高知の人との金銭トラブル
田舎へ行きたいと思い立ち、高知へ向かった。
なにもここで高知を田舎と言って揶揄したいわけではなく、僕は田舎生まれということもあり、田舎というものをこよなく愛していて、東京での生活に疲弊してしまった昨今の心身を癒すために、どこか大自然や古い町並みを存分に堪能できる、化け猫か山姥が出そうなド田舎はないかなあと考えたところ、なぜだか真先に高知が浮かんだ。
したがって僕は二泊三日の高知旅行に出向いたわけだが、そこで遭遇した金銭トラブルとその思いもよらぬ結末をここに書き残したいと思う。
滞在二日目。
いきなり二日目かよ、という声も聞こえてきそうだが、これで色々あっては田舎に来た意味がない。
夜のとばりも降りたころ、僕は高知の田舎道を走る電車に揺られていた。公共交通機関を乗り継いで高知市内から二時間以上かかる山奥の渓谷に河童を探しに行った帰り道だった。
その日は平日で、ちょうど帰宅の時間帯とも重なっていたのだが、東京の電車とは異なり乗客もまばらであった。
学ランを襟元だけ着崩した地元の高校生。控えめな声で談笑する旅行中らしき女子大生の集団。仕事帰りと見える渋面の中年男。電車には一日の終わりらしい光景が広がっていた。
電車はある駅で停まった。
降車する客たちは、その電車で唯一開く先頭車両の一番前の扉まで行くと、乗務員に切符を手渡しながら降りていった。
しかし数人の客が降りた後で、最後に続いた男子高校生が何やら扉近くの乗務員と話し始めた。学ランを着た彼は一向に列車を降りない。
何をしているのだろう、とこちらが訝ったところで、車掌が突然大きな声を発した。
「すみません! このなかに五千円札を両替できる人はいますか?」
目深に被った車掌帽の下から発せられた野太い声は、車内によく響いた。
要するに、部活帰りらしいその男子高校生は、定期券を忘れでもしたのか、数百円の運賃を急遽現金で支払う必要が生じたのだが、大きなお金しか持ちわせておらず、車内に設置された両替機も五千円札を通さなかったために、運賃が支払えず降りられないという状況になっていると想像できた。
車掌が「このなかに五千円札を両替できる人はいますか?」と言ったその機転に、僕はまさしくこの旅で求めていた「田舎らしさ」を垣間見た気がした。
心のなかでは「細かいお金くらい持っておきなよ」と高校生に思う一方で、「そうそう! コレコレ!」と嬉しくなってしまった。
一応、自分の財布に期待を込めて開いてみる。たいがい観光客というものはお金を持っていると決まっている。五千円札くらい簡単に崩せるはずだと思った。しかし五千円札しか持っていなかった。
でも僕はそこである光景を見て嬉しくなっていた。車掌にお金を崩せないかと問われた直後に電車のなかにいた全員が、まるで日体大の集団行動ばりに整然とした動きで、財布の中身をしげしげ覗き始めたのだ。田舎とはなんていい所なのだろう。
そうそうコレコレ!
だが、みんなが財布を確認したにも関わらず、五千円札を崩せそうな人は出てこなかった。
――高校生、数百円の無賃乗車で遂に退学か⁉ と僕が不謹慎にソワソワしたところで、車両の前方から車掌の声がした。
「ありがとうございます。ありました!」
車両に一人、勇者が乗り合わせていたようだ。
いたいけな高校生を人生の破滅から救ったその年配の男性は、若人に礼を言われても、ただひたすらにいいんだよとニコニコしているだけだった。
車内には安堵の空気が立ち込めた。
拍手こそ起きなかったものの、両替できてよかったねと言わんばかりの母性に満ちた柔和な表情を、老若男女立場問わず誰もが浮かべていた。
人々のこんなにやさしい顔は田舎ならではじゃないのか。
そうそうコレコレ!
ゲストハウスに泊まっていた僕は、その日の晩に溜めておいた衣類をまとめて洗うことにした。
洗濯には三百円かかる。支払い方法は、洗濯機の横に置いてある大きな口を開けた魚を象った瓶に、セルフで小銭を入れるというシステムだった。
僕は財布の中身を覗いた。もちろん五千円札しかない。
細かいお金くらい持っておけよと年下に息巻いていた自分を思い出す。
しかしここで洗濯をしないわけにもいけなかった。なぜならここは、
「いま一度、日本をせんたくいたし申候」
と息巻いた坂本龍馬生誕の地である。
郷に入っては郷に従えとはよく言う。アメリカに旅行に行けば室内に土足で上がるように、高知に行ったら洗濯をしないといけない。でないと、神隠しに遭う。
もちろんこれは聞くに堪えない戯言で、要するに衣類が臭くなるのが嫌だったのでどうしても洗いたかった。
夜も遅くて、係の人はいなかった。
仕方ないので、とりあえずその日は無賃で洗濯をして、翌朝チェックアウトの時に「すみません」と係の人に五千円札で支払って、おつりをもらうことにした。
しかし翌朝、困ったことになった。チェックアウトの時にゲストハウスのオーナーが現れなかった。チェックアウト自体はいつでもできる仕組みになっていたので、オーナーはしばしば席を外していた。三百円が払えないのは問題だ。
――大学院生、数百円の無断洗濯で投獄か、と割と焦ったところで、ゲストハウスの共有スペースに人影を見た。
そちらへ行ってみると、アジア人の中年女性がいた。高知観光に来ていた別の宿泊客だ。
朝食を摂っていた彼女はどうも日本語は話せそうになかったので、僕は英語で訊ねた。
「すみません、マイ五千円をエクスチェンジできますか? 百円玉がスリー枚必要なんです」
すると彼女は小さなポーチを開き、ジャラジャラと小銭を机の上にひろげ始めた。
ポーチの中からは「そんなん、どこで手に入れたん?」と訊きたくなるようなビニールにぴっちりと包装された新品の百円玉の円柱束が出てきた。
すると彼女はそこから百円玉を三枚取り出して、差し出してきた。
しかし僕は手に五千円札持って、差し出している。
なんだ、この人は! 強気の交渉か。
少々面食らったが、同時に、自分の英語が下手でこちらの意図がうまく伝わっていないのでは、とも思った。再び英語で両替してほしい旨を伝える。
「僕が持っている紙幣は五千札円です。あなたのこれは三百円なので、どぅーゆーハブもう四千七百円?」
すると彼女は言った。
「ノー」
いや、ノーじゃねえ。この人は一体これまでどういうお金の扱い方をして来たんだ! と、こちらが思った矢先に、彼女は教養を感じさせる流暢な英語でこう付け足した。
「この三百円はあなたに寄付します。四千七百円はいりません」
途端に申し訳なくなった。二重の意味で。
他人から善意だけで三百円をもらうことも憚られたし、自分が抱いた不遜な憤りも申し訳ないほど見苦しかったと忸怩たる思いが込み上げる。
その三百円は遠慮しようとしたのだが、彼女には「私がこれをあげるから、今度はあなたが誰かに三百円を寄付してあげて」と強く押され、結局押し切られた。手を床に着いて謝りたくなった僕は、人間性でも彼女に黒星を喫し、他人に無償でお金をあげる横綱級のすばらしい取り組みを見せられたことで心から『感動したっ!』。彼女もまた他の人々と同様に高知で出会った素晴らしい人物の一人である。田舎旅行の醍醐味と言えば、
そうそう、コレコレ! ――人のやさしさだ。
あれ、僕は何がしたかったんだっけ?
そうだ、メコン川で水切りがしたかったんだ!