![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161831198/rectangle_large_type_2_55a2405a18222e23cd9e1bd70b951313.png?width=1200)
昔の夢が背中を押してくれた。~障害をオープンにして働くこと~
■少女漫画家になりたかった学生時代
私はとにかく絵を描くのが好きな子供だった。
本を読むのも好きだったが、それ以上に絵を描くことに喜びを感じていたし、大学ノートの中で動き回る自分の描いたキャラクターに夢中だった。中学時代は授業を受けているフリをして漫画を描くくらい、大好きだった。
少女漫画家になるのを、周りも、そして私自身も信じていたと思う。
しかし高校2年生の秋、「どうしてもデビューしたかった少女漫画雑誌」が廃刊するというニュース(全国ニュースにもなった)を知り、私は三日三晩泣いた。授業中も号泣していたけれど、不思議と先生たちからは注意されなかった。何かを察してくれたのだろうか。
このニュースのあと、私は少女漫画を描くことをすっぱりとやめた。その行為を「筆を折る」と表現する。
仕事でアナログイラストを描くことはあっても、少女漫画を描くことはその後、なかった。
■働かざるものナントヤラ
私は双極性障害Ⅱ型という障害を持っている。
簡単に説明すると、長い「うつ状態」と短い「軽躁状態」を繰り返す病気だ。
躁とは「気分が高揚する」こと。Ⅰ型の躁状態は「大暴れして警察沙汰」だったり「大きな買い物を後先考えず買う」などがあり、入院治療を要する場合が多い。
それに比べるとⅡ型の軽躁状態は、例え話で説明すると「明らかに体力的にしんどいはずなのに、バスケットボールを5時間してもへっちゃら」。
しかし、その後が厄介で「なんであの時バスケなんてしたんだろう……」と落ち込み、最悪「死」がよぎったりする。明らかにうつの期間のほうが長い。
最近、仕事をやめた。
障害を伏せて働くことをクローズ就労という。基本的に私は長い間クローズ就労で働いてきた。
その反対、障害を伏せずに働くことをオープン就労と呼ぶ。
一度だけオープン就労で働いたことがあったけれど、その時はバックヤード業務(商品管理)という裏方だった。
最近まで働いていた会社はクローズ就労だったが、求人内容を見る限り無理なく働けるだろうと思っていた。
しかし、職務内容が全く異なっていて(面接でも説明はなかった)身体を壊したのだ。
継続は、困難だった。
時給も良く、短時間労働。しかし、仕事としてはやっていけない。
――私が健常者ならもっと頑張れたのだろうか。
自問自答を繰り返す毎日。食欲も落ち、頭の中は「仕事をしなくちゃ、したいんだ」という思考でいっぱいになっていた。
我が家は決して裕福ではない。幸い両親と同居しているので、家賃などはかからないが、生活費は入れている。
つつましく生きていくには充分ではある。しかし私は働いて自分の欲しいものを買いたい、家にも少しはお金を入れたい、そう思っていた。
働かざるもの食うべからず、の精神が他人より強い傾向が昔からある。
なので病気中も無理してアルバイトをしていた。社会とのつながりがなくなるのが怖かった。具合がいいのに家の中で一日中過ごすのは、苦痛だ。
その時、ふと「障害をオープンにして働く方法はどうなのだろうか」と考えた。経験がないわけではないが、あの時は本格的なものではなく「通院配慮」のみだった。
障害をオープンにして働く方法には以下の方法がある。
・一般企業の障害者雇用枠で働く方法(障害者手帳が必要)
・一般企業でオープン就労(一般枠だが障害に一定の配慮がある)
・就労継続支援(A型、B型)
その中で私が知らなかったものがひとつあった。
「就労継続支援」である。一体これは何だろう? 早速インターネットで調べた。
「障害者総合支援法」という法律に基づいた、一般企業への就労が困難な人への福祉サービス、それが就労継続支援。
簡単に言うと、お金を貰いながら職業訓練もできるというものである。
その中でもA型、B型に分かれていて、その違いは「就労継続支援事業所と雇用を結ぶか、結ばないか」=結ぶA型は給与が発生し、B型は結ばないが工賃が発生するという仕組みだ。
A型は事業所にいる支援員のサポートを受けながら、ある程度安定して仕事ができる人向けで、B型は症状に波があり自分のペースで働きたい人向け、という説明が書いてあった。
就労移行支援(賃金の発生しない障害者のための職業訓練校のようなもの)しか知らなかった私にとって初耳だった。
働きたい。
