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2024年に違和感を感じない理由を考察する

おはようございます。OGIZARUです。
あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願いします。

今まで年越しするときは新しい年の数字を聞くたびに、未来が来たような不思議な感覚を感じたものですが、何故か今年はその違和感を感じないんですよね。

僕だけでしょうか?

理由を考察していきます。


1.違和感の正体

1-1.違和感の正体を考える

今まで”違和感”を感じてきたと書いたが、そもそも世の中で違和感を感じている人は僕以外にいるのか、そもそもこの記事の読者は違和感を感じているのかと言われると、そうとは言い切れないと思う。
では、今まで感じてきた違和感を読者にも伝わるように言語化していきたいと思う。

1-2.未来が来た?

冒頭で僕は違和感の正体について「未来が来たような不思議な感覚」と書いているが、果たして合っているのだろうか。
そもそも、未来が来た、とは何か。
年越しとは、今まで自分たちのモノであった”旧年”から自分たちが今までに使ってきていない”新年”に年が入れ替わることにある。
つまり、今まで自分たちが進む”先”にあった(=未来)の”新年”がやってきたという感覚が来るはずだ。
それと同時に今まで自分より先の存在であった”新年”が”本年”となることに対する違和感もあるのだろう。

1-3.既視感

そもそも違和感とは、自分の感覚や認識と現実が一致しないときに生じる感覚である。ということは既に知っているのであれば違和感は感じないはずである。
ということで、今まで2024という数字をどこで聞いてきたのかを考えていきたい。

2.2024の既視感

2-1.2024年問題

2024年問題とは働き方改革関連の法律の影響によって物流関係のドライバーの時間外労働の時間が制限され、ドライバーの収入減少や支払運賃の値上げ等が引き起こされる問題で数年前からテレビで取り上げられている問題である。
物流という身近な問題であるため比較的既視感を感じたのかもしれない。

2-2.2024年パリオリンピック

2024年パリオリンピックは2024年夏にフランス・パリで開催されるオリンピックのことである。2020年大会が2021年に延期され東京開催だったなど身近な大会であり、その次の大会であるため比較的違和感を感じていないのかもしれない。

2-3.二十四節気

もはや24しか関係ないが、立春、春分、夏至、秋分、冬至、小寒、大寒、立夏、小暑、大暑、立秋、処暑、芒種、小満、大雪、小雪、立冬、霜降、白露、清明、穀雨、立秋、寒露、立春、雨水、啓蟄、小满、芒種、夏至、小暑、立秋、白露、寒露、立冬、大雪、小寒 の24節季で季節を表す風習がかつてより日本にはあり、そこで親しんでいただけの可能性は十分にある。

まとめと、いろいろ

新年一発目、元日に書いてるんですが正月テンションで色々面倒くさいので今日はこのくらいにしておきます。
おやすみなさいませ。

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