【目印を見つけるノート】683. ちょっと横顔をのぞきこむように聴く
ジェフリー・アーチャーさんの小説『ロスノフスキ家の娘』で、主人公のフロレンティナ・ケイン、民主党選出のアメリカ副大統領が相手国トップとの丁々発止のやり取りの末に、侵攻を間一髪止めさせるシーンがあります。
バイデン大統領が同様の行動を結実してくださるように祈ります。
ジェフリー・アーチャーさんもそう思っていらっしゃるかしら。
さて、きのうの話の続きです。
吉祥寺のライブハウス、Rock Joint GBに行ってきました。東急百貨店の裏にあります。
このような時期(ずっとそうですが😣)ですので、検温・消毒・連絡先記入など感染対策と換気が徹底されていました。ドリンクも薄いゴム手袋をして作られているのを見て、頭が下がりました。
来場者もそれがよく分かっていますのでマナーはとてもいい。前にも書きましたが、電車に乗っているよりよほど安心できます。
見たのはTHE GROOVERSの藤井一彦さんのソロ弾き語りです。
ちょうどこの日から新しいソロアルバム『月を見ろよ』が解禁になりましたので、さっそく(給食のおかわり一番乗りのごとく)入手しました。
⚫序論😅
弾き語りというとどのようなものを想像されますか。
アコースティック・ギターとマウスハープ(ハーモニカ)と歌というセットです。これがピアノでもアコーディオンでも同じですが、基本的に一人で演奏し歌うものです。
この言葉で、
1970年代のフォークを思い出すかたが多いのでしょうか。岡林信康さんとか高石ともやさんとか。1960年代のボブ・ディランさんやジョーン・バエズさんなどのプロテスト・ソングがその下地にあったりします。もっといえば、1930年代ぐらいのウディ・ガスリーがその先駆者です。
とはいえ、多くのミュージシャンがアコギ一本、ピアノ1台で歌うことをしていますので、実際はもっと幅の広いものです。イベリア半島のフラメンコやファドも、南アメリカのタンゴやフォルクローレも一人で弾いて歌っていれば弾き語りですし、アメリカのBLUESもカントリーもシンガーソングライターもMTVアンプラグドもそうですね。沖縄などの三線の歌もそうでしょう。
琵琶法師もヨーロッパ中世のトゥルバドゥール(吟遊詩人)も弾き語りだと私は思っていたりしますが、弦楽器はもう平安時代には普及していたほど人と馴染みの深い相棒でもあります。
弾き語りというのはそれぐらい遡れる生(き)のままの表現なのだと私は考えます。
と、弾き語りの文化学のようになってしまいましたが、論文は書けません。そこにかかっているバイアスがあるなら外したいと思って😊
⚫本論😆
幕前のBGMでもジョニ・ミッチェルさんやニール・ヤングさんなどの弾き語りアーティストが流れていました。
藤井さんは、
そよ風のように、
さえずる小鳥のように、
流れる川のように、
吹き荒れる風のように、
疾走する機関車のようにギターを弾きます。
どれかひとつでもすごいと思うのですが、そのギターが
時にはささやくような、
小さな祈りのような、
地団駄を踏むような、
あるいは昂りのような
少ししゃがれた歌声と並走している。
見ている側はしっとりした気持ちになったり息を飲んだりしてしまいます。
そうですね、歌詞はとても明るいというわけではありません。
焦燥や苛立ち、やりきれなさや諦めという単語を出したらあてはまりそうにも思えますが、それだけではない。そのような現実がある風景を、少し潜った自分の内から表現しているように私は感じます。
風景。
例えば、今の状況を描くとしたらどうでしょう。
外に思い切り飛び出していけませんし、ライヴを見るのもするのも細心の注意を払わなければいけません。その状況を第三者的に、客観的に詳述することもできるのです。その上で、自由が少し狭まった、苛立っているとか諦めなければならないと結論づけることが。
それはライヴに限らず旅行ができないとか、人に積極的に会えないとか世代性別に関わらず他にも通ずることでしょう。みなさんもいろいろな方法でそれを表現されていますけれど。
ああ、ウディ・ガスリーさんのような人ならば1000ページ分ぐらい一気に書かれる気もします。あの方は機関車のように饒舌です。本を見てびっくりしました。
ただ藤井さんは、第三者的には表現していないのです。自分のなかにあって、自分の外にある。それを引き受けているようなイメージです。
ライヴは終始温かみのあるものでした。メロウで美しい曲から本場なRockin' BLUESまで藤井さんフィルターで濾過されて流れてきます。
空気清浄機がガンガン回っていて、演者の喉にはしんどいなと思ったりもしたのですが、それでもかなり高い熱量と力で演奏されていました。
新しいアルバムの曲、『裏切りの北風』とタイトルチューン『月を見ろよ』は特にビシビシと打たれるように響きました。前者はスライドギターがギュワンギュワンと吠えていて、後者は言葉が突き刺さりました。
そこには直球のスローガン的なものはないけれど、ほの明るい光が当たっているように思います。
そうですね、暗くはないのです。
光がある。
それは1枚の絵のようです。
淡い水彩のような部分もあれば、
濃い油彩のような部分もある。それが混じり合った1枚の絵だなと思いました。
興味深かったのは、最近の曲の方が油彩のように濃いと感じたことです。
⚫結論
結論って😱なおさら大げさですが、
うちに帰ってアルバムを聴きました。とても音がいいです。それは保証します。
そして歌声はライヴを見た後だからか(ライヴは激しめ)、いくらかトーンが抑え気味でした。じっくり聴くのにとてもいいですね。
一枚の絵の喩えと似ているようですが、ひとつの曲でもいろいろな表情が見えるなって思いました。Another side of~ではなくて球体かしら。ちょっと横顔をのぞきこむように聴かせていただきました。
今週末から藤井さんはソロ弾き語りツアーに出られるそうです。西日本が多いようですが、各所で新しいアルバムを購入できるとのことです。
名うてのワンマン(ガンマンのもじり)、息を飲んだりしっとりしてみてくださいね。
そして、早く「自由だー!」と思う存分外で歌えるようになるといいですね。
上記はすべて、私個人が感じたことですので、その点ご了承ください。
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
追伸1 これから『オデュッセイア』にかかるぞぉ。
追伸2 お尋ねをいただきましたが、チョコはひとつだけでございます。
追伸3 久々に爬虫類な雲を見つけました(そう見えるのは私だけ?)。おすそわけです。
追伸4 たまには引用なしで書いてみたかったのです。
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