そして手に職をつけたい。
早速、就労継続支援A型(私の場合は一般就労経験があるのと、B型事業所の仕事内容が性格的に合わなかった)の求人を探してみると、びっくりするくらいの事業所数がヒットした。
我が奈良県は残念ながら家の近くに事業所はあれど、自分がやってみたい、興味のある仕事を取り扱っているところがなく、試しに大阪府で検索してみると、たくさんの職種があった。
その中でも比較的家から近く「ホームページデザイン・ロゴ作成」を事業内容に含んでいる事業所に連絡してみた。
■コンタクトをとるハードルはそこまで高くない
まずは事業所のホームページから「見学希望」のメッセージを送ったところ
「いつでも見学は可能です。障害の内容と、配慮してほしいことなどございましたらご返信ください」と採用担当のSさんから返答がきた。
私は正直に自分の障害と、配慮して欲しい内容を返信する。
・電話恐怖症
なぜ電話恐怖症かというと、家電量販店のアルバイトをしていた時にサービスカウンターというクレーム担当に配属され、毎日のように店頭で、電話でお叱りを受けていたからだ。
ある日突然、糸が切れたかのように涙が止まらなくなり、立っていられなくなった。うつ病の始まりだった。
会社員時代には到底考えられなかったことだった。社内では「新人ナンバーワン電話取次、オガワ」として知られていたから。
・大きな音(声)や金属音
聴覚過敏なのかもしれないが、精神科に通院すると様々な症状の人がいて、突然大声を発する人がいたりする。その時必ず呼吸が荒くなり、発作を起こす。
男性の怒鳴り声も、父親へのトラウマがありダメである。
金属音に関しては謎。工事現場とか苦手すぎる。
返信は「いつでも見学できますよ。一般事務ご希望でしょうか?」だった。
私は学習障害の影響か、市役所などの手続きが一人でスムーズにできない。比較的最近やっていた商品管理の裏方でも「自分が何度もメモしていたことを忘れて質問してしまう」というやらかしがあり、おかしいと気づいたのが『自分でも見えていなかった障害』の気づきだった。
ゆえに書類を取り扱う一般事務は、ハードルが高い。というか、多分無理である。
「求人情報に未経験でもデザインやロゴ作成ができるとあったので見学希望しましたが、今は募集されていませんか?」と怯えながら返信する。もちろん文体はビジネスメールだ。
しかし先方は、まるで今までお付き合いがあったお友達のように返信してくる。これは障害への配慮なのだろうか。あまりお堅くなく、けれど馴れ馴れしいわけではない文体で返信がくる。
「初心者から上級者まで隔てなく来てもらっていますのでご安心ください」
この言葉が、本当に優しく心に響いた。
他の事業所も気になるところはあったけれど家から遠くなるので、この事業所を第一希望にして見学の申し込みをした。
■いざ、事業所見学へ
今回見学に行く事業所の勤務時の服装は自由だけれど、見学の際失礼にならないようにモノトーンのパンツスタイルで向かう。デザインは未経験だけれど、念のために以前仕事で描いたことのあるイラストデータをプリントアウト後ファイリングし、鞄の中に入れてある。
その中には、筆を折って20年以上経ったある日、一度だけ描いた「文学フリマ」というイベントで出店したときの雑誌に収録された4コマ漫画も含めた。
私の住んでいる場所から大阪にある事業所までは電車で25分ほど。通勤は苦にならない時間だ。
事業所の最寄り駅に到着し、電話をかけるとすぐSさんがお迎えにきた。
聞けば私と同世代、物腰の柔らかそうな男性だった。
「奈良からだと遠かったのでは?」
答えはNO。大阪で働くときにいつも訊かれる質問だ。奈良市内に出るより、大阪市内の方が近い不思議。
事業所に入る前「一般事務をご希望でしたっけ?」と訊かれたので「いえ、デザインを……」と断りを入れた。夫に言わせれば「一般事務感を醸し出しているのでは?」とのこと。一般事務感とは何だ、夫よ。
事業所のビルは光が良く入り、とても明るくて清潔感のある場所だった。
そして仕事をされている方々は、黙々とPCモニターを見つめ作業を進めていた。
静かだ。静かだけれど、それが嫌だとは感じなかった。
デザイン部門の入っているフロアを紹介される。
そこで私は
「実は、以前お仕事で描いたイラストを持ってきたのですが……」
と、おずおずとイラストをまとめてある黒いファイルをSさんと、ロゴ作成の講師だという女性に見せた。
「すごいですね……」
講師の方がパラパラとページをめくりながら、何度も呟いた。
4コマ漫画に関しては「これは(スクリーン)トーンを貼られてますか?」など漫画用語が出てきたりして、ちょっと懐かしくて嬉しい。
