奇数階段アンチ
奇数の階段が嫌いだという人はどれくらいいるのだろうか。
この前、初めて人前でこの話をして、初めての共感者に出会ったので奇数の階段の何が嫌いなのかを書き留めておこうと思う。
よって、この記事自体に何かを明らかにしようとか、新しい発見があるという期待はしていない。
強いて言うなら、世の中にいる「奇数階段アンチ」と少しでも気持ちを分かち合うことができるのなら幸いだ。
では、奇数の階段の何が嫌いなのか。
それは「1段飛ばしで登ると余りが発生するから」である。
この理屈を説明するために、まずは階段の段数の数え方から確認しよう。
階段の段数の数え方は、図にするのが一番わかりやすいのでこちらを参照してもらいたい。
私のように習慣的に階段を1段飛ばしで登っていると、偶数の階段と奇数の階段はどちらも同じ程度の数が存在する。(感覚的に)
段数が偶数の階段であれば、1段飛ばしで登ると余りの段が出ない。
しかし、奇数の階段を1段飛ばしで登ろうとすると余りが出て、最初か最後に1段踏まなくてはいけない。
これの何が嫌なのかは習慣的に1段飛ばしをしている人にしかわからないかもしれないが、理由はさまざまである。
リズムが悪い
割り切れない数字が嫌い
最初と最後どちらで1段踏むかを毎回思考しないといけない
私が「奇数階段アンチ」になった一番の理由は、3つ目の毎回思考しないといけないことだ。
特に、学校やマンションの階段など、日常的に利用している階段が奇数だと「最初と最後のどちらで1段踏むか」を毎回のように考えさせられる。
「最初と最後どちらで1段踏むか」と言う二択において、私は「最初派」である。
日常的に利用する階段であれば、その階段が「奇数階段」であることを覚えているので最初に1段踏むことができるのだが、初めて登る階段でそうはいかない。
記憶している奇数階段で最初に1段踏むことができたとき、ちょっとした「攻略している」感覚があって、それはそれで「奇数階段」に楽しさを見出しているところもある。
しかし、すでに「奇数階段」と認知しているのに最初に1段踏むのを忘れたときには「やってしまった」と少し悔しい気持ちになる。
これは日々のルーティンみたいなもので、私は小学校から高校までは毎日同じ階段を上り下りしていたのでそこで自然と身についたのだろう。
しかし奇数階段かどうかは登ってみないとわからないので、初見の階段に対応できない「最初派」はルーティンとして非常に脆弱である。
今回は日常的に感じていたはずなのに、心の奥底にしまっていた違和感を掘り起こしてみた。
共通する違和感を抱いている人に出会わないと発見できない違和感があるのかもしれないので、自分の「しょうもない」こだわりに気を配ってみるのも楽しいかもしれない。
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