見出し画像

No.460 小黒恵子氏の紹介記事-26 (童謡を未来に伝えるために)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 今回は、月刊財界にっぽん 女性群像21C に掲載された小黒恵子氏のインタビュー記事を紹介いたします。

童謡を未来に伝えるために童謡記念館を開館  
                        童謡作家 小黒恵子

★自宅を改装して童謡記念館を開館
―閑静な住宅地なんですね。「童謡記念館」は、オープンしてどのくらいに
 なりますか。
小黒 平成三年に開館しましたから、満九年になります。

―ご自宅を改装されたとお聞きしましたけど・・・・・。
小黒 そうなんです。私はここで生まれ育ちましたので、家に対する愛着が
  大変強いのです。明治一二年に建替えた家を改築いたしました。そして
  念願の童話記念館をオープンしました。
    平成二年に父が亡くなる前に、「童話記念館として改築し、川崎市
  に寄付してもいいかしら」と頼んでみました。
    父は「それはいい考えだ」と言ってすぐに承諾してくれました。母
  も生前「社会に役に立つ事をして欲しい」と遺言を残してくれました。
  私は一人っ子ですので、両親は自分たちが亡き後のことを考えてくれた
  のだと、感謝しています。
    周辺の環境は随分変化しましたけれど、庭には樹齢三〇〇年の欅
  や、樫の木、椎の木などもあるんです。庭の樹木も川崎市の指定保存樹
  となっています。それに小さい池ですが、初夏にはオタマジャクシがい
  っぱいいるんです。かわいいですよ(笑い)。

―ここまで造りあげられるにはご苦労もありましたでしょうね。
小黒 そうですね。父の遺産相続の時の、国に支払う相続税をかき集める苦
  労は大変でしたね。ちょうどバブルの絶頂期で、売却できる不動産を処
  分しましたけど、税金は高すぎますね。
    また、改装の時の仮住まいの問題とか、荷物の整理とか、当時は眠
  る時間もなかったですね。でもどうにかこうにかここまできたという思
  いです。

―立派な建物ですものね。お庭から建物へ一歩入ると、都会とは思えない静
 寂さと重厚さで、心がホッと和んできました。ホール(写真)には、ピア
 ノや昔の蓄音機に大型のオルゴール、童謡に関しての資料など、そこにい
 るだけで楽しいです。
小黒 ありがとうございます。記念館が出来たことを知った全国の方々が、
  資料になるものを送ってくださって、だんだん増えてきました。
    記念館は、土曜日と日曜日だけ開けております。ホールではピアニ
  スト大竹さんと、出林さんの伴奏で、お客様のリクエストにより、何曲
  でもお歌い戴いてます。お客様が一人の時でも欠かすことがないんです
  よ。二階のホールは俳句の会や川柳、民話の会など多目的に使って戴い
  ています。

―家の造りは、子どもたちには珍しいし、童謡コンサートは子供たちの教育
 にもプラスになるでしょうね。
小黒 そうなんです。ところが、大人の方が大喜びなんですよ(笑い)。年
  配の女性が「懐かしい・・・」と言って、昔育った故郷の生家を思い出
  し童謡を歌って満足してお帰りになります。残念なことに、今の子ども
  は昔の童謡は知らないですものね。

―なるほどね。現代っ子は、自然と触れ合うことも少なくなって、昔の童謡
 の風景や情景は想像で出来ないでしょうね。
小黒 そうですね。もちろん環境が変化すれば、詩の描写も変わってきます
  し、感性も生活様式も当然変わってきますので、歌も変わってくるのは
  当然ですね。歌は世につれてですね。