「ペンタブ(ペンタブレットの略)のご使用はありますか?」
「いえ、ありません。アナログでイラストを描いてスキャンしたあとにPhotoshop(画像編集ソフト)でトリミングするくらいです」
質問にはハキハキと答えるように心掛けた。
「字に味わいがありますね」はSさんの弁。
普通の文字とイラスト文字の違いを分かってくださっているようだった。
(イラスト文字、と私が勝手に呼んでいるそれはフォントのようなものである)
次にWeb制作をされている方ともお話をし、イラストを見せると
「このフルーツ、生き生きしていますね」
「ここの(製作途中の画面を指さしながら)ところにイラストを入れたりしていただけるといいですね」
など、とても肯定的な言葉をいただけた。
何だか、泣きそうだ。
仕事でイラストレポート連載を自分から手を挙げてやっていたことはあったが、途中何度も投げ出したくなることがあった。それでもやめなかったのは、その記事で伝えたい想いがたくさんあって、自分の唯一とも言える特技のイラストで存分に盛り上げたかったから。
あの時、頑張って良かったね。
そして筆を折ったけれど、少女漫画を描いていて、良かったね。
心の中で、あの「少女漫画家を目指していた頃の私」に囁いた。
■面接ではないけれども、面接のようなもの
一通り事業所内の見学を終えて、面談に入る。
まず、2枚の資料を渡された。
給与面、何時までに出勤しなければならないか、などの説明と、この見学のあとの段取りである。
基本的にはハローワークからの紹介状と履歴書、そして持っている人は障害者手帳を持参して面接を行う。
後日分かったことだったけれど、奈良で紹介状を書いてもらうには、更に主治医の意見書が必要だとハローワークで言われ、大阪のかかりつけ病院へ行き、奈良の指定する書式で書いてもらった。県をまたぐだけで大混乱だ。こういった大事な手続きこそ全国で統一して欲しいな、というイチ障害者の願いをそっと書いておく。
面談で聞かれたことは、このふたつがメインだった。
・発症した時のこと
・苦手なもの、こと
福祉サービスとは言えども、ボランティアではない。やる気があるかどうか、ちゃんと働けそうかなどを見ていると感じた。
こちらも、ややパニックになりながら熱意を伝える。
「では、次回は面接でお逢いしましょう」
優しい笑顔でSさんに見送られ、私は事業所を後にした。
■やるべきことはたくさんあるけれども
実はまだ働く、という段階までは至っていない。
ハローワークに意見書を提出し、紹介状を書いてもらい、希望事業所に電話連絡を入れてもらって面接の日程を決める。
求人票には採用に関して「即決」と書いてあるが、実はここから続きがある。
「では働いてもらいますね」と決まったら、各自治体の福祉課などで「障害福祉サービス受給者証」、通称「受給者証」を発行してもらわなければならない(発行自体に時間がかかるので、面接前に申請しても大丈夫とのこと)。
この受給者証発行には、面談で約80問の質問に答えなくてはならない。
このやり取りが結構大変です、と事業所で説明を受けている。
次に「オガワヒカリのサービス等利用計画案」などを事業所と福祉課でやりとりをする。ここからの手続きは私、ノータッチである。更にややこしい手続きが行われ(説明は割愛)、晴れて受給者証が発行される仕組みである。
恐らく今までの私だったら「もう無理、ツライ。面倒」と匙を投げていただろう。
自分の病気を憎んでいた時期もあったし、クローズ就労ゆえに自分の状況を言えず、当時勤務していた店長を怒らせたこともあった。
でも、これを乗り越えれば、自分の本当にやりたかったことに一歩近づける。
私の背中を押してくれたものは、私が歩いてきた「夢への道」。
病気になるだなんて思ってもいなかったけれど、間違いなく私は前に進んでいけている。
くじけそうになる日もあるかもしれないけれど、きっと大丈夫。そしてこれからの未来は明るいものになるだろうと信じている。
■さいごに
少女漫画を描いていた頃の私へ。
あなたが漫画を愛して、描くことを愛していたから、未来の私はあなたに助けられています。
夢は叶わなかったけれど、あなたの夢があったからこそ、未来の私は生きていられます。ありがとう。
未来の私にはたくさんの夢があります。
全てを叶えるのは難しいかもしれないけれど、昔から欲張りだったもんね。
夢、叶えていくよ。
悔しくて悲しくて泣かせたぶん、笑顔でいられる日を一日でも多くしていくからね。
☆ハスつかさんの「#2024年のいっぽん」に参加しております!!
皆さんの渾身の記事、刮目せよ!