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(7)夜の黒い箱(最終話)『サンフランシスコにもういない』

 夜、家に帰るバスのなかで僕はガイドブックに目を通していた。
 まだまだやりたいことはたくさんある。せっかくの日曜日がこのまま終わってしまうことは惜しかったけれど、夜間は不用意に歩かない方が良いエリアも多く、今日はおとなしく帰るのが無難だろうと思った。
 現に膝の上でちいさく開いたガイドブックにも治安が悪いエリアとその時間帯が強調フォントで書かれていた。
 本から視線を上げると、バスの内側を向いた座席に座る斜め前の中年男が目に入った。彼はサングラスをかけいて、髭を生やしていた。灰色を基調とした柄物のTシャツや色褪せたネイビーのジーパンには沁みや糸のほつれが目立つ。彼の手には大きな黒いビニール袋が握られていてた。
 もう片方の手にはアルコールの瓶を持ち、それをラッパ飲みしては何かをぶつぶつと呟いていた。貧乏ゆすりをしながら、終始身体を震わせ、表情がなかったせいか機嫌が良いのか悪いのかわからなかった。
 すると突然男は呟くのをやめた。
 次いで何かに取り憑かれたように手に持っていた大きな黒いビニール袋から、素早く中身を取り出した。袋の中からはこれまた大きな黒い箱が出てきた。遠くて見えなかったが、箱には設計図のような白いイラストが印刷されていた。
 男は次の瞬間、まるで子供がプレゼントの箱を開けるみたいに、びりびりと大きな音を立てながらパッケージを破り始めた。
 この時すでに僕はドキドキしていた。
 そこで男の顔が目に見えて変わったのだ。ずっと表情を押し殺していたような様子だったのに、まるでいまからとんでもないことが始まろうとしているかのような抑えられない悦びが口元から滲み出ていた。
 夜が更けていたこと、家までまだまだ遠いこと、そしてたったいまガイドブックで治安が悪いという言葉を見ていたことが相まって、僕はいよいよ気が気でなくなった。
 座席のなかで身構えた。
 僕のなかには、設計図、四角い黒い箱、バスという条件から容易に連想される危険物があった。
 慌てて周囲を見る。数人いた他の乗客はその男の振る舞いに気づいている様子がない。
 やばい。
――箱の中身はなんだ。
――一体こいつはいまから何をしようとしている。
 男はそして一気に箱を破り切る。
 なかからバッ! と取り出したのは、車のラジコンだった。
 すげえ真っ黒いやつ。ぴかぴかの。設計図みたいなイラストはラジコンだと思って見たら、ただの俯瞰図だった。
 
 刺激と偏見はサンフランシスコの夜に捨ててしまおうと思った。



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