書籍【CREATIVE DECISION MAKING 意思決定の地図とコンパス】読了
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◎タイトル:CREATIVE DECISION MAKING 意思決定の地図とコンパス
◎著者:田村洋一
◎出版社:Evolving
「創造的意思決定」とは、よく考えると確かに奥が深い。普段我々は一日の中で、何回意思決定しているのか。
そんなことを考えたこともなかったが、ケンブリッジ大学Barbara Sahakian教授の研究によると、人は1日に最大35,000回の決断をしているのだという。
朝起きてご飯は何を食べようか、電車の車両は隣が少し空いてそうだから、そちらに移動しようとか。
会社でもトイレに行こうとか、隣の席の同僚に話しかけようとか。
電話が鳴ったら出ようとか、メールを読もうとか、返事を書こうとか。
例を挙げ出したらキリがないくらい。
35,000回は極端としても、1日の内、眠っている以外を16時間として、1分に1回意思決定していたとしても、約1,000回という計算になる。
いずれにしても多くの決断をしていそうなことは理解したが、ほとんどの決断は無意識というか無自覚というか、ほぼ自動的に決まってしまっている。
「良い結果を出そう」と思ってする決断は、ほとんど無いと言っていい。
だからといって、すべて流れに身を任せ、無意識に過ごせばよいという話でもない。
ここが本書の主題であるが、1日の内ほとんどの選択を自動的に判断している中で、どれだけクリエイティブ(創造的)な決断をしているというのか。
人間は放っておくと、自動的に物事を判断してしまう。
これは至極当然で、動物だっていちいち考えて行動している訳ではない。
本能の赴くままに判断して、行動しているのだ。
そういう意味では唯一人間だけが、「良い結果」を考えて行動できる動物ということになる。
無意識に判断するから「本能」なのであって、それはむしろ普通のことなのだ。
そもそも1分に1回ごと真剣に悩んでいたら、それだけで敵襲された際に命の危険にさらされてしまう。
危険がないとしても、1分に1回悩むだけでエネルギーが大量に消費される訳だから、相当に効率が悪い。
ただ、せっかく人間だからこそ持ち得た「良い結果」を選択できる力も捨てがたい。
結局は、その能力を上手い具合に有効に使った方がよいということだ。
ここがまた面白いところであるが、創造的な決断をするためには、人間らしい特長を活かすことが大事だという。
その一つが本書で説く「ディベート(討論)思考」だ。
これも当然だが、人間だけが「ディベートできる能力」を持っていると言える。
実際に相手を立ててディベートするのもよいが、ここでは1人ディベートの薦めを説いている。
よく批判的思考(クリティカル・シンキング)とか言ったりもするが、それに近しいと感じた。
自分1人で瞬発的に思ったことを一旦脇に置いておいて、冷静になって逆側の視点で考え直してみる。
そして、その双方の意見を自分の脳内で戦わせてみるのである。
そんな心の余裕はないというのが普通かもしれないが、重大な決断ほど、時間を作ってでもこの作業をした方がいい。
ある物事に対し、もし疑問が浮かんだとしても、今の時代はネットで検索したらすぐにそれなりの答えが出てきてしまう。
さらに、エコーチェンバー効果もあるから、自分の思考と真逆の回答は、基本的に出てきにくい状況だ。
そうであることを意識して、対極の意見をくみ取っていかないと、対極の意見の存在すら気が付くことができなくなる。
ディベート思考は、自身の思考を深めるためにも、手軽な訓練と言えるのではないだろうか。
この行動を繰り返すことで、徐々にディベート思考が身に付いてくるはずだ。
やはり安易に答えを求めずに、一度立ち止まって自分の意見と対極の考えに思いを巡らせることが大切なのだと感じた。
そして、その思考を経て、自分なりに納得する方向性が見えた時、それでも答えに悩む時がある。
解決の方法が複数出てしまった場合だ。
数学であれば、通常は解答が1つかもしれない。
しかし、人間社会において、普通に生活をしていれば、答えが1つだけというのは、ほとんどない。
A案とB案があって、どちらもメリット・デメリットがあるという中から、AかBを選択するのだ。
当然、AでもBでもCという選択になることもあり得る。
複雑な問いであればあるほど、どれを選択するかは非常に悩ましい。
結局メリット・デメリットを天秤にかけて選択する訳であるが、その際に1つの指標を持っておくといい。
それが羅針盤とも北極星ともいえる、自分たちの目指す方向性の話である。
確固たる目標を自分の中に持っておけば、おのずと選択できるはず、ということだ。
自分たちが目指す、ブレない目標を持つことが大切なのだという。
これからは、日常の選択を、AIがサジェストしてくれることが普通になっていくだろう。
もしかすると、すべての判断をAIに委ねても、間違わずにそれなりに生きていけるような気がする。
むしろほとんどの人間は、そうやって生きていくのではないだろうか。
今でも、本当の意味で自分から主体的に決断している人がどれだけいるかということだ。
あなたは、親が決めたこと、先生が決めたこと、会社が決めたこと、社会が決めたことに対して、受け身になっていないだろうか。
本人は「自分で決めた」と思い込んでいるかもしれないが、実はすべてがお膳立てされていて、あなた以外の人がすべてを決めているのかもしれない。
そんな疑いを持ったことが、果たして一度でもあるだろうか?
主体的に生きるということは、捉え方によっては、人間の傲慢さとも思えてしまう。
一方では「人間だからこそ、創造的意思決定ができる」とも言える。
これからは、社会の中にどんどんAIが実装されて、自動的な意思決定が組み込まれていく。
一つ一つに選択肢がある訳ではなく、すべては機能化され、アルゴリズムの中身は見えないままに、それなりの答えだけが大量に生成されていく。
そんな社会では、ついついAIにすべてやらせて、人間はサボりまくるかもしれない。
もしくは、人間はそこまで無能ではないので、上手にAIと共存して生きていくのかもしれない。
いずれにしても、すべてを委ねるのではなく、自分の責任で主体性を持って生きていく。
当たり前であるが、今まで人間として大切なことが、より際立つ未来になっていくだろう。
せっかくこの世に生きているのである。
自分の人生を主体的に生きていきたいものである。
(2024/9/11水)
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