★「みんなの歌」などNHKで三五曲採用
―小黒さんの代表作は?
小黒 沢山書いていますけれど、NHKの番組では「お母さんといっしょ」と
  か「みんなの歌」とか教育テレビの「安全日記」の主題歌五年間放送
  等々、三五曲ほどあります。その中で「ドラキュラの歌」というのがあ
  ります。作曲はクニ河内さんです。
    おいらはやぶっ蚊 吸血鬼 ブーンブーン
    うまい臭いだ もう待てない
    網戸なんか なんのその
    闇にまぎれて こんばんは
    ドラドラ キュッキュ
    ドラキュッキュ ドラキュラ
  「ぼくんちのチャボ」三枝成章作曲
    ぼくんちのチャボって変なトリ
    コケコッコーって言えないよ
    まっかなカンムリふりながら
    毎朝練習しているのに
    いつになっても覚えない
    ケッケコロッケコロッケケッコ-コロッケケッコー
  等々カラオケにもなっています。
   その他「モンキーパズル」「リンゴのうさぎ」「シンデラのスープ」 
  「ニャニュニョのてんきよほう」「大名ぎょうれつ」「ゴミゴミオバ
  ケ」「神父さんのパイプオルガン」「ジャガイモジャガー」「アヒルと
  少女」「おじいちゃんていいな」「大きなリンゴの木の下で」「エトは
  メリーゴーランド」「思いっきり夢」等々、人気のあるうたで、再放送
  されたり、レコードや、絵本になって出版されています。

―NHKで三五曲というのはすごい好成績でしょうね。
小黒 そうですね。童謡作家は大勢いますが、NHKは特別狭き門ですので、
  私は本当に恵まれていました。どの番組も、画面に素敵なアニメーショ
  ンが出て、とても楽しい番組です。

―かつての童謡で好きな歌は?
小黒 名曲は沢山ありますよね。「犬のおまわりさん」「ぞうさん」「メダ
  カの学校」「春よこい」「かわいいかくれんぼ」「かもめの水兵さん」
  「グッドバイ」「背くらべ」「月の砂漠」「七つの子」「赤い靴」「雨
  ふりお月さん」「青い目の人形」「お正月」「春の小川」「ゆりかごの
  うた」「故郷」「花嫁人形」「おうま」「赤とんぼ」「うれしいひなま
  つり」等が好きです。

―小黒さんはどういう視点で詩をかかれるのですか
小黒 いつも、子供たちが喜んでくれるやさしく楽しい詩が書きたいと思っ
  ているんです。そのために心のスイッチを“ON”にしておきます。そし
  て、日常生活の中で観たこと、感じたことなど言葉にしてみるんです。
  でも、スラスラと出てくるものではありませんので、結構大変なんです
  よ。

★“自分流”の生き方を追求して
―小黒さんが童謡作家になられたきっかけは何ですか。
小黒 私の母は、明治三二年生まれで、昔の人にしては前進的な考え方をす
  る人でした。「これからは女性でも自立して、自分の力で生きて行かな
  ければならない時代になる」というんです。大学時代には英文タイプ
  や、生け花の習い事で暇のないほどでした。また、「私たちが元気なう
  ちに外国を見て来なさい」と言って、半ば強制的に、外国旅行に追いや
  るんです(笑い)。「今、役に立たなくても、そのうち役に立つかも知
  れない」が口癖みたいでしたね。
小黒 私は大学を卒業後、就職先も捜したんですよ。でも、時代が時代で、
  思うように行かなかったんです。そんな時に、週刊新潮の表紙を描いて
  いた谷内六郎さんに出会いました。
   何度かお目にかかった後で、谷内さんが絵の批評をしてほしいとおっ
  しゃったんです。批評など出来ないので、その絵をイメージした“詩”み
  たいなものを書いてお見せしたんです。でもそれがあまりにも下手だっ
  たので、谷内さんは「誰かに教わったほうがいい」とおっしゃって、サ
  トーハチロー先生の主宰する木曜会を紹介して下さったんです。
   毎週詩を書いて行かなければならないので大変でした。
  三年ほど勉強させていただきましたが退会いたしました。

―もったいない。
小黒 その頃、会社の女子社員に生け花を教えていたんですが、それも止め
  てしまったんですよ。何故かというと、他の人の流儀を広めるためにこ
  うして走り回っている自分って、いったい何だろうと考えたのです。
   やはり「自分のために何かしなければ・・・・」なんて生意気に考え
  ていたんです。

