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つい他人の期待に応えちゃうあなたには、芝居の才能があります。ほんとうに欲しいのは、才能ではなくドラマでした。◆善と演劇【大預言アーカイブス】

対談:「ぷろおご×伊予柑の大預言」をアーカイブしています..




大預言を読む


○大預言とは?
ぷろおごと伊予柑が古典を消化して対話をし、
『大預言』を生みだそう!という企画

伊予柑
…人類補完計画を企む悪いおとな
ぷろおごとは数年の付き合いがある


こちらは対談を加筆編集したものです。



ぷろおご「舞台裏って見ちゃいけないですからね。」


なぜ、「わたし」はあなたを苦しめるのか?ここではないどこかを求める人々に共通して必要なのものとは?


伊予柑:今日は善と演劇、阿吽論第3章「ここではないどこか」というテーマになります。

阿吽さんという占い師と、今後の社会においてどんな社会システムを作っていくかという議論を半年ぐらい詰めていったんですけど演劇都市をつくるべきであるという結論になりました

ぷろおご:演劇都市ってなんですか?

伊予柑:意味がわからないと思うんですけれど

ぷろおご:攻殻機動隊みたいな世界観

伊予柑:僕はエンターテイメントの人間なんですけど、エンターテイメントでなにをつくったら役に立つんじゃろ?って考えてたんですよ

ぷろおご:人々の?

伊予柑:そう。役に立たんと最終的に金もらえんのよね。数字をとるとかも大事だけど

ぷろおご:ちゃんとインフラをやるってことですよね

伊予柑:じゃあ、今の社会で役に立つものはなんですか?っていうのが難しくて。考えた末に、演劇ができる場所をつくるのがよいという結論になったって話です

ぷろおご:コンセプトカフェ


伊予柑:まさにその通り。その前提にあるのが善の話で

真善美という考え方で人間を制約するものを分類した時に、

真は過去の自分・歴史。ずっと理系だったから理系だよね〜とか、私は役所やってたから役所っぽい人みたいな。
善がまわりの人たち、自分を取り囲む人たち、「あなたはいい子だからね」って親に言われるとか


ぷろおご:規範だね


伊予柑:そう、規範です。
美は自分のなかにある、真でも善でもない、なんか知らんけどウイスキーが好きとか、なんかアスペであるとか、そういう身体にかかわるもの。

この3つが人間を制約してるよねっていうのが阿吽さんと俺が思っている真善美という考え方です。

そのうちで善に制約されている人が、日本にはめっちゃ多い。善というのは所属集団-自分のいる家族とか学校みたいなコミュニティと、準拠集団-参考にしている雑誌とかテレビとかツイッター、これらの集団の価値観が反映された規範でこれはおそらく昭和よりも薄くなってるはずなんですよ

ぷろおご:地味になったからね


完全な自由を手にしたら、人間は人間のままでいられるか?


伊予柑:うん。結婚すべき。とかそういうのも弱くなったじゃないですか。サラリーマンはこうあるべき、七三分け!みたいな。高校生だったら野球部絶対坊主みたいなのもだいぶ減ってきてますよね。

テレビとかで日本人ならみんな、家を買おう!とかもそうで、こういったものがゆるくなって、ツイッターとかYouTubeに置き換わった。


そして、なんと人々はぞれぞれまったく違う善を目にするようになり、さらに、1分ごとに違う意見が流れてくる

人に奢られて生きていきます。っていうのが流れてきたと思ったら、女性には奢るべきか奢らないべきかみたいな論争が流れてきて、「ウゥ…なにを信じたらいいの…」と、善が超混乱してるわけです


ぷろおご:いろんな善が発生してしまった、

伊予柑:そう、どうしたらいいのって感じだと思っていて

ぷろおご:コンピューターがエラーを起こすんですね

伊予柑:そのなかで、まだ自分の意見がない人のことを「おさなご」と呼ぶようにしてて、ちいかわのことなんですけど、


エェ…ゥ…ァア


伊予柑:人間誰しも最初はおさなごですよね

そこから、善に従ってだんだん自分の善を獲得していくわけですけど、高校生ならこうあるべき、早稲田生ならこうあるべきみたいなものはどんどん希薄になっている。あなたも早稲田と慶応の差がなくなってきたみたいな話をしてました。さすがに規範がないと人間、むりなのよ。

