【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】No.33
巡礼24日目
ビジャフランカ・デル・ビエルソ(Villafranca del Bierzo) ~ オ・セブレイロ(O Cebreiro)
恐らく…予定通りに行けば、カミーノの旅も最後の一週間に突入したことになる。
800kmも歩いてスペインを横断するなんて、端から聞けば途方もない旅のように聞こえるが、この新婚旅行も残り200kmを切った。
足は痛むが、それでも順調に回復してきている。毎日少しずつだけど、確実に良いと手応えを感じる。妻も昨日沢山休んだことで、今日は比較的体調も良好だ。昨日はひどく疲れていたから、少し安心した。
■予定変更と葛藤
妻に昨日の非礼を詫びて、今日の予定を伝えた。当初の予定を変更して、オ・セブレイロまで距離を伸ばすための作戦会議だった。
妻は予定変更を快諾してくれた。旅の前には「無理せずバスを使う」方針でいたけれど、今は「出来れば、自分の足で歩き切りたい」と歩くことに対して拘りを持つようになった。
日々逞しくなっていく妻を前に僕は思った。自分は、成長できているのだろうか。昨日も巡礼疲れと言ってヘソを曲げ、迷惑をかけた。それなりに旅を経験してきたつもりだったが、今はもはや、その経験に胸を張れるほどの自信はない。
僕は、僕自身についてずっと考えていた。
■幸せな朝のやり取り
一つ目の町のバルでホルヘに会った。
「おはよう、調子はどう?」
僕がスペイン語で話しかける。彼は「とても良い」と返す。日常会話なら、少しは話せるようになってきた。
「どこまで行くんだい?」
と彼が聞いた。僕が理解できるように、一言だけ「Donde?」と言ったのが分かった。
「オ・セブレイロ」
僕は短くそう言って、親指を立てながらにやっと笑った。彼も笑った。昨日のように僕の背中を叩きながら。「そうかそうか!頑張れよ!」と言って、顔をくしゃっとさせて笑った。
その様子を向かいの家の犬が見ている。まるで自分は人間であるかのように、家を囲む塀に肘を掛けながら眺めていた。その様子が面白すぎて笑ってしまい、思わず妻に報告して、そしてまた二人で笑った。
あぁ、良かった。どうやら今日の僕は大丈夫そうだ。きっと良い一日になる。そんな予感がした。
■気付けば季節は変わって
今日の僕たちは快調だったのか、先を歩く巡礼者たちに追い付き、そして追い越すようなペースで歩いた。
山道はなだらかにのぼり坂になっていて、サクサクと歩けたがすぐに体を熱くさせた。レイヤーの調節が難しく、脱ぎ着するために何度か立ち止まって休んだ。道に覆い被さるように上から見下ろす木々の間から、新緑の葉の間をぬって陽光が差し込んでいた。
季節はいつの間にか、春からその先へと移り変わろうとしていた。ついこの間まで、雪が降っていたと言うのに。
旅をしている最中に季節が変わっていくのを感じたのは初めてだな。と思った。知らないこと、感じたことのないことに、心は浮かれていた。
本格的にセブレイロ峠に入る手前の、お洒落なパン屋さんで休憩を取った。チョコケーキとコーラ。今日は暑いから、コーヒーよりもコーラやビールが合う。
この区間の町も宿も、全てが魅力的だった。とても素敵で思い出深い。何より峠の麓で、ロケーションが良い。次来るときは、少し前後の予定を変えてこう言う落ち着いたところに滞在するのも素敵だな。と思った。そうか、やっぱり僕は山が好きなんだ。
巡礼宿のような素朴さを求める日があれば、そうでないオリジナリティを求める日があっても良い。バランス良く旅が出来たら、もっと魅力的になるはずだ。
■トムダンカン
休憩を終えて、いよいよ山道に入る。
石畳のように見える崩れてしまった石の道。ここもかつて、熊野古道のように巡礼と流通に用いられた道であろうことを思わせる名残が見られた。
この区間の10kmほどの道のりは、思えばあっという間だった。先日のエルアセボ(El Acebo)までの自分とは似ても似つかない。「今日は平気なんだね」そう言って妻も笑った。
途中、一組の巡礼者が勢い良く僕たち二人を追い越していった。あれ?見覚えがある。あの大きな体に不釣り合いな小さいバッグ…
「トム!!!」
男は振り向いた。懐かしい顔の男は、両手を広げて大きな声で応えた。
「オーー!久しぶりじゃないかー!」
