暗黒報道56 第七章 戦争勃発
■2度目の出頭 逮捕か抹殺か
朝夕デジタル新聞はデジタルニュースで速報を流した。
大阪のホテルで発生した毒物混入事件で、大阪府警捜査一課の捜査本部は3日、マンション経営者の江島健一容疑者(42)が事件に深く関わったとして殺人の疑いで逮捕状をとり、取り調べている。容疑が固まり次第、逮捕する方針。
調べによると、江島は202X年9月1日正午過ぎ、ホテルエンパイヤー大阪で開かれた「オールマスコミ報道協議会」のパーティ用に調理されたビーフシチューの鍋にヒ素を混入した疑い。パーティでビーフシチューを食べた13人が死亡、15人が重症となった。
動機については明確にはなっていないが、マスコミに対して反発する言動を普段からしていたという。江島は国民自警防衛団(民警団)の初代事務局長を務めている。
特ダネだった。江島が犯人と断定される決定的な動画が大神から捜査本部に提供されたお返しに、捜査一課の調査官が、朝夕デジタル新聞社大阪府警担当キャップの滝川に耳打ちをして情報を伝えた。早朝、江島が連行される瞬間もカメラマンが撮影していた。
滝川キャップは府警本部の廊下を肩で風を切って歩いた。
ほかの報道機関は、「寝耳に水」で大混乱になった。長期間にわたり捜査の進展という本筋を追ってきた捜査一課担当記者たちは府警キャップに怒鳴られた。自社の府警ボックスに入るやいなや、いきなり殴られた者もいた。「事件取材に強い」と言われてきた太陽新聞の府警キャップは、事件担当デスクに「最後の結末で抜かれるとは何事だ」とカミナリを落とされた。「続報で抜き返します」と言っても、「遅い。お前はクビだ」と配置換えを命じられた。その担当デスクは、社会部長から「事件取材にどれだけの経費をつぎ込んだと思っているんだ。朝夕デジタル新聞の『重要参考人浮かぶ』の記事を批判してバカにしてきたが、最後の最後で赤っ恥をかかされた」と嫌味を言われ、社会部長は、編集局長に「お前の社歴も終わったな」の一言を浴びせられた。
江島は府警捜査一課の取り調べに、「俺は混入はしていない」と言い続けていたが、混入の瞬間の動画を見せられて観念し「間違いありません」と供述した。逮捕状が執行され、大阪府警刑事部長と捜査一課長による発表となった。
後藤田民警団会長と共謀して、報道関係者の殺害に関与したことも供述し始めていたが、余罪については発表では伏せられた。大阪府警の捜査が終わり次第、身柄は警視庁へ移送され、民警団が関わった数々の事件との関連について、本格的な取り調べが始まる。
朝夕デジタル新聞社社会部の緊急部会が招集された。社会部長の隣に大神が座っていた。田之上社会部長は70人の社会部員を前に言った。
「毒物混入事件の特ダネは、警察の動きを追うというだけでなく、記者が先行して事件の核心にたどりついた極めて稀なケースだ。大神が地道な取材を積み重ねて生まれたものだ。大神は訳があって休職扱いだったが10日ほど前に、社会部員として復帰することを私が許可した。以後、独自に事件を追いかけていた。だが、健康上の理由もあり、取材活動は毒物混入事件の犯人逮捕をもって一区切りとする。しばらくゆっくりしてもらう。そして、もう1つ、大事なことを伝える。水本夏樹さんを犯人視したと批判を受けた『重要参考人浮かぶ』の記事についての検証記事を掲載する。社としてけじめをつけることになった」
江島逮捕の2日後の朝刊一面に、「訂正とお詫び」の本記が掲載された。そして、見開き2ページの特集面を使って、取材の経緯とお詫びに至った経過を掲載した。水本夏樹にインタビューした時の状況についての詳細と、大神の謝罪の言葉も目立つ扱いの囲み記事になった。鈴木編集局長が記者会見して、局長を初めとした編集局幹部の処分を発表した。
下河原総理は連日、内政、外交で目が回る忙しさだった。さらに、まもなくスタートする初代公選首相を決める選挙についても圧勝するための準備を着々と進めていた。
外遊先からの帰国途中に、「江島に逮捕状」の一報が飛び込んできた。
翌朝、帰国するなり、官邸の執務室で、新聞全紙に目を通した。特に、朝夕デジタル新聞社の記事は隅々まで集中して読み込んだ。どこの社も1面社会面見開きの派手な扱いだったが、動機については「マスコミへの敵意」とだけ書かれ、余罪についても「今後追及していく」と触れられる程度だった。ネット記事やテレビニュースも同様だった。
内閣官房副長官の蓮見が総理執務室に入って来た。
「江島はいずれ逮捕されるとは思っていたが、なぜこの時期なんだ。夏樹が死んだことで捜査は暗礁に乗り上げていると聞いていたぞ。一体、なにがあったのだ」
「スクープ記事を書いたのは、大神由希のようです」と蓮見が言うと、下河原は厳しい顔つきになった。
「朝夕デジタル新聞社社会部の山本デスクから連絡がありました。江島が毒物を混入した動かぬ証拠を大神が見つけ出して、大阪府警の捜査本部に提供したようです」
「動かぬ証拠ってなんだ」
「江島が毒物を鍋に入れた瞬間をとらえた動画です」。下河原は呆れたようにうなった。
「そんな動画があるなんて俺の耳に入って来なかった。大神は一体どこから入手したんだ」
