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週末工芸 Vol.11 模倣(ミメーシス)と自己表現について

大学のレポート試験で文章作成していて自分でもなるほどなと思ったので
noteに書いた内容を追加します。

伝統工芸の世界では、ほとんどの場合、「師匠を見て学ぶ」というのが正解です。
弟子は親方の仕事ぶりや作品の作り方を見ることで、創作の基本を学び、親方の実際の指導のもとで弟子として成長していくのです。
師匠の日常生活(掃除や身の回りの世話)を手伝いながら、師匠自身を後ろから観察します。
また、見様見真似で簡単な基本的な作品を作ることを学びます。
しかし、師匠のコピーを作り続けるのはどうでしょうか。
現実には、手取り足取り教えてもらうというより、芸術における模倣(ミメーシス)のプロセスである。
伝統工芸の正解は、昭和の時代から過去の模倣を続けることです。
これは伝統を守ろうという風潮があるからだと思います。
しかし、弟子がそのまま同じものを作り続けることが良いことなのでしょうか。
人にはそれぞれ個性があり親方とは違うのです。
また、時代のライフサイクルの変化や外部情報の変化によって、人の表現の仕方も変わってきます。
現在洋風的な家にすみ、カジュアルな服を着る、アクセサリーも鮮やかなものをつけるなど
変わってきている。 
そのため日本人は古いものと考え表現の中に入れてこなくなり模倣もしなくなる。
日常から日本のデザインは離れていくわけである。
しかし海外ではその古いものが珍しく、新しいになってきている。
和を表現できることは海外の人たちからは離れた異国での見たことのない自己表現になる。
また師匠以外の情報を模倣してくことでクロスミックスされた作品になり更なる自己表現になっていく

伝統工芸は、製品から生まれる芸術です。
私たちがそれを見て感動するのは、それを作る人の精神と心(あるいは精神に基づく表現)に心が共鳴するからです。
その人の精神は時代とともに変化します。多種多様なニーズが生まれてきます。
作品の芯は揺るがないかもしれないが、その周りに表現が出てくる。

技法の精巧さは素晴らしいのですが。深く心に響く表現というのは、作り手が自分の精神や心に対して自問自答や探求を繰り返した結果だと思うのです。

ここがアートとデザインの違いのひとつだと思います。

アートは、「様々なジャンルの再現可能な模倣を掛け合わせた自己表現によって、見えないものを見えるようにすること」と言えるかもしれません。

(おまけ)ビジネスピッチでの模倣(ミメーシス)と自己表現について

少し同じ内容で別のことも
ビジネスピッチについて
昼からビジネスピッチを観て思った。これも模倣と表現だなと。
説明や中身が良くてもそれは表現ではない。淡々と話すだけでは他と同じ表現が弱ければ審査員に届かない。内容が相手に負けていても表現方法でインパクトを届ければ入賞出来るケースもある。
演劇と一緒なんだなぁ。
テンション、気持ちは大事。

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