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暗黒報道㊶第四章 孤島上陸

■「幸福公園」の片隅で


 白蛇島の惨事から2週間がたった。
 大神は地下組織のアジトで生活しながらなかなか眠れない日々が続いていた。自ら拳銃を発射したシーンが何度も夢に出てきてうなされた。精神安定剤を飲んでみたが心の動揺は治まらず、体も変調をきたしていた。
 「警察に自首してすべてを話す」と言っても、「虹」のメンバーからは相手にされなかった。「こちらは2名の死者を出した。君はさらに犠牲者が増えるのを防いだのだ。表彰されてもいいぐらいだ」とリーダーから言われた。

 河野は今どこにいるのだろうか。伊藤楓に連絡をとってみることにした。楓にとって河野は直属の上司であり、所在についての情報を持っているかもしれない。

 楓は、白蛇島事件の後、地下組織で3日ほど潜伏した。その後、母親が暮らす実家にこっそりと帰っていた。スピード・アップ社には行かず、「病気のため長期療養が必要となりしばらく休みます」とだけ書いて手紙を送った。

 父親の遺産を引き継いだ母親は都内一等地の豪邸に住んでいた。警備が厳重で要塞のようになっている。母親が心配性なためだ。楓は都心のタワーマンションで1人で暮らしていたが、マンション周辺は楓の行方を探す民警団が張っている可能性が高い。母親の豪邸に避難することにした。楓1人が隠れるスペースなどいくらでもあった。母親は一人娘の楓が報道の世界に入ったことが気に入らず、心配でならなかった。楓から「しばらく実家で生活するから」と言って戻って来た時は理由も聞かずに喜んだ。
 
 「報道からは足を洗いなさい。いい社会勉強をしたと思えばいいのよ。これからはお父さんが興したⅠT企業の経営に邁進しなさい。今、社内は、『創業者排除』を訴える経営者が実権を握ろうとして大変なのよ。あなたが立派な男性と結婚して伊藤一族として経営陣と闘って、反対派を排除してほしい。あなた自身がリーダーになって引っ張ってくれてもいいのよ」。気性が激しい母親は、現経営陣を一掃しようと株主対策に奔走していた。
 
 「急には無理よ。大神先輩のサポートをしなければならないし、やり残していることがいっぱいあるんだから」
 「大神さんは根っからの記者。プロでしょ。でもあなたは違う。遊び半分で務まる仕事じゃない。大神さんのようになろうと思っても無理だから」
 「うるさいな。遊び半分じゃないから。私だって命をかけて取材をしているんだから」
 「そんな危険なことをしているの?」
 「権力の中枢に入り込んでいい情報をとってきている。大神先輩と一緒に闘っているし、感謝されているんだから」
 「あなたは権力の怖さを知らない。権力に盾突くのはどうかと思うけどね」
 「権力が悪い方向に暴走しているのだから糾弾するのは当然よ。もういいからすこし黙っていて」。母親と顔を合わせるといつもケンカになった。
 
 スピード・アップ社の仲のいい同僚とは連絡を取り合っていた。
 同僚の話によると、河野は右手に大けがを負ったことで病院に入院して手術をした。けがの原因は社員には説明されていない。命に別状はなく退院した。急な人事異動で社長を退任して顧問になり、会社には出社しなくなった。自宅マンションは売り払ったらしい。
 
 楓が河野の状況について聞いてから間もなく、大神から電話があった。
 「河野さんは今、どこでどうしているの? 知っていたら教えて」
 「それが…」。楓は口ごもった。
 「知っているのね。無事なの? 教えて、どうしているの」
 「河野さんは病院で手術してすでに退院したそうです。命に別状はないようです」。これ以上は聞いてほしくなかった。「命に別状はない」というだけで納得して電話を切ってほしかった。
 
 「そう、それはよかった。それで今はどこにいるの?」。やはり聞いてきた。
 「どこにいるのかは会社でもごく一部の者しか知らされていない。大神先輩は行かない方がいいと思います。河野さんの今いる所は危険な場所です。反社会的勢力の人が一帯を仕切っていて、指名手配犯が隠れ住んでいるという噂も耳にします」

