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(4)「謎の女」が家にいて『サンフランシスコにもういない』

 僕は中華系移民の家庭にホームステイをした。
 夕食はいつもみんなで食べる。食卓にはホストファミリー夫妻と大学生の息子、それから語学学校に通う僕を含めた四人の大学生がいる。かなりの人数で小さなテーブルを囲むことになる。
 そしてもう一人。食卓には知らない女の子がいる。
 年は同世代で、綺麗な金髪を後ろで束ね、肌は白く、灰色の目をしていた。
 「謎の女」は毎日現れるわけではない。四日に一度くらいの一番気持ち悪い頻度でしれっと食卓に加わる。
 正体はわからなかったが、初めのうちは僕も彼女をあまり気に留めなかった。僕以外の誰も気にしている様子がなかったからだ。夕食中、僕はもっぱらルームメイトと話し、彼女が会話に入ることもなければ、食事を終えたところで別の話したいことがあったので、結局僕は彼女の正体を知らないまま何日も過ごした。
 しかしその正体を知り、僕が恐ろしい精神崩壊に見舞われるのも時間の問題だった。
  
 ホームステイ先の夕食は毎日同じメニューだった。出てくる品は決まって三品。ご飯を大量の葉物野菜と炒めたものと香草がふんだんに入った野菜の炒め物が二種類の計三つ。
 正直、この変わらない毎日の夕食が苦痛だった。僕たちルームメイトはみんな刑務所の食事のようだと語っていた。それは失礼な言いぐさかもしれないけれど、一方でルームメイトのいう「夫妻も語学学校からお金をもらっているから、もっと豪華で多様な食事を出せるはずだ」という主張には理があると思った。それに彼らは契約上、朝食も出さないといけないのだが、安価な素材で夕食のみ作るという契約違反もしていたので、非がないわけでもなかった。
 時々、ご飯の上にひとくちサイズの豚肉がのった。牢獄で味わう最高の贅沢だった。
 時々、ご飯にパクチーが混ぜられる日があった。地獄だった。僕の遺伝子はパクチーを受けつけない。本来であればホストファミリーに「パクチーが苦手」と言えば済む話だが、当時の僕はそれまでパクチーを食べたことがなかったので、その強いかおりの正体がパクチーであるという認識を持っておらず「パクチーが食べれない」と言葉で指摘することができなかった。ご飯には大量の葉物野菜が混ざっていたので、もはや「この葉っぱが苦手」と特定することも困難だった。作ってくれた夫妻を前に、頑張って嫌いな葉っぱをちまちまと探し出し、料理好きと豪語する二人に向かって「これが食べられない」と伝える根性も僕にはなかった。
 そうなると、ご飯にのっかるお肉のありがたみがより一層増すわけだが、しかしここでもひとつ気になることがあった。僕たち宿泊者には小さなお肉がご飯に添えられるだけなのに、なぜかホストファミリーの息子には毎回大きなお肉の塊がちゃんと別皿に出されるのだ。
 息子も息子で「一緒に食おうぜ」と言ってくれれば良いのだが、そんな歩み寄りはなかった。彼の前に出されたお肉は多いと言っても、決してみんなで分け合うような量でなく、きっちり一人前だった。だから一口サイズのお肉を与えられた僕らはむしろ「息子の分を恵んでもらっている」という構造だった。
 夕食が毎日同じ品目であること、パクチーを伝えらないこと、お肉が少ないこと。僕は夕食の度にちくちくとストレスに苛まれた。
 そしてある出来事をきっかけに僕は我慢の限界に達する。
 その日、またお肉が出た。
 そして例の謎の女もテーブルについていた。
 僕のご飯には小さなお肉がのっていた。彼女のご飯にはそれがなかった。
 そんなのあまりにも可哀想じゃないか、とそこで僕は憤慨し、これ見よがしに「ひとくち分もないけど、いる?」と言ってしまおうかと思った。
 だがその瞬間、僕は目を疑った。ホストファミリーの息子が、お肉ののったお皿を謎の女に寄せたのだ。すると彼女はフォークでお肉を拾い上げ、口に運んだ。女は礼を言わなかった。
 僕が呆気に取られるのもお構いなしに、二人はその後も親し気にお肉を分け合った。
 他のルームメイトたちはその珍妙な光景に一切関心を持っていなかった。
 どうしてみんなそんな平然としていられるの! 同じ囚人だと思っていた人間がいま看守側の人間と親し気に肉祭りを始めたんだぞ!
 夕食後、部屋に戻ると僕はルームメイトの韓国人トッコに詰問した。
「なんで僕たちのお肉は小さいのに、息子にはあんな大きなお肉があるの⁈」
 まずそれだ。するとトッコは当たり前でしょとばかりに、 
「息子だからだよ」
 眼鏡をかけたトッコは非常に知的で冷静な子だった。
「まあ、そうだけど……じゃあ、あのブロンドヘアの女の人は誰? なんで時々現れるの? しかもあの人は息子のお肉を食べてたよ」
「あれは息子のガールフレンドだよ」
 脳みそがはち切れるかと思った。
 クッソ、ただのリア充じゃねえか‼
 途端に二人でお肉を分け与えていたあの光景が忌々しく思えてきた。
 僕は自暴自棄になった。夕食の直後だったがお腹が空いていたので、昼間買ったバナナを取りにキッチンの冷蔵庫へ向かった。キッチンで洗い物をするホストマザーの前で堂々と食べてやろうかと思った。
 キッチンに行く。ホストマザーは食器を洗っている。ああ、しまった。
 そうだ、そうだよ――洗ってくれているのだ。僕たちの汚した食器を! 
 そんなんされたら、いじわるできないよ!
 僕は台所でバナナを食べるか、食べないか強烈な葛藤を始めた。抑えられない怒りと食欲。蛮行に手を染めんとする自分を羽交い絞めにしてでも止めたい理性。
 バナナ、どうする、バナナ、どうする。  
 ぐわっと頭のなかが膨張したところで、ホストマザーと目が合った。その時ほとんど条件反射で僕の口から出た言葉は、
「毎日ディナーをありがとう」
 だった。しくじった。
 ホストマザーはいままでに見たことないような笑顔を浮かべた。

 以後、ご飯に混ざるパクチーの量が増えた。



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