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No.439 小黒恵子氏のエッセイ-5(モンキーパズル)
こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。
今回は、グリーン・パワーに掲載されたエッセイ(グリーンエッセイ)をご紹介いたします。
モンキーパズルの木
小黒恵子
私がモンキーパズルの木にはじめて出逢ったのは、アルプスの麓スイスのファイドウ町の丘だった。
樹高三〇㍍、目通り周囲三㍍ほどの大木だった。数年後、アンデスの麓の村で、なんと再びこの珍しい木に出逢った。
モンキーパズル/モンキーパズル/誰がつけたか木の名前/アンデスのふもとの丘の/大きい大きい木だったよ/杉の葉っぱによく似てて/狐のシッポのジャンボのおばけ/プランタン プランタン プラン プラン(以下略) ―これは昨年六月、七月に放映されたMHK『みんなのうた』の私の詩「モンキーパズル」の一節である。
五十九年五月号の「グリーン・パワー」に、モンキーパズルの実の写真がのっているのを見て、私は日本にもこの木があるのを知った。早速、木の持ち主である熱海・伊豆山の牛島祐基さんを電話帳で探しあてた。
それがこのたび、モンキーパズルの歌碑を建立された牛島さんとの出逢いである。
十一月四日、爽やかな秋空のもと、モンキーパズルの木の下で盛大な除幕式が行われ、熱海少年少女合唱団が、モンキーパズルのうたを高らかに演奏した。
モンキーパズルは、アローカリヤ科で、チリ松やブラジル松である。モンキーパズルの一本の木と、一曲のうたと、一枚の写真が結ばれて、大きい広がりの輪となったことをすばらしいと思う。
伊豆山の美しい海と緑と、地元の人たちの温かい心に囲まれて、モンキーパズルはもっと大きく生長することだろう。
樹木は未来への遺産であると共に、次の世代への大切なメッセージである。
モンキーパズルの緑のように美しく、モンキーパズルの名前のように楽しいこの出逢いの輪を、大切に育ててゆきたいと思う。
「モンキーパズル」の歌碑は、現在は無いようですが、小黒恵子氏のモンキーパズルへの想いに触れられるエッセイです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回は、1987(昭和62)年の雑誌に掲載された小黒恵子氏のエッセイをご紹介します。(S)