―そう考えたとしても、なかなか行動ができませんが・・・・・・。
小黒 そうなんです。おっしゃる通りなんです。
  ある日、生け花の仕事からの帰り、喫茶店に入ったところ、店の片隅に
  置いてある雑誌で、巻頭に載せる「詩」を募集していたんです。今で言
  えば『銀座百選』みたいな雑誌だったと思う・・・・・・。
   そこで、「まあ応募でもしてみようか」と軽い気持ちで書いて投稿し
 たところ、それが一回目から掲載され、その後、雑誌のレギュラーとなっ
 たのです。そして、その店に出入りしていた西条八十の一番弟子だった門
 田ゆたかさんが、その雑誌を見て下さって、私に詩人連盟の会員になるよ
 うに誘ってくださったのです。

―成るべくして誕生したんですね。
小黒 私は何も知らなかったから、怖いものなしです。知らない強みです
  ね。
   時の流れは不思議ですね。この五月に日本詩人連盟の副会長になりま
  した。

★自然環境が子どもの感受性を養う
―子どもの頃は恵まれた自然環境で、音楽なども沢山聞かれたんでしょう
 ね。
小黒 とんでもない(笑い)。私たちの子どもの頃は、音楽教育などは十分
  ではりませんでした。
   童謡を歌うのが精いっぱいのことですもの。でも、自然には恵まれて
  いました。この辺りは、見渡す限り桃畑で、春になると桃の花や菜の花
  が咲き競い、それは素晴らしいのどかな田園風景だったんです。多摩川
  の堤防を犬と散歩したり、生活と自然が一体化していましたね。

―自然と触れ合うことで、情緒も感性も養われてくるのでしょうか。
小黒 そうですね。人が教えることのできない感受性のようなものは、自然
  環境の影響が大きいと思います。今は日本の何処へ行っても、同じよう
  な公園があり、遊具も画一化されているようなものばかりでしょう。人
  間まで画一的になってしまいそう・・・。

―都会も田舎も境界線はなくなって、のどかな田園風景は近い将来見られな
 くなってしまいますね。
小黒 親子で出かけるとしても、車でサッーと突っ走り、レストランで食事
  する時代ですから、自然と触れ合い、花の名前や、木の名前、昆虫など
  親子で楽しみながら調べる機会はない。子どもの情緒などは養われない
  わけですよ。
   少し前のことですけど、ある小学校の低学年生が一クラス来てくれま
  した。運動会の時に歌うんだとおっしゃったので、ピアニストの伴奏で
  あれこれ歌ってお帰りになりましたけれど、その子供たちの騒々しいこ
  と、びっくりしましたね。帰る時も「ありがとうございました」の挨拶
  もなく、走り去ったという状態でした。
   その二日後にポストに「運動会があるので明日来てください」という
  子どものメモと、寄せ書きみたいなものが入っていたんですけど、先生
  からのは一言もないし、子どものメモで「明日来て」と言われても、こ
  ちらの都合もあるわけでして・・・・・・・。
   礼儀や作法は大切なことと思いました。昨今、教育方針が再検討され
  るというような話も聞きますけど、小さい頃の教育は大切ですよね。

―小黒さんは、今後どのような展開をしていかれますか。
小黒 まだまだ、いい童謡を書きたいですね。そしてずっと、この童謡館を
  大切にして、日本の童謡を皆んなで歌い、楽しんでもらいたいと思って
  います。
   今後も何世代にも渡って「日本の童謡」の歴史と歌を次代にバトンタ
  ッチしたいと思います。そして充実した童話記念館を川崎市にお渡しし
  たいと思っています。
   この裏庭に私の詠んだ川崎市地名百人一首の「歌碑」があるんです。
      けやきたつ
       多摩川のほとりの諏訪河原
      みどりの伝言(ことずて)
         未来(あす)につたえて

月刊財界にっぽん 平成12年(2000年)8月1日発行

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、2001(平成13)年の雑誌に掲載された小黒恵子氏のエッセイや記事をご紹介します。(S)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?