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【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】No.41
巡礼34日目
サンティアゴ・デ・コンポステーラ滞在(オスタル・ドス・レイス・カトリコス)
僕は決めていた事がある。今日は、共に歩いてくれた妻への感謝の気持ちを示す日にしようと言うこと。有り難うを伝える日だ。
■妻へのプレゼント
昨日、一昨日と仲間達と巡礼の到着を喜び合った。そして、皆それぞれの道を歩き始めた。巡礼の最終到達点、フィステーラに行く者もいれば、国に帰る者もいた。
僕達はと言えば、高台のアルベルゲから、大聖堂までの道を歩いていた。サンティアゴにもう一泊するための宿に行くために。向かった先は、共に旅してくれた妻へのプレゼントとして巡礼途中に予約した、パラドール【オスタル・ドス・レイス・カトリコス】だった。
■パラドールとは
パラドールは、所謂スペインにおける国営ホテルの事を指している。
その中でもサンティアゴ・デ・コンポステーラのパラドールは、特に巡礼者達にとっては特別な意味を持つ宿だ。
一つはレオンと並び、スペイン国内にある95箇所のパラドールの内5つ星を認められた500年の歴史を誇るホテルであること。
そしてもう一つは、このホテルがかつて巡礼者のための病院であり、街の貧困層や病人、孤児を受け入れてきた歴史があると言うことだった。
この場所で一日を過ごすと言うことは、即ち巡礼の旅の歴史の一部に触れる事であり、僕たちにとっての学びでもあった。どうしてもここに泊まってみたかった僕は、妻への感謝と言う形で、この宿のジュニアスイートを取ることにした。
結論を先に言うと、パラドールは素晴らしかった。全てが特別だった。カミーノを歩いた時、もしその歴史に触れたいと思うのなら、絶対にこの宿に泊まってみることをおすすめしたい。
妻のご機嫌を取りたいなら尚更だ。
■いつもとは違う日
パラドールに着き、荷物を預ける。ドアマンがてきぱきと荷物を受け取り、チェックインの時間を確認する。
見回すと、宿泊者は比較的年配が多く、大きなバックパックを背負った旅人は見る限り僕たちしかいなかった。歴史建造物を見学に来た観光客の皆様の好奇の視線を一身に浴びながら宿泊手続きを進めた。
手続きが終わりチェックインまでの時間を過ごすため、僕達は街へ繰り出すことにした。
ドアマンが手際よくドアを開ける。去り際に一言「おめでとう」と添えてくれた。
それを聞いて僕は、何だか照れくさかった。外に出ると、雨は既に止んでいた。
僕達はサンティアゴ滞在三日目にして、ようやく大聖堂を訪ねることにした。
ロマネスク建築様式の時代に建設され、時の経過と共にゴシック、バロック様式の影響も受けた建造物なのだそうだ。
ヤコブ像は分かりやすかった。たくさんの観光客が、それに抱きつくための行列をなしていたからだ。このヤコブ像に後ろから抱きつくとご利益があると言うことで、人が世界中から集まるのだった。
理屈は分かるし、歴史も興味深かったのだが、人は多かった。それと同時に、内部が改修されていて、聖堂の全てを見ることは叶わなかった。それでなくとも建物は素晴らしかったが、僕達は長居することなくその場を離れた。
次に僕達は、昼食をとるためにカフェに入る。旅の間に何度も食べたボカディージョに、カーニャ(ビールのこと)と、コーヒーの組み合わせを頼んだ。
店内は人もまばらで、厨房では料理人が慌ただしく夜の仕込みをしているようだった。ウエイターは、常連客と会話に忙しく、僕達のオーダーを受け取り、料理を運ぶ以外の間は話し込むか、テレビを眺めていた。
これは何時間でもいられるな。フラりと入った割には、この店は辺りだと思った。僕達はその後チェックインまでの時間のほとんどをそこで過ごした。
その日の目的地までの距離を計算することもない。足の痛みを気にすることもない。数ヵ月前と同じような一日の過ごし方に戻っただけなのに、このひと月の旅の間に日常の概念が変わってしまったのかもしれない。とても新鮮で、新しい時間だと感じていた。