「わかりません。詳しいことは今、調べさせています」
「大神を捕らえろとさんざん発破をかけて来たのにいつも逃げられた。それでも表舞台での動きは封じていたはずだ。取材まで『虹』がバックアップしているのか」
「『虹』は脱退したようです。そして朝夕デジタル新聞社に戻り、取材活動をしているようです」
「なんだと。俺は聞いていない」
「総理は国政、外交面での諸課題が多く大変忙しくされています。事件の報告でお時間をいただくのは申し訳ないと思いまして細かい内容は私のところで止めていました」
「大神の情報は別だ。『虹』を脱退して、今はどこにいるんだ」
「新聞社です。そして、出頭すると言ってきています」
「出頭するだと。自分から言ってきているのか」
「社会部長が、『出頭させる』と今朝、警察庁の担当課に言ってきました。毒物混入事件が江島の逮捕で解決し、大神の取材もひと段落ついたので、出頭してくるようです。健康面で問題があり、しばらくは静養するとも聞いています」
「江島が逮捕されたことで、民警団の実態が暴露されるかもしれない。もとはといえば、民警団会長の後藤田が、マスコミ関係者の襲撃を命じたことがすべての始まりだが、そのあたりを報道機関が突いてくると政権にも影響がでてくる」
「余罪については警視庁捜査一課が中心に捜査をしています。立件に向けて一件ずつ、誰が指示して、実行犯は誰かを固めていく。ただ、後藤田がかなり細かいところまで直接実行犯に指示していて、江島が知らないことも多いようです。その後藤田が瀕死の重傷を負って入院しているのがこちらとしては幸いしました。記憶喪失で事情聴取もできない状態が続いています。マスコミが独自に深掘りしてくることはないでしょう」
「大神が静養するというのはどういうことだ」
「山本デスクの情報によると、大神は富士山麓での後藤田との対決で性も根も尽き果てたようです。後藤田の『空飛ぶクルマ』からの射撃で負傷もしている。それでも最後の力を振り絞って江島の逮捕原稿を書き終えた。そこでジエンド、ということでしょう」
「山本の情報もあてにならないことが多い。もっと有能な人材を新聞社に送り込め」
「わかりました。ところで、大神が出頭してきたらどうしましょうか。本人は逮捕される覚悟もできているようです。逮捕するか、逮捕せずに玄界灘の孤島に連れて行って抹殺してしまうか。出頭さえしてくれば、いともたやすく措置できます。ご指示をいただけば」。玄界灘の孤島には、白蛇島に閉じ込めていた報道関係者が移されていた。
下河原はしばらく考え込んでいた。そして口から発したのは意外な言葉だった。
「取り調べはする。だがすぐに解放しろ」
下河原は、大神に対して寛容な姿勢をみせることにした。現状、首相公選の対立候補は、田島速人になりそうな情勢だ。選挙で負けるはずのない相手だった。知名度がない上に、不倫問題まで暴露され、主婦層を中心に反発の声が沸き上がっている。
「北方独国」との全面戦争の危機を救ったとして下河原の評価が上がっている今、票を失う要素は1つでも少ない方がいい。報道機関の関係者が次々に失踪していることはすでに社会問題になり始めていた。後藤田の強引なやり方は、マスコミの力を削いだ点では功を奏したが、一方で、危ない橋を渡り過ぎて、大問題に発展する寸前になっている。
田島はマスコミ関係者の失踪事案に詳しく、国会でも追及してきていた。大神が出頭した後に逮捕されたり、行方不明になったりすれば、この問題が再燃する可能性があった。
「大神に対して、手荒なことはしなくていい。マスコミ規制法に引っかかるのは『重要参考人浮かぶ』の記事だ。江島の逮捕後、社としてお詫びの記事を出している。大神自身も謝罪している。国民が注視している中で、あの記事だけで逮捕するは難しい。まあ、俺が公選首相になってしまえばなにも怖くない。大神の処分もその後でいい。首相公選で圧勝することを最優先にする」
「わかりました」。蓮見はそう言った。だが、内心は違った。
「下河原総理は甘い。後藤田が健在であれば、チャンスを逃さず、大神の息の根を止めるはずだ。死因はなんとでもつけられる。大神が例え健康上の問題を抱えていたとしても、自由にさせるのは危険極まりないことだ」
大神はマスコミ規制法違反容疑で警視庁に出頭した。報道機関は大神の出頭の模様を速報した。新聞社と顧問契約を結んでいる弁護士が控室で待機した。永野洋子も加わった。内閣府報道管理局の職員と警察庁警備局の刑事が事情聴取を担当した。
大神は取り調べに対して、一回目の事情聴取で話したこととほぼ同様の話をした。「重要参考人浮かぶ」の記事以外の取材についても聞かれたが、ノーコメントを繰り返した。「間違いなく逮捕される」。そう覚悟したが、さほどの追及はなく、3時間の取り調べであっさりと解放された。
報道陣の囲み取材を受けた大神は「取り調べは厳しいものではなかった」と率直に述べた。
報道陣は一様に拍子抜けした感じだった。
(次回は、■取材か観光か。海外出張で核心をつかむ)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。