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8/27 古典や言語、歌を遡ると根底に変わらない日本人の感性が見えてくる気がする。

どうも、実は文字数が少ない方が読みやすくて良心的なのでは?と気がついた尾木です。(今日も結局長くなりました。)

今日も昨日の日記について今更ながらに記します。

追記:写真前の記事と被っちゃいました~

日記

最近また残暑がぶり返してきて私を蝕んでおります。

主に暑くて散歩へ出かけられていない事で影響を受けており、散歩に出られていない日の文章はやはり満足いく内容にはなっていないことを発見しました。

恐らく、私は散歩しながら頭の整理をしているのでしょう。第二の睡眠。

と言うことで、今日は外へ出ようと思います。

閑話休題、昨日はペットのフトアゴヒゲトカゲという、両手のひらサイズの陸上生物とベランダで日なたぼっこしてました。いや、日なたぼっこというより、サウナに近いですね。

彼・彼女(性別不明、名前が無い)は口をぱっくり開けて体温調節をしておりました。(爬虫類はこうして体温調節をします。)

「こいつが亡くなったら俺は悲しくなるのかな、涙を流すのかな。」

となぜか暗いことを考え、より彼・彼女に優しく接していました。

それくらいしか記憶にありません。あと相変わらず本を読むくらいです。 

そういえば、日なたぼっこってなんで「日なたぼっこ」っていうのでしょう?調べてきます。

日なたぼっこの由来ってなんだっけ?

「日なたぼっこ」の語源はというか、変遷が結構複雑でした。

まず「日なたぼっこ」は「日向ぼこり」という言葉が、「日向ぼこ」と簡略化され、「日向ぼっこ」と促音便変化したものらしいです。

つまり「日向ぼこり」→「日向ぼこ」→「日向ぼっこ」

と変化したわけです。

では「日向ぼこり」はどういう意味なのでしょうか?

その「日向ぼこり」の語源は「日向惚け有り」、「ひなたほうけあり」という「日を浴びて惚ける」という意味になるそうです。

日本語の語源を調べるって楽しいですね。

参考サイトさんです。(https://zatsuneta.com/archives/005505.html

こんな語源について考えていたら、ふと、図書館で借りたある本を思い出した。

昔、歌ったあの歌どういう意味?

若井勲夫『童謡・わらべうたの言葉とこころ』という本です。

これは童謡・わらべうたの語源や由来、出典を遡る本です。

幼きときに疑問に思わずに聴いた、あの歌詞はどういう意味?という事を説明します。

例えば、「雪やこんこ、あられやこんこ」の「こんこ」はどんな意味でしょうか?

それは「こんこん」が「こんこ」と略されたもので、漢字に直せば「来ん来ん」に直ります。

「来ん来ん」は撥音便変化が為されているので元は「来む来む」になります。

「来む」は「来い」という命令的な意味となります。

つまり、「雪よ来い来い」、「雪よふれふれ」となります。(ところで応援の「ふれふれ」ってなんだ?)

転じて「雪がこんこんと降る」という擬音のように活用されますよね。

ちなみに、他の由来候補として「来ん此」、「ここへ来い」という意味からの由来も考えられています。

補足というか疑問:いやでもカ行変格活用の「来」の命令形は「こ・こよ」だしなぁ。「来む」を推量の助動詞「む」と考えて、勧誘の意味を持たせれば「来む」を「来てください・おいで」のように訳すことができるところを落としどころにしよう。

補足というか説明:「こんこ(こんこん)」意外にも「でんでん(虫)」、「けんけん(ぱ)」、「ねんねん(ころり)」などが「出よ出よ」「蹴よ蹴ん」、「寝よ寝よ」という意味です。

他の共通点として子供が関連しています。どうやら「○ん○ん」は韻といいますか、語呂が良く童歌として使用しやすいようです。

遠きに山に日は落ちて-移動教室で歌ったあの歌-

もう一つ懐かしいような歌で思い出すのは、「遠き山に日は落ちて」です。

小学5年生だったかの、キャンプファイアーの前に歌った記憶があります。

この曲勝手に日本の童謡、民謡かと思っていたらそうでは無いんですって。

実はドボルザークの『新世界より』の第二楽章 通称「家路」から来ているそうです。

他にも、閉店前のお店でよく耳にする「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡「Auld Lang Syne」だそう。

これらの曲の魅力はやはりあるはずもない故郷を思い出させる力があるところだと思います。

夏の終わりに聴いてみて欲しいです。

以上、お終い!

今回も長くなってしまいました。

日記って何でしたっけ?




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