見出し画像

エッセイのご紹介431 「カラマーゾフの兄弟」(小黒恵子著)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 今回も、産経新聞の「from」に掲載されたエッセイをご紹介いたします。

 「from」には9作品掲載されていますが、残念ながら自筆原稿が残っていませんので、掲載された文章をご紹介いたします。
 詩人の書いたエッセイ、独特の言葉選び等を感じていただけると幸いです。

小黒恵子童謡記念館 庭 竹

「カラマーゾフの兄弟」
                            小黒 恵子

 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟を、私は好きになれない。それはまったくおかしな、あきれた理由である。
 毎日、洗濯機の中から洗濯物を取り出すとき、洗濯物はからまりあい、しっかりと結ばれあって、ほぐすのに一苦労するからである。長袖のシャツやタイツやストッキングを一緒に入れたときは、まさにカラマーゾフの兄弟である。そんなとき私は、いつもひとりで苦笑している。
 古今東西、人が衣類を着るかぎり、洗濯は必要不可欠である。昔はきれいな小川のほとりの洗濯場に、主婦たちが集まって洗濯したり、おしゃべりの花を咲かせたりした。そこは楽しい社交場であり、ストレス発散の場であった。
 外国でも日本でも、昔は野球のバットのような木の棒でたたいたり、足踏みしたりして洗濯をしていた。せっけんのかわりにお茶の実やトチの実を砕いた汁や、大根や米のとぎ汁を使っていた。
 ヨーロッパの王室や貴族の館では、奴隷や洗濯女を使って洗濯をしていた時代があった。アンデルセンの母親も、洗濯女として働いていた時代があった。
 旅好きのアンデルセンが旅の途中に、川べりで働く洗濯女の姿を見かけたときには、こみあげてくるなつかしさに馬車をゆっくり走らせたに違いない。
 かつてアフリカの旅をしたとき、飛行機の都合で、パキスタンに一泊となった。早朝、部屋に差し込むギラギラの太陽に早起きして外に出ると、アスファルト道路の両側や樹木の枝に、色とりどりの洗濯物が太陽の光をいっぱいに浴びていた。
 思い起こせば、ほんの数年前まで、東京近郊の私の住居あたりでは、物干しざおの竹売りの声が聞こえていた。
 「タケヤーァー、サオダケー」
 その竹ざおも素材が変わって、いつの間にか消えていった。時の流れは、女性に時間と自由と力と美を与えた。 

産経新聞 from 2004(平成16)年11月18日
 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回も、2004年~2005年に産経新聞に掲載された小黒恵子のエッセイをご紹介します。(S)


いいなと思ったら応援しよう!