あなたは、早稲田と慶應にひろゆきがインストールされておもしろくないって言った


ぷろおご:そんなこと言ったっけ

ぷろおご:コロナになるまでは飲み会とかがあって、大学内で学生同士の交流が盛んだったじゃないですか。そういう交流によって醸成された文化がそれぞれのコミュニティの「色」みたいなものを作っていたと思うんですよね。

それで、コミュニティに所属している個人は自然とそのネットワークによる影響を大きく受けるから、「こいつは、○○コミュニティのあたりでうろちょろしてるんだろうな」という色が個人に感じ取れたんだけど、今は無色に近くなった印象がある。

大学でのネットワークが失われてしまったら、みんなが見てるYouTube、Twitterにいくしかないじゃないですか。そうすると、「Twitterをよく見てる人だな」くらいの頭のつくりになっていくんですよ

社会学的想像力のはなし



多様性が尊重される今、ほんとうに異質なものは受け入れらやすくなっているのか?

伊予柑:いままではそれぞれコミュニティごとに違う規範意識があるからおもしろかったけど、画一化されてしまった。じゃあ、どうやってそれをつくるか。演劇では?というふうになりました。

ここでいう演劇というのは、まず場所がある。時間が決められている。独特のルールがある。そこに審判する人もいる。そして観客がいるというものです。

サッカーは演劇。だって試合中はなぜか手を使っちゃいけないんですよ。観客もいるし、あれは演技。でも、身内のフットサルは演劇じゃない。観客いないし、ルールもテキトーに変わったりするから、演劇度が低い。ちゃんとルールがあるものを演劇と呼んでいます


1)場所や時間が限られている



ぷろおご:演劇レベルが一定を超えたときに演劇と呼んでいる

伊予柑:ぷろおごにメシを奢るのは演劇。金額がきまってて、よくわからない服を着ていて、なんだったら観客もツイートされることでうまれたりする


▽池袋にいながらインドに行ける、魔法みたいなチケットです


ぷろおご:演劇の可能性がありますね

伊予柑:レンタルなんもしない人も演劇。あれは観客という役をやっている。観客がいるだけで演劇になるんですね。有名なのが彼のツイートで、引っ越しをする人をただ見守る仕事をしたっていうので

ぷろおご:ショートコント引越しですね

伊予柑:そいつがいないとショートコントにならんのよ

ぷろおご:「あー、今日も引越しするか〜」


たったひとりで、普段と違う自分になることはできるか?


伊予柑:じゃあ演劇のなにが役に立つんですか?っていう話があって、ふたつあります。まずひとつ、普段の自分と違う役をやらされる。キーパーとかずっとボールを受けなきゃいけない

ぷろおご:サッカー以外にそんなことない

伊予柑:「なんで?ボールを片手で止めなきゃいけないの、オレは…」というのは、普段生きててそんなことある?みたいな話で

ぷろおご:ボールを止めると拍手されてね


伊予柑:意味わかんないんですけど。サッカーのルール知らない人にあれを説明すると本当に発狂する

ぷろおご:一番の演劇はワールドカップ。球をとめただけで国民の英雄ですからね

伊予柑:コンカフェに行ってオムライスに萌え萌えキュン🫶と魔法をかけるみたいな。萌え萌えキュンってなに?