■パラドールで過ごす午後
基本的に、【ホテルで過ごす】なんて事は殆どしたことがなかった。だから、パラドールでの過ごし方も始めは戸惑うばかりだった。妻があれやこれやと教えてくれて、ようやく腰を落ち着けた程だった。
部屋は寝室と、もう一つ用意されていた。僕達は慣れないホテルにひとしきり浮かれた後、ソファに腰を落ち着けてお茶を飲んだ。
その後ホテル内を探検することにした。宿泊以外に施設内の見学も受け付けていほど、この歴史的な建物は学ぶべき場所が多くあったようだ。あらゆるものが豪華絢爛ではなかったが、美しく、気品があるように思えた。
歩く度に軋む床も、その歴史を感じさせた。この床をかつての巡礼者だけではなく、過去の偉人や要人も通ったのだろうな。そう思うだけで、スペインの歴史の上に身を置いているようだった。
■忘れていた最後のピース
夕食後、館内を散歩し、中庭を回り、そして外に出た。夜の大聖堂を眺めに行くためだった。
夕食もまた、とても素晴らしかった。地下のレストランは、かつて馬小屋であり、劇場だった。ここで芸人達がショーを行い、そのお金が巡礼者や貧困層の救済にあられていた。アーチ上になった石造りの空間に、ピアノ奏者の音が流れていた。
本当に、こんな素晴らしい宿はそうそうない。もちろんこれまでに泊まったアルベルゲも素晴らしかったし、優劣は付けがたい。そもそもベクトルが違うのだから。
この日の宿も【また】、素晴らしかったと言うだけだ。それにしても、良い時間だった。
食後、僕達は中庭を抜け、広場へ向かった。夜空に背景に照らされた大聖堂は、いつにも増して神聖なものであるかのように見えた。もう時刻は九時になろうかと言うころだったがちらほらと巡礼者達も最終便が到着しているようだった。
静かに泣く者、喜び叫ぶ者、ただ立ち尽くす者と様々だったが、皆一様に幸せそうに見えた。
ふと、後ろから歌が聞こえた。
ジプシーキングスの「Volare」だった。ずいぶんと聞きなれた声だなと一瞬考えたが、心当たりがあった。
そうか!君達がいたんだった!
僕達は笑顔で駆け寄った。そこにはトニーと、フランシスコと、間に挟まれたももちゃんがいた。彼らとはすれ違っただけだったから、ゆっくりと感傷に浸る暇もなかったんだよ。
フランシスコは投げ出した足の前にいつもの帽子を広げ、「Donativo ! Porfavor!!」と叫んでいた。トニーはしばらくYouTubeとボラーレを繰り返して歌い、その美声をサンティアゴの夜空に響かせていた。ももちゃんは相変わらずイタリア語は分からないと言っていたが、しかし全員が幸せそうだった。とても、とても充実した顔だった。
全員で歌うと広場の巡礼者達が何事かと振り向いたが、イタリアーノ達は止まらなかった。最後の夜に、最高のショーを最前席で堪能した僕達は本当に幸せ者だ。
そして別れ際、トニーとももちゃんのハグにはグッと来た。親子ほど年が離れていたって不思議でない二人は、僕たちが思うよりきっと強い絆があったに違いない。しっかりと抱き合ったあと、トニーとフランシスコは僕達に別れを告げ、酒場を求めて去っていった。
僕達は、彼らが見えなくなるまで、歌が聞こえなくなるまで、その後ろ姿を見送っていた。これで、思い残すことはなくなった。
■万感の思いを抱いて眠る
何だかんだで良い時間になってしまった。
明日の朝は出発が早いから、もう寝なければ。ただ、二人とも眠りたくなかった。寝ておきたら、僕達の旅は終わりへ向かう他なくなってしまうから。
「もうここに住んでしまいたいね」
そういう妻の心中も、大いに理解できた。それだけ、この宿、この街、この国が素晴らしく、今回の旅が成功したと言う何よりの証拠だった。
僕達は動画を撮影した。この瞬間の気持ちを、記録に残しておく必要があった。
いつかまた来よう。絶対に絶対にまた来る。
二人でそう誓い合い、そしてサンティアゴの夜は更けていく。
妻は先に眠った。僕もそろそろ時間だ。
長い長い一日だった。
最後の日記にこう書き足しておいた。
「良い旅だった」
完