実測図:丹後のトモブト
トモブトの実測図
今年の1月に京都府立丹後郷土資料館に収蔵されているトモブトという船を実測した。実測をもとに実測図を描いていたのだが、急に忙しくなったりして作図作業は断続的になっていた。
このほど完成したので公開したい。
トモブトの概要については以前の記事も読んでいただきたい。
実測図
実際の図面は1/10縮尺で作成しているが、noteの仕様もあるので図面のキャプチャー画面を掲載している。
トモブトのあれこれ
船首の「バン」と呼ばれる部材裏に墨書きがあった。
「昭和五年二月進水 𩵋造船所」
と読めるが、𩵋造船所の判読については心もとない。あまりにも牧歌的でそんな造船所が丹後にあったのだろうか。
木造船の寿命は、長くて20年程と言われている。
するとこの船は1930年から1950年くらいまで使われたことになる。
この船形の船は、丹後から若狭湾あたりで使われた。
特徴をいくつか挙げたい。
「コマキ」
この部材は他地域では「オモキ」と呼ばれることが多い。水平に寝た船底と角度をもって立てられた舷側材をつなぐチャンネル材である。
船底や舷側材とは異なり、薄い板材ではなく、ある程度のボリュームを持った木材を刳って整形する。「オモキ」は丸太をくり抜いて作る「刳り船」の名残と考えられている。
「ホホダマ」「シチホウ」
これらの部材はこの船の際立った特徴だと思う。
「シキ」=船底の板の上に角材を積み上げ、整形する。
この構造で連想するのは「ドブネ」という船で、「ドブネ」は船首部に角材を積み上げ整形する船で、若狭湾から秋田まで分布が見られるようだ。私が実際に知っているドブネは氷見のドブネで、これは船首に「ロクマイ」と呼ばれる部材を6段積み上げ整形する。
ドブネとトモブトの共通点としては、蝶々型の「チギリ」を材料同士の接合に使う点も挙げられる。
造船過程を想像してみると、「コマキ」「ホホダマ」「シチホウ」で鉞と手斧を用いるのだろう。
手斧は聖徳太子が日本に伝えたということになっていて、大工道具の三種の神器の一つに数えられる(残りの二つは曲尺と墨壺)。
手斧と鉞が台鉋と縦挽き鋸に置き換えらた。これら全ては板材を作る道具だが、この入れ替わりの時期が室町時代と言われる。
ともあれ、手斧と鉞は、鉋と縦挽き鋸が導入されてからは積極的に製材に使われることはなかったが、造船に於いては長らく使われていたということになる。
トモブトに戻るが、「ウナズレ」という船底に取り付けられた部材も興味深い。おそらく「スナズリ」から転訛したのだろう。これはソリのような部材で、砂浜に乗り上げることを想定しているのだと思う。
実測したトモブトが伊根で使われていたのか、阿蘇海で使われていたのかははっきりとしないが、阿蘇海で使われていたのだとしたら想像は容易につく。
まるで湖のような穏やかな阿蘇海にトモブトが浮かぶ風景は、神話のように静かだったのではないかと想像する。しかし、けっしてそれは遠い昔のことでもない。そのことはこの船の船齢が証明している。
実測から図面を作成する時はいつでも実際に製作をすることを考えている。実測と作図そのものが製作の準備でもある。
資料ではなく、乗れる船の存在、かつて使われていた船に乗ってみるという体験は強烈で、船べりを叩く水の音や足元に広がる水の深さへの想像は時空を超えてかつてあった未知へと繋がるものだ。
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