【目印を見つけるノート】485. 夏の夜向き?なお話です
7月31日(土)晴れ一瞬雨
きのうのことを書いています📚
お医者さんや図書館などもろもろ、回るところを回ってきました。暑かったのですけれど、いくらか柔らかい暑さだったように思います。
ばらのトモさん(正式名称は鞆ノ浦)が咲きました。
蕾を摘むのを止めたので、8月は咲いてくれるのかと思います。咲ききったら切って、その後にまた蕾が出てというサイクルになるのだと思います。
完全に私の勘ですが、今年は季節の切り替わりが例年より早いと思っています。本来はあまり盛夏に咲かせないようにするのですが、盛夏はもう少しで終わるのかと思っています。本能センサーがそのように。
おばけが見えるとかそのようなものも感覚なのでしょうが、本能センサーは生命維持のため備わっているのでしょう。
おばけ👻
夏だからいいテーマかな。
私ははっきりと形があるものを見たことはありません。ぼんやりは割とあります。ただ、白い感じで、太陽のいる時間帯が多いようですので、怖くはないです。怖いものも世の中には多いようですがバリアしているような感じかもしれません。
音は割とありますが怖いというのはほとんどないです。母が他界したとき脇で弟と泣いていたら、母のところに置かれた位牌が風もモーターもないのにずっとカタカタカタカタ不規則に音を立てていました。泣きながら弟に、「カタカタ言ってるね」と言って、弟も「言ってるね」と泣いていました。
仏教徒ではありませんが、『涅槃経』というお経を書写して49日まで読んでいました。孝行がとことん不十分でしたので、葬儀のお役目(部分)だけでなくきちんと送ってあげたいと思ったのですね。なぜ涅槃経だったのかとか書写したいきさつはまったく覚えていません。
おばけは見たことがありませんが、禁止区域に足は踏み入れないです。禁止区域って自分の表現ですが、あらかじめ情報で分かる場合もありますし、通りかかって気づくこともあります。でも、基本的には行かないですね。
史跡や寺社に取材でよく行きます。そのような場合、大往生した方ゆかりの場所もありますし、非業の死を遂げた方ゆかりの場所もあります。もし、自分の利益として行くのならば、行かないだろうというところもあります。どの場合もごあいさつとかお礼を自分の心の中でだけ申し上げますが、そっとしておいた方がいいこともあります。
それは聖域と言われる場所も同じですね。
これは、比較的どなたでも経験できることだと思いますが、カメラ(スマホでも)シャッターが下りない。ハレーションが起こることもあるようですが、私は経験がありません。そのような場合は「失礼しました」と言って直ちに去ります。下りても少し違和感があったら同じようにします。写真は消します。最低限の敬意といいますか、礼儀のように考えています。事前に調べられれば調べます。軽い気持ちですることはありません。
幸いにそれで何かトラブルが起こったことはありませんので、ありがたいことだと思っています。
守られて残っている場所というのは、必ず由来があります。それは分かっておいた方がいいかもしれません。私の例は書くためですのでちょっとだけ特殊かもしれませんけれど。
岡山のとある史跡の由来を小説で書いたことがあって、これはもう一気呵成にできました。ようつらつら書いたもんじゃの。行ったことはないのですが、後で検索したらミステリースポットになっているようです。
そこがなぜそうなったのか、地元の人にこそよく分かってもらいたいと思ったりもします。
『肥後の春を待ち望む』を書く取材のため、福岡の柳川に1泊2日で行きました。久留米に泊まって自転車で走り回りましたが、お話とは別筋で私の母方のご先祖にゆかりのある神社に行きました。着いた途端、夜に行ってしまったのですが、とにかく誰もいなくて真っ暗でした。街灯も遠くて。でもちっとも怖くなかったのですよね。水路の水の流れる音がずっとしていて、逆にとても落ち着きました。翌日も明るい時間に自転車で回りましたが、「こんなにいい場所にあったのか」と驚きました。
祖霊信仰というと祖先を神様だとするのだと思いますが、ご先祖さまも私と同じように生きていました。ご先祖さまが生きて、自分に至る流れを作ってくれたのは、命があることで明らかです。すべてが自分にとって有形無形のかけがえのない財産ですし、また、自分やみんなの命を大切にしようとする心にも通じると思います。
でも寺社や史跡は昼に行った方がいいと思います(苦笑)。
うなぎ、むちゃくちゃおいしかった😋🍴💕
あれ、怪談ではなくなっている😱💦
お盆向きだったかもしれません。
さあ、小説を書きますか。
今日は音楽なしです。
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
追伸 素敵なお話でした🤭