ぷろおご:やると、美味しくなりますからね

伊予柑:普段と違う自分になると違う能力が開花したりするわけですよ。これは日常と違う能力開発ができたり、おもしろいですよね


ぷろおご:なるほどね


伊予柑:サラリーマンも演劇なんですけど、あまりにも同じ演劇が続きますよね。なので、たまにサッカーをやるとちょっと違う演劇ができていい。

しかも、だいたい監督に言われるんですよ。「お前キーパー、お前はミットフィルダーな」と。

役者A「自分で選べないの?新自由主義じゃないんですか?」
監督「だってお前体でかいし!」

演劇の空間では、強制力が自動的に働きやすいんですよ。ロミオはひとりしかいない、ジュリエットもひとりしかいないみたいなかんじ


ぷろおご:「男だから奢らなきゃいけないんですか?新自由主義なのに」


伊予柑:婚活は演劇だって言ってんだろう!という話で、お前はサッカーで手を使うのか?という話でもある。あれは観客の不在なんですよね。観客がいたらみんなやる。だから演劇度が低い

ぷろおご:観客がいると婚活に客こないですもんね

伊予柑:ちゃんと演劇やると、きれいにワークするんですよ


異世界へと橋渡しをする媒介人は、現代の祭司か?


ぷろおご:アイドルヲタはたしかに観客が多いから演劇度が高いですね

伊予柑:相互に観客したりしますよね。演劇ってパブリックな空間なんです

ぷろおご:それはおもしろいまとめかたですね。旅行とか含めて移動っておもしろいじゃないですか。そこにも通じますね

伊予柑:まさに同じ話で、ふたつめの効用がインドなんです。なんでみんなインドに旅行に行くかというと、日本とあまりにルールが違うからなんです

ぷろおご:演劇になるんだ


伊予柑:インドは異世界みたいなもので、もう本当に善が効かないのよ。会ったら会釈しましょうとか効くわけない。日本にいると他人の目線があるから、日本の善にどうしてもとらわれてしまう。

でもインドに行ったらもうゼロじゃん、そんなもん。自由じゃん。そうすると人はすごくたのしい気持ちになるわけですよ


ぷろおご:そうだね。演劇性ってそういうところだよね

伊予柑:演劇は能力開発を促したり、旅行として日常から解放させたりする


ぷろおご:移動性の再パッケージ化くらいのイメージですよね。本来、根源的に人々がやりたかったものは移動なんだけど、そこに社会とかっていうのが加わってきたときに、求められるものは必ずしも物理的な"移動"であるとはかぎらない。

焚き火したい、狩りがしたい、移動したい。っていうのは残っていて、そうした本能に訴えかけるものを、演劇によって昇華させることができるってことだよね。自分が感覚的に違う場所にいるんだっていう気配を感じられれば、いつもの店でもたのしい


やさしい世界が演劇の需要を高めるなかで、空虚を引き受け、回し車を走っているのは誰か?


伊予柑:もちろん山に行くみたいなそういうおもしろさはべつとして、サッカーをやることは、インドに行くことの代替にはなるはずなんですね。ぷろおごに会いに行くのもインドなわけですよ。

普段とルールが違うってことを期待されている。だからぷろおごを汎用的にすると演劇だなという結論になる

ぷろおご:演劇を提供しているんだ




伊予柑:社会から演劇が失われたから、エンターテイメントとして演劇を提供することに価値があると思っていて、渋谷も演劇劇場なんですよ。地方から出てきた子にとっては、独自のルールがある特別な場所なんです

でもそれはどんどんネタバレされていっていて、いまや六本木の劇場度も下がってる。タワマン?ただの牢獄では?みたいな

ぷろおご:舞台裏って見ちゃいけないですからね。ディズニーランドのミッキーが働いてるところ見たくないですからね


?「くっさい着ぐるみでは?」


伊予柑:あまりにもネタバレが侵蝕してしまった

ぷろおご:そのせいで演劇度が下がったんだ

伊予柑:サッカーとか100演劇なんだけど、全員了解のもとやってるので。スポーツっていうガワにすると演劇がしやすいですからね。

いい演劇を作ることが今後10年ぐらいできることかなと思っていて、スラムもちょっとした演劇なんですよね


物語を終わらせることで、私の役割は終わるのだろうか?


