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エッセイのご紹介434 「寒椿とトビーの墓」(小黒恵子著)
こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。
今回も、産経新聞の「from」に掲載されたエッセイをご紹介いたします。
「from」には9作品掲載されていますが、残念ながら自筆原稿が残っていませんので、掲載された文章をご紹介いたします。
詩人の書いたエッセイ、独特の言葉選び等を感じていただけると幸いです。
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「寒椿とトビーの墓」
小黒 恵子
庭に咲いた椿の花をいけながら私はふと思い出した。
それは寒椿の紅色が、ハッとするほど美しい、遠い日の熱海の二月だった。
私は熱海少年少女合唱団の合唱組曲の詩の依頼を受けて、取材に出かけていった。郷土史家や地域の関係の方々や合唱団の関係の方々のご案内をいただいた。
そのとき、富士屋ホテルの隣接地に、たいへん立派な古い石碑が二つ並んでいた。一㍍余ある大きい方は、初代の駐日イギリス公使、オールコックの記念碑で、小さい方は、本国から連れてきた愛犬トビーの墓石だった。二つの石碑には、紅色の寒椿の花が供えてあったのが印象に強く残った。
オールコックとトビーは、富士登山をしたあと熱海の宿に滞在して楽しく過ごしていた。ところがある日、トビーは散歩中に間欠泉の熱湯をかぶり、全身に大やけどを負ってしまった。そして村人の懸命の介護もむなしく昇天してしまった。
村人は墓をつくり、僧侶とともに花と線香を手向けて厚い供養をしたという。
オールコックは村人たちの温かい心ある好意に感動した。日本の人はなんと優しい親切な国民であろうかと、日本人に対する認識を改め、日英両国の親交を尽くすことを惜しまなかったという。
これは一八六〇(万延元)年出来事だった。その当時の日本は騒然としていて、桜田門外の変で井伊大老が暗殺されたり、外国人討つべしと、血気盛んな日本人による外国人殺傷事件が起こっていた時代であった。
そうしたなかで、村人とオールコックは、トビーの死によって、強く固い信頼で結ばれた。
当時の時代背景を考えたとき、村人の人間性の温かさと豊かさ、すばらしさに、熱い感動がわきあがってくる。
椿の花咲くころ、私は愛犬トビーを連れて、熱海網代の高台の家から、強風に白く波立つ対岸の初島を眺めている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回からは、1967(昭和42)年から2005(平成15)年までの雑誌に掲載された小黒恵子氏に纏わる記事をご紹介します。(S)