近くのポップコーンにバターかけてくれる映画館
「近くのポップコーンにバターかけてくれる映画館」
先日、YouTubeを視聴していたらGoogleのCMが流れてきた。
ポップコーンにドバドバとバターオイルがかかっている映像を見て塩バターポップコーンの口になる前に、「近くのポップコーンにバターかけてくれる映画館」という文言に引っかかってしまった。
「近くのポップコーンにバターかけてくれる映画館」だと、
「近くのポップコーンに/バターかけてくれる映画館」なのか、
「近くの/ポップコーンにバターかけてくれる映画館」なのかが判別できない。
近くにあるのがポップコーンなのか、映画館なのかがこのフレーズだけではわからないのだ。
「近くのポップコーンにバターかけてくれる映画館」というフレーズを、意味の塊ごとに分けると以下のようになる。
近くの/ポップコーンに/バター/かけてくれる/映画館
4つの要素があるが、後半3つは意味が連結しているので「近くの」「ポップコーンに/バター(を)/かけてくれる」の2要素になる。「ポップコーンに/バター(を)/かけてくれる」は「映画館」の直前にあるので、確実に「映画館」を修飾するものだが、
「近くの」はどちらを修飾するか、宙ぶらりんになったままだ。
とは言え、これがGoogleアプリのCMであることを踏まえ、
ポップコーンにバターかけてくれる映画館に行きたいな、近くにないかな?とGoogleアプリを使えば検索できるよという流れ、背景知識を踏まえれば
近くにあるのが映画館であることはわかる。
なんだ、近くのポップコーンって。そもそも遠くにも近くにも複数の地点にポップコーンが点在している状況が何なんだ。ディズニー行ったときくらいしか使わないフレーズすぎる。
背景知識を利用しなくても文を解釈できるようにするには、
「近くの」が確実に「映画館」を修飾するように、直前に置いた方がいい。
つまり、以下のようになる。
こうすれば、突然ディズニーランドやシーの世界に迷い込まなくて済む。よかったよかった。
日本語では、名詞を修飾したい場合修飾語をその名詞の直前につらつらと並べることで名詞の塊を作ることができる。
そうすると、修飾語がいろいろ並んでいて直前に並ぶことができず、遠巻きにヨイショと修飾しようとする名詞が現れると、そいつがどの成分を修飾したいのかわかりにくくなることがある。
この現象はポップコーン以外でも発生していて、有名なケースだと「頭が赤い魚を食べた猫」がある。
何のどこが赤いのか、何が何を食べているのか、かなり解釈の余地がある。
これはポップコーンどころの騒ぎではない。
ちなみに私は、TOHOシネマズへ行けば売店の方が「ポップコーンにバターオイルおかけしますか?」と素敵な分岐点をサッと示してくれることも知っている。もしバターかけてくれる映画館を探しているなら、TOHOシネマズに行けば間違いないですよ。(他にもあるのかもしれないが、知りません)