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暗黒報道52第七章 戦争勃発

■恋バナで盛り上がった直後に


 2月1日。1946年11月3日に日本国憲法が公布されて以後初めて、憲法が改正されることになった。日本国憲法の改正の賛否を問う憲法改正国民投票が行われ、自衛隊を憲法に明記する案件など10件の改正について投票が行われ、いずれも改正賛成が過半数を超えた。
 軍事大国への道を推し進める強権的な総理大臣、下河原信玄は投票日に向けて巨額の宣伝費を調達した。テレビ、新聞、雑誌、ラジオとあらゆる媒体に広告をうち続けた。日本が攻撃されるという危機感をSNSで煽り続けた.。デジタルボランティアが結成されて躍動した。「平和憲法を守り抜こう」と運動する市民団体幹部に対する誹謗中傷が殺到した。
 下河原の思惑通りになった。

 大統領型の「首相公選制」は、『内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する』と規定されていた憲法67条が改正され、『首相は、国民が選ぶ』という条文になった。任期は4年。
 公選首相には議会の解散権はない。逆に議会側は首相の不信任決議ができない。任期を終えても再度の立候補が認められる。選挙に勝ち続ければ死ぬまで公選首相でいることができる。国会議員20人の推薦があれば、20歳以上の日本国民であれば誰でも立候補できる。

 下河原は、間髪を入れず首相公選制による選挙を実施することを宣言した。5月3日の憲法記念日に第1回目の首相公選の選挙が公示されることになった。
 全野党首相公選対策協力会議(野党公選協)の大神由希への立候補要請は続いていた。だが、大神は一向に受ける気はなかった。
 「大神を必ず立候補させると言っていたのにいまだに前向きな返事がない。一体どうなっているんだ」。民自党代表が野党公選協の会議の場で民自党副代表の田島速人に対して声を荒らげた。
 「いろいろな人に頼んで説得したが、いい返事をもらっていない。記者という職業に生きがいを感じていて政治家に転身する気はないようだ」。田島は苦渋の表情を浮かべて言った。
 
 「一記者の影響力なんてしれたものだ。公選首相になれば情報を独占できるし、やりたいことがあればなんでも思い通りだ。公選首相になれる可能性があるのに断る気が知れん。そもそも大神は今は記者活動なんてしていないじゃないか。『虹』の正式なメンバーになったのではないのか。『虹』の活動にも貢献していると聞いているぞ。きっとペンより武器の魅力に取り付かれてしまったのだろう」
 民自党代表がピントのずれたことを言うと、田島が「いや、『虹』に一時的に匿ってもらっていたというだけだ。決してメンバーにはなっていない。その間も一貫して、大阪の毒物混入事件の解明など報道に執念を燃やし続けていた」と大神を庇った。

 「とにかく公示まであと3か月しかない時点で、候補者が決まっていないなどあり得ないことだ。せっかく統一候補を出すことで野党各党で合意したのに、このままでは下河原の信任投票になってしまう。もうこれ以上、大神に関わっている時間はない。別の候補者を決めて速やかに発表し、選挙活動に動き出そう」。民自党代表の提案を受けて、野党公選協の会議で新しい候補者の選考に入った。

 深夜になって田島を候補者にすることが決まった。田島が大神擁立に動いたものの説得に失敗した責任をとるかたちとなった。「自爆」だっだ。妻永野洋子と反社会的勢力との関係については、「妻は弁護士として関わっているだけで、癒着などは一切ない。ましてや田島自身は全く無関係」ということで押し通すことになった。

 立候補表明の記者会見の日程が1週間後に決まった。「平和憲法を取り戻そう」というスローガンが決まった。華々しく選挙戦をスタートさせるために、会見の後に、支援者2万人を総動員して野球場で決起集会を開くことになった。

 だが、会見前日発売の週刊誌に衝撃的な記事と写真が掲載された。
 
 「『不倫疑惑!』 公選首相候補の田島代議士 深夜の密会 お相手は、元女子アナウンサーの売れっ子タレント」。暗がりで2人が濃密なキスをしているところが高感度カメラで撮影されていた。ホテルから腕を組んで出てくるシーンなど3枚の写真付きの記事だった。

首相公選候補に決まったとたん、スキャンダルがはじけた

 「田島が首相公選に立候補することを決めた」との情報を入手した下河原陣営が田島つぶしに動いたのだった。論客として知られ、清廉なイメージの田島を潰す。容赦なかった。わかりやすいスキャンダルの暴露こそが有権者の印象を低下させるには最も効果的であり、田島陣営にとっては計り知れないダメージとなった。

 首相公選に正式に立候補を表明するための田島の記者会見は急遽、お詫びと釈明の会見に変わった。「不倫愛」とテレビでも取り上げられ、立候補表明どころではなくなった。決起集会も流れた。
 