 「どうしても会いたいのよ。一生のお願いよ。楓にとっては拳銃を向けられた相手だし許せない気持ちはわかる。でも私は大けがを負わせた加害者。楓には迷惑はかけない。場所を教えてくれたら1人で行くから」。楓が居場所を教えなかったとしても、大神は必ず突き止めるだろう。

 まさか、大神先輩はまだ婚約していた時の気持ちを引きずっているのだろうか。美人で優秀で凛々しくて格好いい女性なのに、なんで河野とか決断力のない優柔不断な男に惹かれたのか。下河原総理の言いなりになって闇落ちして、保身のために楓に銃口を向けた。ダメンズの典型ではないか。恋とか愛とかいうのはわからないものだ。

 「わかりました。それでは大神先輩を連れて行きます。でも女性が1人で行くところではない。井上さんに同行してもらってください。私も車に乗って近くまでは行きます」
 「ありがとう。恩に着るわ。井上さんに相談してみる」
 
 「虹」のワゴン車に乗って河野のいるところに向かった。午後3時。助手席には楓、後部座席に大神と井上が乗った。大神も井上も変装していた。
 「後ろから車がついて来ていますね」。楓はバックミラーをじっと見つめていた。
 「虹のメンバーだ。白蛇島の件があってから、下河原総理の号令なのか『虹』のアジトを突き止めようという動きが活発になってきた。俺と大神が出る時は、外出先でも警備がつくようになった」と井上が説明した。

 1時間ほど走ってから、人通りの多い繁華街に着いた。そこから、裏手に入る道をゆっくりと進んだ。一方通行の道をしばらく行くと、街の様子が一変した。
 バラック建ての家が並んでいる。「ホームレスの街」と最近言われるようになった場所だ。布団にくるまって寝ている人があちこちにいた。ゴミが乱雑に散らかっている。自転車がずらっと並んでいた。日雇いの仕事にでかける人たちはどこからともなく自転車でやってきて、トラックで工事現場に向かう。一泊1300円と書かれた安宿が派手な看板を掲げていた。
 
 世界各地で起きている戦争や紛争の影響で、日本経済は大きな打撃を受けて企業倒産が相次ぎ、失業者が街にあふれた。若者の働く場が激減した。一時期、あまり見られなくなったホームレスがここ数年、急増した。その中に若者の姿が目立つようになってきた。貧困層が集まる地域があちこちにでき、日雇い仕事の斡旋で反社会的勢力が暗躍していた。

 コインパーキングで車を停めて、大神と井上だけが降りた。楓は運転手と共に車で待っていると言う。
 11月も後半になると、吹く風が冷たくコートを着ていても寒さを感じる。
 「幸福商店街」と書かれた通りを歩く。 
 ドンと小柄な男が大神にぶつかってきた。手に持っていた小瓶が道に落ちて割れた。
 「おーい、どうしてくれるんや。大事な酒を」。男はとろんとした目で大神を見た。威圧感も迫力もなかった。
 「おいおい、そっちがぶつかってきたんじゃないか」。井上が1000円札をそっと握らせて引き取らせた。

 目当ての広場はすぐ近くにあった。「幸福公園」という看板が掲げられていた。公園の周囲にはビニールシートを屋根替わりにした掘っ立て小屋がいくつも並んでいた。日雇い労働をして帰ってきた人たちがぽつりぽつりと集まってきていた。まだ日暮れには早いが、ボランティアによる炊き出しが始まったようで、行列ができ始めていた。

 大神と井上は辺りを見回りながらゆっくりと公園を歩いた。ジーンズをはいて普通の服装をしていたが2人は公園に似つかわしくなく浮いた存在になっていた。
 酔っぱらい同士がけんかを始め、周りに野次馬が集まっていた。その集団を避けていくと、落書きだらけの公衆トイレの横にあったベンチに1人の男性がぽつんと横になっていた。右腕にはギプスが装着され、手首には包帯が巻かれていた。

