うたをわすれたカナリアは
鬱々とした曇り空の下。
少女は一歩一歩、青いショートパンツからのびるほっそりとした脚を投げだし気だるげな顔で歩いている。
色白の肌に薄紅色の唇、その唇がぼんやりと開き言葉をつむぐ。
「...うたをわすれたカナリアは」
どこかで母がくちずさんでいたのを聴いていたのだろうか、それとも本で目にしたのだろうか、それは定かではない。
唐突に始まる歌詞の意味はわからない、
だがそのわからなさが、思春期の少女にとっては魅力的で美しかった。
なんとなく大切にすべき言葉な気がして、ゆっくりと噛みしめながらつぶやいていく。
一節一節に触れるたび、自分のくちから真珠のようなきらめく粒がこぼれ落ちていくようで嬉しくなる。色白の頬はほんの少し上気して、紅が差す。
歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
音調もなにもなく、記憶をたどり、ただぽつりぽつり言葉をつないでいく。
頭の奥が痺れ、酔いや目眩にも似た感覚にくらくらしながら、ポツンと独り取り残される哀しさと、なんとも言えない心のひっかかりに、もやもやして脚が鈍る。
「うたを、わすれた、カナリアは......」
この節までは容易にたどりつくのだが、そのたびに、先が続かない。
泣きそうな顔でついに立ち止まる。
いつも、ここまでしか歌詞が出てこない。思い出そうとすれば胸がぎゅうっと締めつけられ、鼻の奥がつんとする。じんわりと目に涙が浮かび、どうしようもなく悲しくて、叫びだしたくてしかたがない。
先に続くであろう、なにか美しい言葉が、ほしい。
美しい言葉は、優しい言葉ではない。
細かな装飾が施されたガラスの破片のように、冷たく限りなく透明で。
どこか怖さや悲しみや孤独を含んだ、危ういものから紡がれる、
悲痛で切迫していて、
そんな言葉こそが、美しい。
ヤジロベイのように不安定な心が求めているのは、そういう言葉だ。
救われない気持ちで少女は言葉を繰り返す。
うたをわすれたカナリアは。
うたをわすれたカナリアは。
...…どこにも居てはいけないの?
カナリアなら歌わなければ、役にたたないって。
価値を生み出せなければ存在というものは要らないの?
どうにかしたくて、少女は必死に記憶を掘り起こす。
カナリアはどうしたら生きていけるのか。
美しくても、孤独な命は寂しい。
似た姿のたくさんの鳥が歌うなかでたったひとり、音を歌えず、交われず。生きた鳥は透明なガラスの鳥になっていく。
美しく繊細で、儚いガラスの鳥。歌を忘れたカナリアは、ガラスになって静かに光る。
あまりにも透明で仲間にも気づかれない...…いや、そもそも仲間がいるのだろうか?
歌をうたうほかの鳥たちがはしゃぐ翼に打たれ、輪から叩き出されて、カナリアは砕けちるしかないのではないか。
結局、少女は思い出すことが出来なかった。
日暮れになり、枯れた草の香りを胸に吸い込みながら憂鬱な顔で田舎の家に帰っていった。
月日がたち、少女は成人式から3年の時を迎えた。
いまにも雨が降りそうな、鬱々とした曇り空の下。
一歩一歩気だるげに女性が歩いている。
赤いスカートをはいてみたが、似合わない気がしてすぐに脱ぎたくなっている。ヒールはブカブカなのに無理矢理脚をつっこんだので、踵がすれてジンジンしていた。やわらかな曲線美を描けず骨ばったままの脚は、周囲にあわせて似なくてはいけないのに、大人になりきれないままの彼女をよくあらわしていた。
人でごった返する駅を抜け、静かな住宅地。アスファルトで覆われた地面にヒールの乾いた音が響く。
つま先を見つめて歩いていると突然「バササッ」という羽音に驚き顔をあげる。飛び去っていくムクドリの姿を呆然と見送り、ふいに開いた唇から言葉がもれる。
うたをわすれたカナリアは――
大人の仲間入りをしてから初めてつむぐ歌は相変わらず美しく寂しく、
なにより、昔にくらべカナリアを自分に近いものに感じた。
「いえいえ、それは、かわいそう...」
思わず彼女はひとりで肩を抱く。
一歩一歩、歩いていけば、自然と大人になれると思っていた。
子供のころに見ていた周囲の大人たちの姿のように、なにか役割を担っている存在になれると思っていた。
だけどそんなことはなくて。
たった独りもたついている間に、同年代の人々は盛り上がりさえずりあって、どんどん進んでいくように見えた。
思ったように歌えなくて、彼女は……"わたし"は。
手にいれてみた大人の姿は「かりそめ」で、本当はまだまだずっと、もろいガラスの子供のまま。
うたをわすれたカナリアは。
鼻の奥がつんとして胸が痛くなる。
見つめていたり、思って、願っていれば、なにかになれる。そんなことはちっともなくて。
やり方が分からないにも関わらず、心に無理やり薪をくべ、なにかになろうとし、ならなくてはいけないようだった。歌えなくても歌わなければ、価値を産み出していかなければ、居場所はないのだろうと知ってしまった。
歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
視界がにじみ、つま先がゆがむ。
……ここまでしか歌えていなかったはずの言葉が、ふいに口をついて出てきた。
なぜかはまったくわからない。
歌を忘れたカナリアは
象牙の舟に 銀のかい
月夜の海に浮かべれば――
「わすれた、うたを、おもいだす......」
ああ。
なんてこった。
カナリアは救われる道があるのだ。
ガラスの鳥を小さな白い船にのせ、海に放す。銀色の月の光がチラチラと揺れる水面で、孤独なカナリアはガラスだからこそ、そのからだに光を満たし輝く。イキモノとして翼をひろげ、確かな存在感と確かな歌声で空気をふるわせる。
夜の海は途方もなく暗くて怖い。漆黒の美しさや未知への興奮を通り越して、ただただ怖い。見えない未来だ。だから、そこに孤独を抱えたまま進んでいけば、しょせん呑まれるか霧散してしまうものなんだと、決めつけていた。
だが必ず光は存在し、ガラスだからこそハッキリ輝けることもある。
高校のころの恩師からもらった座右の銘にしている言葉が思い出された。
The darkest hour is just before the dawn.
何もかも上手くいかず置いてきぼりに感じ、どうにもならない闇の時期というものは、生きていく途中に必ずある。
それでもある時を迎えると、悲しくて辛いドン底でも、徐々に状況が変わってくる。
一番暗く、どうしようもない孤独な海も、思いきって船に乗ったまま耐え抜けば、
明るい光が必ず満ちてくる。
忘れた歌も、思い出す。
うたをわすれたカナリアは。
うたをわすれたカナリアは。
わすれたうたを、おもいだす。
一度も立ち止まることのないまま、歩いていく。
壊れそうな心を抱いたまま、居場所を探しながら歩いていく。
静かに雨が降ってきた。