 大神は、富士山麓での後藤田との対決からしばらくして、「虹」のアジトを出て、伊藤楓の母親が所有している都心のタワーマンションを一時的に借りて生活していた。警備は厳重で、「隠れ家」としてはうってつけだった。自分のマンションには長く帰っていなかった。

 永野洋子、伊藤楓、井上諒が夕方こっそりと訪れた。夫の不倫で落ち込んでいると思われる永野を励まそうと、楓が声をかけて食事会が実現したのだ。下世話な話が大好きな楓にとって、田島のスキャンダルは興味津々だった。大神が昼間から仕込んだコールマンカリーをみなにふるまった。

 「田島さんは大変でしたね。あの写真は本物ですか? フェイク写真なのでは」。大神が永野に同情して言った。
 「本物よ」。永野の声から張りがなくなっていた。「実はあの写真は、私と田島が結婚する前に撮られたものなのよ。田島が財務官僚だったときね。フリーのカメラマンが、当時から恋多き女として知られた民放アナウンサーを尾行して決定的な瞬間を撮影した。でも、田島もまだ局長だったし、女子アナもまだそれほど有名ではなかった。ニュースバリューに乏しいからという理由でどの雑誌にも掲載されなかった。田島は相当な金を払って写真とネガを買い取ったんだって」

 「田島さんと女子アナとの間で接点があったのですか」。大神が聞いた。
 「女子アナが記者のようにインタビュー取材をするのはよくあることよ。田島にインタビューしたことが知り合うきっかけだったようね」
 「フリーのカメラマンはお金を受けっとっていながら、すべての写真とネガを田島さんに渡さずに隠し持っていたわけね。許せない奴だ。でも田島さんの独身時代なんですよね。それなら問題はないかも」と楓が言うと、永野は「女子アナの方が結婚したばかりだったのよ。だから不倫。その後、テレビ局は辞めてタレントになり、最近、バラエティ番組でブレークしたらアイドルとか言われ出した。ネタとして価値が出てきたのでしょう。公選首相候補になった田島のイメージダウンをねらった相手候補側の思惑と合致して今になって高く売れた。まあ、田島の自業自得だけどね」

 「以前のことであれば、ご夫婦の関係が壊れることはないですよね」と大神が心配になって聞いた。
 「それがね、2人は最近になってまた会っていたのよ」
 「えー、ほんとですか」と楓が大声を上げた。「でもそれってどうしてわかったんですか。週刊誌には出てなかったけど」
 「今回の件があって問い詰めた時に、田島本人が話したのよ。おそらく来週号で続報として同じ週刊誌にでるんじゃない」
 「えー、懲りない女ですね。まだ続いていたとは。田島さんも浮気じゃなくて、本気だったのかな。永野さんという申し分のない素敵な奥さんがいながら、許せないですね」。楓が怒ってみせた。

 「2人の今の関係がどうなっているのかはわからない。だけど最近また会っていたというのは正直ショックだった。落ち込むなんて柄ではないけど、結構沈んだわ。だから家を飛び出してきちゃった」
 「当然ですよ。絶対に許しちゃだめですよ。男は懲りないし、すぐに図に乗りますから」。楓は心配そうにはしているが、囃し立てる様子は楽しんでいるようでもあった。
 「永野さんが落ち込む姿を見るのは初めてです。でも最近会っているのは何か理由があるのかもしれません。じっくりと話せば解決するかもしれませんね」と大神が言った。
 「ありがとう。少し落ち着いたら話をしてみるわ」

 「これで公選首相の候補選びはまた白紙に戻ってしまった。田島さんで一丸となって闘おうという機運が野党の中で高まった時だけに痛手は大きい」。女性陣の話に入っていけず黙って聞いていた井上が話題を変えようとして言った。
 「いよいよ大神さんが出馬するしかないでしょ」と永野が蒸し返した。「賛成」と楓が同調した。「だって、下河原に勝てる候補って、大神先輩ぐらいしか思い当たらないもん」
 「いやいやいや、私は立候補しません。きっぱりと断りました。政治家とか全く考えてなかったし、ましてや公選首相とか、私には無理です」
 
 「無理じゃない。ジャーナリストや学者、アスリートで政治家に転身した人はいっぱいいる。ところで大神さんは浮いた話はないの? 選挙になったら私生活は丸裸にされちゃうよ。不倫とかしていたら、田島みたいに暴かれる。大丈夫なの」と永野が言った。
 「立候補することが前提みたいに言わないでください。いい話とかあればいいけど、残念ながらないですね」

