「個人の活動」を拡げていく必要を感じている
思い返すと、2000年に初めて北極に行き、それからはずっとアルバイトをしながら、自費で北極冒険を繰り返してきた。
そして、2012年の北極点挑戦から、自費だけではなく、スポンサーからの資金だったり寄付をいただいて北極に行くようになった。
その2012年から始めたのが、100マイルアドベンチャー。
小学生たちとの夏休みの冒険を、これまで12年間続け、今年は13回目だ。
これまでずっと、100マイルは自分の個人的な「活動」として行ってきた。回数も、定員も、目の届く範囲の少人数で、質の高い冒険旅としてこだわってきた。
13年目の今年。例年通りの「募集開始日不告知かつ先着順」という、恒例になったトリッキーな募集方法であったが、募集開始から7分37秒で満員になってしまった。
その後も「行きたいと思っていたのに、気がついたら募集が終わっていた」という声をかなりたくさんいただいている。
自分の耳に届く限りでも、すでに10人近く聞いているので、見知らぬところで果たしてどれだけの家庭が楽しみにしていてくれたかと思うと、申し訳ないやら、複雑な気持ちになる。
いま、自分が思っていることは、100マイルアドベンチャーをはじめとした、子供たちとの冒険旅を「自分の個人的な活動」から広げていく時期だなということ。
もっとたくさんの子供たち、大人たちに旅を通して世界の広さを体験してもらいたい。
そのためには、私一人では物理的に無理だ。人が必要になる。しかし、スタッフの育成には時間がかかる。場数が必要になる。
場数を経験するには、一年を通して冒険旅を行っていく必要があるだろう。2泊3日くらいでできるような、100マイルアドベンチャーのエッセンスを抽出した、汎用性のある冒険旅を企画していく。
そこで、場数を踏んだスタッフが増えていけば、夏休みの100マイルアドベンチャーも、同時多発的に複数箇所で開催できるはず。
そして、そんなスタッフたちとして、若手の冒険探検を行っている奴ら、登山、海、空、森、洞窟、さまざまなフィールドで活動している奴らを招いて来れれば、彼らが社会と接点を持つきっかけにもなるはず。
私も、若い頃はガソリンスタンドだったり、工事現場でアルバイトを繰り返して北極に行っていた。
それはそれで、楽しかったし良い体験だった。が、自分自身の冒険体験が、日本において仕事になれば、こんなに素晴らしいことはないはずだ。
たびたび引用するが、ポール・ツヴァイクの言葉
「冒険者は、自らの人性の中で鳴り響く魔神的な呼びかけに応えて、城壁を巡らした都市から逃げ出すのだが、最後には語ることのできる物語を引っ提げて帰ってくる。社会からの彼の脱出は、極めて社会化作用の強い行為なのである」
社会の外側で、語ることのできる物語を抱えて帰ってきた冒険者たちが、社会と接続できずにアルバイトに精を出しているのが、今の日本社会だ。なんてもったいない。
①旅を通して世界を広げ、挑戦していく人を社会に多く送り出していくことを目指す。
②100マイルアドベンチャーを基軸として、裾野を広げた冒険旅を年間通して企画し開催していく。
③そのスタッフとして、若手の冒険家たちにそれぞれの得意ジャンルで活躍してもらう。
④若手冒険家たちの存在を社会が気付くことで、冒険の精神が世代を超えて繋がっていく。文化として根付いていく。
この流れを作っていくためには、もう「個人的な活動」の範疇では無理だろう。
きちんと事業化していかなければならないと思っている。
お金を回し、人をつなげ、精神をつないでいく。
2000年に北極と出会い、自費での冒険から変化したのが2012年。
その2012年に100マイルをスタートさせ、2024年に新たな展開の道筋が見えてきた。
12年。ひと回りとは確かに理由がある気がする。
12年間、同じことを継続していくと、必然的に自分が新たにやるべきことが見えてくる。