【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】19.5
巡礼11日目 後半
ブルゴス(Burgos)
■サンタ・マリア大聖堂
ブルゴスと言えば、一番の見所は大聖堂。
ここまでのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道にはロマネスク建築が多かったから、ブルゴスの大聖堂には「あれ?」と言う違和感があった。
気になって調べたら、どうやら【ゴシック様式】と呼ばれる建築様式の建物のようだ。
ゴシック様式は、ロマネスク様式の後に発展した文化で、時代としては12世紀以降だと言う。
ロマネスク様式をより洗練させた建築で、あの、パリのノートルダム大聖堂もゴシック様式にあたる。
※これはノートルダム大聖堂(パリ)焼失前の写真。
ロマネスク様式よりも壁が薄く、背が高い。尖塔アーチと呼ばれる尖った塔と、フライングバットレスと呼ばれる梁で重さを分散させるのだとか。
また、このブルゴス大聖堂には英雄エル・シッドとその妻の墓があると言う。エルシッドは、レコンキスタで活躍した人物で、叙情詩「わがシッドの詩」でも描かれている。
文化的に調べれば調べるほど面白いが、そればかりになっても仕方ないので、また機会があれば調べ倒したい。
いずれにせよブルゴスを訪れたときには必ず見ておきたい場所だ。
■復活祭~聖木曜日の夜
どうやら、この日は【聖木曜日】と呼ばれる日だったらしい。所謂最後の晩餐の日、イエス・キリストが裏切られ捕まってしまう日に当たるそうだ。
この期間はキリスト教徒にとっても特別で、全国の教会で特別なミサが行われたり、山車が出て街を練り歩く。
そうか、教会に置かれたキリストのモニュメントは、この時のためにあったのか。(ただ、確証が欲しいからもっと調べてみる必要があるのは間違いない。)
街は、復活祭を待ちわびていた。
それは街の人に限らず、巡礼者もまた同じだった。道を歩く旅人の大半はキリスト教徒だから、やはり宗教のお祭りとなれば熱気が違う。この日のためにブルゴスを目指して歩いた者もいるくらいだから頭が下がる。少なくとも、信仰心の無い僕には理解しがたい感情なのだろう。
信仰とは、何なのだろうか。
唐突に現れた覆面の男たちが、鼓笛隊と共に広場へと入ってきた。鼓笛隊の演奏が、静まり返ったブルゴスの夜空に響き渡る。
不思議な時間だった。
誰かが騒ぎ立てるわけでもなく、ただその行列を見守った。家族も、若い男女も、腰の曲がった老婆も、皆が静かにその光景を眺めていた。
■ブリタニアの夫婦の生き方
この祭りを見ようと思ったきっかけは、少し時を巻き戻す。ブルゴスのアルベルゲでの出来事だった。
大広間で体を休めていると、何の拍子にかフランス人のご夫婦と話をすることになった。
彼らはブルターニュ出身で、旦那さんは大学院で木造建築の先生を勤めていると言っていた。
夫婦とも50歳で、四人の子供がいると。その子達が大きくなったから、こうして夫婦で旅をしている。
カミーノはルピュイの道と呼ばれる、サンジャンよりももっとフランス寄りの道から歩き始めて、一週間の休みを取りながら歩いているのだそうだ。日々の歩く距離が40~60㎞だと言うのだから驚かずにいられない。
サンティアゴまで歩いたら、その後は自転車で世界一周をしようと言うからさらに驚く。
彼らは、仕事をして、子育てもして、なおかつ自分達の旅をして生きている。それが衝撃だった。同じことを、僕は出来るだろうか。
「この道を行くためには、こちらの道は切らねばならない」と、可能性を切り捨ててはいないだろうか。
選択肢は無限にある中で、様々な可能性にトライする権利を持ちながら、しかし大衆の流れに沿うように、無難に、息を潜めて生きてはいないだろうか。
彼らは、何を軸にして旅をし、生きているのだろうか。
残念ながら、僕はその答えを聞くことは叶わなかった。
質問出来なかったのだ。聞くことが、憚られるような気がしてしまった。そのために、人生の魅力溢れる生き方の一つを学ぶ機会を逃した。
この夜については、非常に後悔している。
そして、この「話したいのに話さなかった」行為が、今後の巡礼者としての自身の在り方を変えていくことになる。
振り返れば一期一会の出会いが少しずつ自分を変えていこうとしているのが理解できる。
道と言う大きな流れの中で日々を生きながら、道で出会う人々や、毎日起こる出来事に刺激を受けることで歩き方、生き方に向き合っていく。
巡礼関係の本で度々見かける「巡礼の旅は、人生の縮図だ」は、なるほど確かにその通りだ。
問題はその先で、じゃあ、僕の人生は一体何なんだ。と言うところなのだろう。
こればかりは、自分の頭で考えるしかない。