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【目印を見つけるノート】266. 16世紀前半を書き終えてのこぼれ話

きのうは嬉しかった。
クリスマスソングを何回も聴いてしまいました。
チャーリー・クリスチャンもギブソンESだったなあ😊

⚫16世紀のことを書く

3年以上書き続けている『16世紀のオデュッセイア』というお話の第10章を来年からスタートするので、今は頭の中でくるくると考えています。多少の草稿はありますが、あってもガチャガチャですね、きっと😅

『16世紀のオデュッセイア』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/793313132/416136725

9章まででだいたい16世紀の半分を終えたのですが、16世紀を全部書くのは20章ぐらいになるのでしょうか。

16世紀前半50年の柱はフランシスコ・ザビエルとチェーザレ・ボルジアでした。チェーザレから始めたのですが、フランシスコ・ザビエルに多くの熱を込めました。どちらを書くのにもローマ・カトリック教会が深く関わります。そこのかたちに踏み込んで書かず、人の進んだ道を中心に置きました。そこにマキアヴェッリやミケランジェロが絡んで……というのが流れです(史実には沿いますがフィクションです)。
書いているうちに、マキアヴェッリやミケランジェロが大好きになりましたね。


⚫ミケランジェロの創ったものが東京に

この「前半」にはラッキーがいくつもありました。

ミケランジェロやダ・ヴィンチやドナテッロの作った「実物」が東京で2年続けて違う展覧会で見られたことです。しかも、デッサンや手紙、手稿まで!それに、ヴァザーリの『芸術家列伝』の本、16世紀の本までありました。
作品や伝記は本やネットでいくらでも見ることができるのですが、実物をなめるように見られるのは全く異なる経験です。
ミケランジェロの彫像を四方八方からじっくり見られたことがいちばん幸せでした。ノミの跡をあえて残していたりすると、「彼はなぜこの部分を整えなかったんだろう」と考えたりして、たいへんな探究材料でした。

それが、彼が生きていたことの強烈な証しにも思えたのです。

唯一撮影自由だった『レダと白鳥』の習作のプリントです。

絵画・彫刻のことなど書いたことがないのに終えられたのは、ひとえに実物を見たからとしかいえないです。


⚫ザビエルにまつわる探究

フィクションという前提はありますが、ザビエルにまつわることで、何冊か本をたどって調べたことがありました。それをもとにフィクションとして書いています。

薩摩の地で初めてザビエルの一行に付き従った「ベルナルド」という青年がいました。日本人なのですが日本名が不詳です。
本で名字には行き当たりました。「河邊さん」です。
名前は何だったのだろうと思いました。
そこからまた調べて、薩摩に「河邊氏」という武士の家があって、通字が「道」だということがわかりました。

そこで、小説では「成道」としました。通すと「ベルナルド」と読むことが可能だからです。フィクションであることをご承知おきいただきたいのですが、そのようなことを考えたりもするということです。

あと、探究ではないのですが、「南蛮」という言葉について書いた箇所があります。

フランシスコ・ザビエルはナヴァーラという国の人でした。今はバスク地方ですね。ただ、彼の幼少時からスペインとフランスに挟まれ、政情が不安定になり、ザビエルのお父さんは国の大臣の役を追われて失意のうちに亡くなります。
政体が変わって、ナヴァーラはスペインの一部となっていきます。

ザビエルの来日後、
大内氏家臣の内藤氏にザビエルが出身国を聞かれて言い淀むシーンを書きました。ポルトガルの使節として来日していましたから。そのときに「ナヴァーラ」と言ったのを、内藤氏が「南蛮」として主君に報告したという筋立てです。他にその説を出しているのは見つけられませんでしたが、なくはないなと思いました。

何より、ザビエルが祖国をなくしたことを書いておいた方がいいと思いました。

この方は教科書にも必ず出てくるのですが、そのような背景は驚くほど知られていません。フィクションだとしても、紹介する意味はあると思いました。


⚫いまに受け継がれているもの

幸いなことに書いている時期、九州の潜伏キリシタンに関する遺構が世界遺産に登録されました。
ザビエルが伝えたものが代を継いで残ったものです。
歴史は、「そのときこうだった」という一時点を見るものだとは思っていません。ましてや、年代を暗記するものでもありません。変遷を経て今にどう受け継がれているのか、そしてその先を考えることが歴史を調べる、書く本当の目的だと思っています。

その意味で世界遺産の登録はたいへんなことでした。遠藤周作さんの書かれた『沈黙』がスコセッシ監督によって映画になりましたし、関連の書籍の刊行や講演も行われました。

講演のひとつに出かけました。潜伏キリシタンの研究をされているフランスの方の講演です(フランス語で通訳つき)。
珍しく、質問しました。
「キリシタンの方々が構成していた共同体の起源は、大友宗麟治世下の豊後でバルタザール・ガーゴ司祭らが申し出て設立したミゼリコルディアではないでしょうか」
「はっきりした記録はないが、私もそう考えています」とお答えいただいたと記憶しています。

あ、この質問の意味するところについては、もっともっと字数を使って10章に書くつもりです。

あとは、カトリーヌ・ド・メディシスの末裔にたまたま出くわしたことでしょうか。何度か書いています。今年のこと。この時期にフランスから留学して東京の片隅に留まっていることにもエールを送りたいのですが……。
「祖母がメディシスの子孫です。マルセイユに住んでいました」
と日本語ですらすらと言われたときには、本当に目を丸くしました。今年はカトリーヌのことを書くのに費やしましたから、一種のご褒美だと思っています。

そうですね、すべて書いていることに対するご褒美だと思っています。

今はこれでお金がもらえるわけではありませんので、ジリジリすることがないというと嘘になります。特に今は求職中ですので。
それでも、300万字、400万字とこのお話は書いていこうと思っています。

書くことだけはまだ粘れる。
そう思っています。

こちらは本来の小説投稿サイトにも追って出す予定です。
こぼれ話でした。


⚫今日の1曲

東京都から転出する人がじわじわと増えているようです。そうだなあ、わかるなあって思うのです。先が見えない感じがしますし、みんなで物理的に一致団結するわけにもいきませんね。集まれないから。

そんなことを思うとき、なぜかこの曲を思い出します。すごく長い歌詞なのですが、T.S.エリオットの有名な長編詩『荒地』を思い出したりします。意識はしていると思うなあ。タイトルの『Desolation Row』(廃墟の街、という邦題)はエリオットの方の原題『Waste Land』と言葉こそ違いますが、ニュアンスは同じです。あと、歌詞に『T.S.エリオットと(エズラ)パウンド』って出てきています。補完。

ただ、『荒地』もそうですが絶望の風景ではないのですよね。どちらにも戦争がありますが、「人の織り成すちょっと特別な時間をスケッチしようとしている」と受け止めるとすーっと入ってくるように思います。

今も特別な時間だと思いますが、どうでしょう。

BOB DYLAN『Desolation Row』

東京の空はそれなりですが、きれいです。

それではまた、ごひいきに。

尾方佐羽

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