ぷろおご:ツイッターとかが日本ですごい流行ってるってやっぱり演劇性があるからなんでしょうね

伊予柑:それもひとつあります

ぷろおご:自分ではないなにかになって


伊予柑:そう、2ちゃんねるからの自分ではないなにか。

ツイッターとか六本木とか、中途半端に演劇をやると事故ることがだいたいわかったので、これは演劇ですよって時間と場所を区切ったほうがサスティナブルと思ったんです。ツイッターでラフなプレーをすると守ってくれないですよ


ぷろおご:部活だったらいいんですけどね。スシローはやるとだめですよね。そういうオフラインの演劇度が高かったエリアの演劇度がどんどん低くなってるわけですね。リスクが増大したせいで

伊予柑:ふわっとした了解のままやっていた演劇が、六本木が崩れて・・

ぷろおご:崩れてますね。演劇できるところがないんだ


伊予柑:ホストとかも演劇なわけですけど


ぷろおご:すごいですよ、あれは。

だってさ、殺そうとおもったら突き落したほうがいいじゃないですか。刺すんですよ。あれは象徴的なイベントなんですよね。ナイフで刺す、致死率が低いじゃないですか。ほぼほぼ失敗するんですよ。

でも、刺すっていう行為に演劇的な価値がある。刺す女と刺される男、そういう関係性になれるんですよ。それが美しいんでしょうね

伊予柑:美しいですね

ぷろおご:だから刺しちゃうんですよ。どんなに殺意が芽生えても刺すっていうものしか選べない

伊予柑:ガチで殺すではなくやっぱ演劇のままなんですよね

ぷろおご:だってそんなのホームで押したほうがいいじゃないですか

伊予柑:リスカみたいなものですね


ぷろおご:そこに入り込めるイベントがやっぱ必要なんでしょうね。

「私はつらいことがあった。」
でも、それは外から、客観的に見たらなにもないわけで、物語として成立しない。だから、体に傷をつけるんじゃないですか。そうすると、その物語は客観性を帯びる


伊予柑:他人に見えますからね


ぷろおご:ひとつの物語と一体化できる。演劇って基本的に全部真似っ子じゃないですか。劇がきまっていて、役を演じる。ツラい少女はリスカをする。その演劇をすると演劇の少女になれて充足する。

そういうバリエーションが悲観的になってきちゃったんですよね。入り込める演劇の種類が悲しい物語しかないというか



伊予柑:包丁で刺すのはたしかに他人に見せる行為ですよね

ぷろおご:そうなんですよ

伊予柑:「見て見て、」

ぷろおご:「ころしちゃった」ってね。残したいんですよね

伊予柑:演劇性はいまだに人々の気持ちを高ぶらせるんですよね




みんながハッピーになるテーマはなくても、ハッピーになれる演劇はあるのだろうか?人間はうまれながらにして、不幸を求めているのか


伊予柑:サラリーマンがつまんなくなったのは演劇性が希薄したからみたいなのもあると思っていて、みんな効率的に働きたくないですよね。ドラマチックに働きたいんですよ

ぷろおご:自由はドラマチックぽさがありますからね。旅人になるとか

伊予柑:今あらゆる演劇のネタバレがきつくて、100万YouTuberになってもなにもないとか

ぷろおご:女を売春させて逮捕されてる〜とかね

伊予柑:ツラい

ぷろおご:六本木で女の子にテキーラを飲ませてる〜みたいな。没頭できなくなっちゃったんだね

伊予柑:だったら人生じゃなく、ちゃんとフィクションです。って区切ってサッカーをやったほうがましでは?

ぷろおご:だから、二次元はすごいんですね

伊予柑:演劇がポコポコうまれるような場所を作るというのが俺の仕事になるかなという

ぷろおご:ゲーム実況ですよね

伊予柑:あなたも役者してるわけで

ぷろおご:なるほどね。じゃあ、人間の仕事は劇場しか残らないんですね

伊予柑:劇場大事じゃない?

