ポパイ的メタ認知
朝の寒気を感じ、ふとコーヒーを飲みたくなる。少し離れた台所までが億劫だけど、その重い足を動かして向かう。昨夜電気ポットが壊れてしまったから、今日は加熱用ポットでお湯を沸かす。蛇口からの水はなかなか温まらない。水が沸騰するまでの間、僕はFM802を聴くためにラジオをつけた。aikoの新曲。ラジオから流れるaikoの曲ってどうしてここまで魅力的なのだろう。それはyuiでもなくadoでもyoasobiでもダメなのだろう。
やかんからキューーという音が聞こえる。沸騰したお湯を、お気に入りのブラウンのマグカップに注ぐ。そうそう、その前にティースプーンいっぱいのインスタントコーヒーを。僕はその所作が大好きだ。
昔はコーヒー豆から粉を挽き、お湯の量も測って丁寧に入れていたが、いつのまにか面倒くさくなってやめてしまった。最近のインスタントコーヒーもなかなか悪くない。
そうした一連の所作を僕はときどき考える。何を考えるのかというと、これまでの所作がもしカメラに映るのだとしたら、それは素敵なことなのかということだ。その撮れた一枚一枚の写真は僕の気にいる姿を見せているのか。
なにげない日常の一部が(それは学校をつけるということではなく、飾らない自分ということで)素晴らしく写っていたらなと思う。それはポパイに載っている写真の一部のように。