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春待つ雪国


最強寒波が
年明け早々
日本を襲い


大雪のニュースが
連日とびこんでくる。


どっさり
降り積もった雪

前が見えなくなるほどの
吹雪の映像を見るたび


雪国で育った私は

雪に対する
愛憎入り混じった
複雑な思いがあふれる。

の後、

もう二度と雪国には
住みたくないなと

心底思うのだ。


故郷福井も
豪雪地帯に数えられ


子供の頃の
雪との闘い


とくに
あなた
56豪雪
昭和56年の
雪の恐ろしさといったら。


しんしんしんしん
来る日も来る日も
ボタ雪が降り

人の手による
雪かきなど到底おいつかない。


一階の玄関からは
出られなくなり

出入りは
2階から。


雪に閉じ込められた
一階。

一日中
薄暗いのだけど

雪の白さで
ぼんやりほの明るい。


その静けさ。
圧迫感。

「封じ込め」の恐ろしさ。


今でもはっきり覚えてる。


とはいえ、

小学五年生だった私。

のんきなものだ。


雪おろしでできた
巨大な雪山から
ソリや ミニスキーで
何度も何度も滑っては登り

暗くなるまで
雪で遊んだし。


ほんで
今は
防寒や防水に優れた

ヒートテックとか
ダウンとか
手頃な価格であるけど


あの頃は
重い重いコートとか。

毛糸のマフラー
帽子
手袋。
もちろん
母親の手編み。

福井の雪は
べちゃ雪で
手袋など
すぐにべっちゃべちゃになる。

毎年
すごい
シモヤケやった。



せやけど


なんしか
元気やったなあ。


子供ということで
エネルギーも充分やったし

生まれながら

冬=雪

当たり前。

雪の降らない冬を
知らなかったので

冬は
こんなもんだろうと
刷り込まれていたのだろう。



今は
こんなにあたたかい
大阪の冬でも

寒い寒い
言いまくりだ。

子供の頃の
寒さへの強さは
北風小僧の勘太郎に
吹き飛ばされてしもた。


そんな子供の頃の
冬を
思い出してたら


とある番組で
(ま、ケンミンショーなんだけど)


福井よりも
ずっと豪雪の中で遊ぶ
新潟の子供達に
インタビューをしてた。


「毎年すごい雪が降るけど
 イヤにならない?」


すると
元気な子供達はこう答えた。


「でも
 スキーとかソリとか  
 かまくらとか
 雪遊び楽しいし!!


 それにね

春が来るのが
すっごい
嬉しいんだよ!」



じーんときた。


そうやった。


福井に住んでた頃
本当に
春が来た!て思うのが

今の数十倍!数百倍!
嬉しかった。


まずね
冬中
履き物は
長靴一択ですねん

雪やから。


それが
だんだん
雪がとけて

乾いた地面が顔を出すのは

3月も中旬ごろだろうか。


そこで
やっと…


数ヶ月ぶりに

長靴以外を履けるのだ。


この時の
嬉しさったら…



小学生の私は

長靴からおさらばできる
嬉しさを

学校の課題の詩に
書いた。


タイトル


「ズックが履けた日」


それほど
乾いた地面を歩ける

春の訪れが
嬉しかったのだ。


ズックてのがまたいい。

雪解け。
なんといい響き。

足元が
軽やかになる嬉しさ。


これは
雪国の人ならではの

強烈で鮮烈な喜びなのだ。


そんな
雪国の春の
喜びの歌

あってもいいやんな



めっちゃ
超有名名曲
あった。


ズバリ

「北国の春」


あっぶな…

タイトルも
パクりかけてるやん


雪国に住む人々は

あの曲を聞くと

雪解けの小川の流れや

小さな野の花や

数ヶ月ぶりの青空が
目に浮かび

明るい気持ちになる。



雪国に

これ以上
いかつい雪が
降り積もらんよう
心より
お祈り申し上げます。


雪国の皆さんが経験する

喜びに満ちた
うっとりするような
まぶしい春を思いながら


これを
書いてます。



#雪国
#春
#冬来りなば春遠からじ


ところで

ケンミンショー。


福井ご出身のスタッフさんが

テレビ画面の砂嵐のことを

福井では「ジャミジャミ」というと


この
一言から
始まったということを
知り


めっちゃ誇りで
胸が張り裂けそうでした😆

つくづく
ええ番組ですなあ…









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