やっぱりトムだった。巡礼2日目でちょこっと会っただけだけど、覚えてくれていたんだね。
「初日に出会った友達なんだ。」そう一緒に歩いていた仲間に紹介してくれたのが、とても嬉しかった。まさかこんなところで会えたなんて!!巡礼の思いがけない再会ほど嬉しいものはない。
■そして巡礼は最後の州へ
やがて坂道を登り切って稜線に出ると、僕達の目に大きなモニュメントが飛び込んできた。ガリシア州境を知らせる石碑だった。
僕はその石碑を、ようやくここまで来たなと言う安堵と、終わりが近いと知らせる寂しさの入り交じった気持ちで眺めていた。
フランスとの国境から始まった僕達の旅は、ナバラ州、リオハ州、カスティーリャイレオン州、そしてガリシア州と、様々な街を渡り歩いた流浪の旅は、遂に最終局面に入ったのだ。
大学時代に2400kmかけて日本を横断したときとも、マレー半島を縦断した時とも、ネパールでエベレスト街道を歩き、ヒマラヤも目前に眺めた時とも違う感覚だった。妻が隣にいると言うことが、その感覚の違いの源だったのかもしれない。
ヒースの花が咲き誇り、どこまでも空が広がっていた。フォンセバドンの峠で見た景色とさほど変わらなかったのかもしれないが、僕には全く違う景色に見えていた。
この時から、花に興味のなかった僕に好きな花ができた。この先の人生、僕は毎年春になったらきっと思い出す。山一面を紫に染める、美しいヒースの花畑を。
■井ノ原氏の話と沢木耕太郎
セブレイロに着き、アルベルゲに入ると皆が誉めてくれた。アドリアンも、ホルヘも、ホルヘと仲良しのマリエラちゃんもいる。井ノ原氏も到着済みだった。皆と旅が出来て、本当に嬉しい。
夕食は井ノ原氏と妻の三人で食べた。井ノ原氏、どうやら今日は別ルートを歩いていたら道に迷ってしまったらしい。迷った挙げ句目的地を変更してここまで来てしまうのだから、そのタフさに驚くばかりだ。
三人でたくさん話をした。カミーノを歩くことになったきっかけや、歩いて得たこと、ここまでの思い出話に花が咲く。
井ノ原氏の話に出てきた日本人男性のくだりに、沢木耕太郎さんの話が重なった。
その男性は、67歳で何度もカミーノを歩いているが、20代でこの道を歩く井ノ原氏が羨ましいと言う。その年で歩けるのは、幸せなことだと。
沢木耕太郎さんの本にもあったが、旅には適齢期があるのだそうだ。その時、それぞれの立場に適した旅の形があって、その時期を過ぎてしまったらもう同じ旅は出来ない。と言う話だ。
旅はいつでも出来る。とは言うけれど、時を巻き戻すことは出来ないのだ。日々刻々と変化していくのは、世界だけじゃない。自分自身もまた変化していく。先延ばしにして後悔するくらいなら、今やれることを思い切ってやることも、とても大切なことだと思う。
話に夢中になっていて、バルを出る頃には夕陽が山に沈みかけていた。
■巡礼者の垂訓
【巡礼者の垂訓】の一節に次のような言葉がある。
Blessed are you pilgrims, if what concerns you most is not to arrive, as to arrive with others.(巡礼者は幸いである。貴方の最も気にすることがただ目的地に辿り着くことでなく、誰かと共に到着することならば。)
この言葉を日々噛み締めている。巡礼の始めたて、僕と妻だけだった二人の旅は、道を歩くにつれて仲間が一人増え、二人増えていき、今では皆で歩く道になった。
まるで移動民族のように日々暮らすように旅をする僕たちは、お互いを気にかけ、励まし合いながら歩くようになっていた。
今はただ、妻をはじめ、皆で無事に歩ききることが僕の一番の望みになっていた。そんな風に思える旅が、あるいはそんな風に思えること自体が、人の一生に果たしてどれだけあるだろうか?
僕達はもしかしたら、人生における幸せの真っ只中にいるのかもしれない。
---------------------------------------------------------------
ビジャフランカ・デル・ビエルソ(Villafranca del Bierzo) ~ オ・セブレイロ(O Cebreiro)
歩いた距離 30km
サンティアゴまで残り 約156km
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?