恋バナはいくつになっても楽しい

 「大神先輩は仕事が恋人だから。それとも、河野進のことが気になっているのかな。婚約までしたんだもん、未練はあるよね」と楓が余計なことを言った。
 「えっ、河野さん? 大けがを負わせてしまったことは気になっているけど、婚約が破談になった段階で、恋愛対象ではなくなったから。誤解しないでね」
 大神は少しむきになって言った後に、なんとも息苦しい気分になった。河野がジャーナリストの「ターゲット・リスト」を作成し始めた時にけんかし別れた。その後、楓を救うという名目はあったが、大けがをさせてしまった。今は入院中だ。どん底の生活に追いやった責任を感じていた。

 「女ってそういうものよ。いったん醒めたら忘却のかなた。河野君はどうだかわからないけどね。後藤田の居場所を突き止めようと総理執務室に侵入したのも大神さんの役に立ちたかったからでしょ。そう言えば、大神さんは親しかった人いたじゃない、テレビ局に。ほらっ、誰だっけ、そうそう吉嵜さんだ。どうなの?」と 永野が言った。
 全日本テレビ報道局の吉嵜デスクのことを言っていた。大神がテレビ局に出向していた時に2人で調査報道を担当して企業の不正を暴いたことがあった。その時は、永野は疑惑を追及される側で、取材の対象者だった。
 
 「いやいや、仕事上のお付き合いです。尊敬する先輩ですが、そういう関係ではない」
 「そうかしら、息が合っていたように思ったけど。怪しいわね」
 「吉嵜さんって、格好いいもんね。仕事もできるし。そんな話をしていたら、井上デスクが不貞腐れちゃっているよ。井上さんって本当は大神先輩のことが好きなんでしょ。私わかるの。大神先輩を敵から守るのに必死だもの。あそこまでガードするのは、特別な感情がないとできない」。楓がまた茶化すように軽いノリで言った。井上は40歳になったが独身だった。
 
 「何を言っているんだ」。井上は真剣な顔をして怒った。
 「あらっ、顔が赤くなっている。本当に大神さんのことを愛しているんじゃないの」。今度は永野がひやかした。井上は確かに頬あたりがほんのりと赤くなっていた。
 「やめてください。井上さんは今の政権とどう対峙していくかを必死に考えているんです。まじめな人をいじったりするのはやめましょう」と大神が井上をかばい、「そういう楓はどうなのよ。若いし、もてまくっているんじゃないの」と、楓の方に話を振った。

 「確かにもててはいます。ボーイフレンドはいっぱいいるし、適当に遊んでいます。でも私は結婚しません。面倒くさくて。生涯独身を貫きます。そっちの方が気が楽だしね」

 「もう、いい加減、そんな話はやめないか。それよりも今、もっと大事なことがあるだろう。田島さんの立候補に黄色信号が灯っているんだ。民主主義の危機、日本の危機を迎えているんだぞ」。井上が大声で一喝した。その一言で、女たちの「恋バナ」は終わった。

カレーは評判がよかった。おかわりが相次いだ


 大神のふるまったコールマンカリーは評判になり、「老舗の新宿中村屋のカレーの味とそっくりだ」と話題になり、全員がおかわりをした。

 午後7時になり、大神がテレビをつけた。NHKの全国ニュースが流れた。高速道路で長距離バスがガードレールに衝突して5人が死亡したという悲惨な事故の空撮映像が流れて、ヘリコプターに乗った記者が上空からレポートしていた。
 突然、テレビ画面が暗転した。数秒後、下河原の顔が画面いっぱいに現れた。テレビジャックによる緊急会見だった。
 
 「日本国民に告げる。緊急事態が発生した。日本海で『北方独国』のフリゲート艦が、日本の海上保安庁の巡視船に攻撃を仕掛けてきた。外交ルートで抗議し謝罪を要求したが、『北方独国』は全く聞く耳をもたない。両国の関係は最悪の状況になった。自衛隊に出動命令を出した。外交ルートのチャンネルはつながった状態だが、本格的な戦争に突入する可能性がある」

 「なに。戦争だと」
 井上がその場から立ち上がって叫んだ。全員が画面に釘付けになった。
 映像が流れた。
 海上保安庁の巡視船が左舷に激しい損傷を受けて煙を噴き上げている様子が映し出された。
 
(次回は、■日本海海戦)

         ★      ★       ★
         小説「暗黒報道」目次と登場人物           
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読 
第七章 戦争勃発 
第八章 最終決戦
エピローグ

主な登場人物
大神由希 
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
下河原信玄 
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
後藤田武士 
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
橋詰 圭一郎 
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
井上 諒   
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
興梠 守   
警察庁担当キャップ。

★大神由希周辺の人物
河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。

★下河原総理大臣周辺の人物
蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        
鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。

★事件関係者
水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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