19時に、大聖堂前の広場に向かった。
「俺は明後日到着する。19時に大聖堂前の広場に集まろう。そして、皆で乾杯だ」
メリデで交わしたスティーブとの約束だ。
待ち合わせ場所には大勢の仲間達がいた。ライアン、ジュリオ、スティーブ、クラウディアちゃん、井ノ原氏、ももちゃん、皆で再会を喜び、乾杯した。
「俺は、君達が会う度に笑顔で挨拶してくれたのがすごく嬉しかったんだ」
そう言ってくれるスティーブの言葉が、僕達は嬉しかった。
ジュリオは相変わらず足が痛そうだった。お互い足が痛かったけれど、それでもお互いやりきったのだ。彼はこのあと日本に来る。その時は必ず連絡してね。日本を案内するからと、僕達は固く約束を交わした。
約束を交わしたにも関わらず、ジュリオが僕の存在を忘れて女の子たちと写真撮影に勤しんでいるのを目の当たりにしたときはイタリアーノの真髄を見たと思った。
ただひとつ心残りなのは、ジェイソンステイサム似の彼に会えていないこと。実は僕の足が一番辛いときに励ましてくれたのは妻と彼だったから、その事についてお礼を言いたかったのだけど…いつの間にか離れてしまったようで、僕達は会えずにいた。それだけが心残りだった。
■そして全てのピースが揃った
帰り道、僕は妻とももちゃんと三人で歩いていた。旅の始まりの街、サンジャン・ピエ・ド・ポーで、初めて道を歩いたときと同じように。
ももちゃんもまた、妻と同様強い女性だった。きっとたくさん経験をしたのだろう。初めて会った時よりも、心なしかたくましく見えた。
そんなももちゃんが突然言い出した。
「今、ジェイソンステイサムいましたよ!」(名付け親はももちゃんだった)
僕達は驚き、そして追い掛けた。
土産物屋にはいると、彼はいた。ガールフレンドであろう女性と笑顔で買い物をしていた。
瞬間、僕は涙が溢れてしまった。
あぁ、みっともないなぁと思いながら、しかし涙を堪えることは出来なかった。
もう二度と会うことは出来ないだろう。感謝の言葉も伝えられないだろうと思っていたから、彼に会えたことで、僕のカミーノを構成する全てのピースが揃ったのだった。
「有り難う。あなたの言葉に助けられた」
僕が、そう伝えると、彼は言った。
「ゴールできて良かった。足はもう良いのかい?」
彼は最後までこちらを気遣い、そしてお互いに連絡先を交わした。この時に、ようやく彼の名がミゲルだと言うことを知った。
入ってくるなり泣き出した日本人をみて、土産物屋の親父も最初はいぶかしんでいたようだったが、事態を把握すると笑顔になり、拍手までしてくれた。全くどこでどんなドラマがあるか分からないのがカミーノだが、それにしても土産物屋で再会するとは思わなかった。
■胸がいっぱいだ
雨が打ち付けられた石畳の道は、街灯の光を反射して道を行く先を照らし出していた。
日が暮れた街は、雨のせいもあるだろうがとても静かだった。旅人たちの宴は夜通し続くだろうが、サンティアゴの日常は既に一日の終わりを告げていた。
この旅の目標を、【自分と向き合い、妻と向き合う】と決めていたことを思い出す。
大切なものは見付けられた気がする。
大切な仲間と、大切な妻がいて、
自分の弱さに向き合った。
それらを理解しようとする姿勢と心の在り方
そして、道と、それに携わる人々
色んなものを見ることができたなぁ。妻への理解も少しは深まっただろうか。
自分が思っていたよりも妻は強くて、
自分が思っていたよりも自分は弱くて、
誰かの笑顔や行動、言葉に助けられながら日々を生きている。
人の営みの上でもっとも基本的で大切なことは、道の上にあった。語り出せばもっと細かく語ることはできるが、それはまた別の機会に取っておこうと思う。
アルベルゲに着くと少し離れた中心街の灯りが良く見えた。まるで巡礼者たちの魂の灯のような光は、やはり夜遅くまで輝き続けた。