ぷろおご:みんな、演劇って言ったらなにしてるんですかね。どういう演劇をおもに摂取しながら生きてるんですかね

伊予柑:サラリーマンという演劇がいちばん多いと思いますけど

ぷろおご:学生、サラリーマン、

伊予柑:店員とか

ぷろおご:あの役職になりたい、とかですよね。ユニフォームを着たいとか甲子園に行きたい、甲子園で劇をやりたいとか

伊予柑:わかりやすいのはVTuberとかですけど、個人でVTuberやるとルールが弱くて演劇にならんのですよ。審判もいないし。いい演劇のほうがみんながハッピーな気がする


いわゆる物語の深みとは、ひとつの役をやりきるというより、そのときにしかできない芝居に没頭できるかということではないか

ぷろおご:みんなちゃんと物語に入りたいんですよね

伊予柑:そして強制力がほしい

ぷろおご:人生じゃだめなんですね

伊予柑:人生は長くてダラダラしてる

ぷろおご:長いとダラダラしますね。きりっとしたいよね

伊予柑:きりっとしたい

ぷろおご:芝居ですよね。いい芝居が演劇をつくっている

伊予柑:演劇は善に弱い人、つまり他人の期待に応えてしまう人にとって善のハックであるというのがあって、

ぷろおご:善に弱い人、演劇をしちゃう人ですね。させられすぎちゃう人

伊予柑:母親の期待に応えちゃう、とか

ぷろおご:ひとつの役が強くなりすぎちゃう

伊予柑:そういう人こそ複数の演劇があったほうがよくて

ぷろおご:名俳優とか一回どでかい役をあてちゃうと、もうその役から逃げられないもんね

伊予柑:声優でも石田彰=カオルくんになるとツラくて

ぷろおご:そういう人ほどいろんな役をして、息抜きしといたほうがカオルくんを気持ちよくやれるよね。そういう役ばっかりやらされるとキツいよね

伊予柑:実際に声優は一個あたり役をやると似たようなやつばっかりオファーがくる

ぷろおご:ちゃんと趣味でほかのやつもやろうね。日常生活ではもうちょっとバランスをとろうね、と

伊予柑:日本にはひとつの役柄に殉じるのがいいみたいな美学がありますけど、いろんな役柄がよくない?と思います

ぷろおご:自分の人格と役割というか、それを引き離すのは大事ですよ、やっぱり


中島太一とプロ奢ラレヤー


伊予柑:そこを混同するとまじで役から降りれなくなってやばい。まわりにいっぱいいる

インドにハマる人とおもしれー女にハマる人の心理は似ている…?


ぷろおご:おれって客観的に見てどうかはわからないですけど、そのまま自然に役を降りてるかんじがするんですよね

伊予柑:あなたはできるタイプ


ぷろおご:意外と変わったねって言われるから、たぶん降りられちゃってるんだろうなって。

ドアスペでアナウンサー泣かしちゃったり、当時はそうだったけど、今はもう泣かさないですよ。泣かせない、泣かせられないですね。たぶんこのまま降りちゃってるんですね。コンテンツとしてはよくないんだけど、それはそれでべつの進路もあるじゃないですか

伊予柑:善が強い人、規範意識が強い人は本当に役を降りられない。期待に応えちゃうから。キムタクとか24時間キムタクじゃないですか

ぷろおご:そうでしょうね。そこで苦しんだ人はかなり多いですね

伊予柑:役から降りるとがっかりされるという理由で、みんな降りられない。女優さんだと高校生美少女でデビューして、どっかで大人っぽくなるじゃないですか。そのタイミングで海外留学して、ちょっと間をあけてキャラチェンして戻ってくるとかありますね

ぷろおご:そうね、たしかにな。そこから逃げる時間を作ってあげると喜ぶ人が多い

伊予柑:一般人だったらインドに2週間行く、とかすると

ぷろおご:今までは無自覚に大学生の演技をしてたから、大学生じゃない自分が得られる。それは嬉しいですね

伊予柑:旅って必要なんだな

ぷろおご:扱われ方が変わりますもんね。おもしれー女ってやつですね

伊予柑:オレのことをこういうふうに見ないなんて

ぷろおご:それを探していこうという、道明寺みたいなことを我々はしていこうということですね

伊予柑:インドに行かなくても、演劇でなにかの役をやるとその時間は強制的にそうなるよという

ぷろおご:これは重要なはなしだ




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