ホームレスの街。河野はポツンと一人でいた。


 河野進だった。ブルーの薄汚れた作業服を着ていた。うとうとしていて目が開いているのか閉じているのかはっきりしなかった。周りの空気にすっかり溶け込んでいた。
 「河野さん」。大神が問いかけると、河野はゆっくりと顔をあげた。けだるそうに2人を見た。
 「ああ、その声は由希か。顔は全く違っているけどな。よくここがわかったな」と言って力なく笑った。
 「ここで何をしているの?」
 「ここが俺の現在地。とても居心地がいいんだ。病院を退院してからずっとここにいる」

 「いったいどうしちゃったのよ。なんでこんなところに一人で座っているの?」
 「別にいいだろう。すべてにやる気がなくなっただけさ。ここではなにも考えなくていい。経営のことも記者会見のことも。煩わしい人間関係ともおさらばさ」
 「なにを言っているの。しっかりしてよ。手が不自由だから仕事もしていないんでしょ」
 かつての恋人。婚約までした男がこんな姿になってしまうとは。男ばかりの公園で、大神の存在は場違いだった。大神の声が大きくなっていくことで、周りの男たちが興味深そうにじろじろ見ていた。

 「どこに住んでいるの? まさか野宿なの」。声を潜めて聞いた。
 「いや、今は寒いから、近くの宿で寝泊まりしている」。大神は少しほっとした。
 「手首は大丈夫なの? 手術したと聞いたけど」
 「ああ、これか。作業中に機械に挟まれてケガをしたんだ。労災申請も出した」
 「機械に挟まれた?」
 「そうさ。それが嘘だということは君にはわかっている。ただね、撃たれたなんてことが表に出ていいことはなにもない。俺にとっても、君にとっても」

 「ごめんなさい。私のせいで……」。大神の声が詰まった。
 「いやいや、俺がいけないんだ。銃口を楓に向けたのは俺だ。本気で撃ち殺すつもりで引き金を引こうとした。どうかしていた。完全に狂っていた。君のおかげで目が覚めた。むしろ感謝している」

 「社長は退いたけど顧問になったと聞いたよ」
 「下河原総理に捨てられた。あの人は容赦ない人だ。使い物にならなければポイだ。よく殺されなかった。会社は事実上のクビだ。顧問というのは肩書だけだ。お情けでわずかなお金が振り込まれている。それもいつまで続くのかわからない」
 「スピード・アップ社には全く出勤していないのか」。井上が聞いた。
 「行っていない。岸岡にはこの幸福公園近辺にいることだけは伝えている。時々、目つきの鋭い男が俺の方を見ている。警備の人間が監視のために巡回しているのだろう」。河野はそう言うと、頭を抱え込み、視線を下ろした。
  
 「ようやく気が付いたんだ。すべて俺が間違っていた。『孤高の党』の広報・宣伝の募集があっておもしろいなと気軽に応募した。採用されるとは思ってもみなかったのに、岸岡が開発した『広報戦略』の提案が評価されて採用された。大金が会社の銀行口座に送金されてきた。俺の個人口座にも送金されてきた。そこからおかしくなった。これで倒産しなくてすむ。親や友人に借金を返すことができる。社員をクビにしなくてすむ。下河原総理の言うことはなんでも聞くようになった。失いたくなかったんだ、せっかく得た地位と金を。由希の助言にも耳を塞いだ。いまさら許してもらおうとは思わない。ただ謝りたい。俺は人を幸せにできるような男じゃなかったんだ」

 河野の目から涙がぽたぽたと落ち、乾いた地面に染みができていった。公園の中央付近のけんかは決着がついたようだ。周りを取り囲んで囃し立てていた男たちが今度は河野や大神の方に近づいてきた。おもしろいことが起きそうだと、刺激を求めているようだった。
 
 井上が大神に合図して場所を移動した。3人は公園を出て少し離れた古びた喫茶店に入った。だだっ広い店だが、客はまばらだった。一番奥の席に座った。
 短い移動だったが、河野も落ち着いてきたようだった。
 「それで今日はなんの用事で来たんだ」。河野が聞いた。
 「河野さんのことが心配で会いに来たのよ。白蛇島で起きたことは今でも夢ではないかと思ったりする。でも大けがを負った河野さんが目の前にいる。夢なんかじゃない、すべてが現実だった」
 「もう、よそう、その話は。すべてが終わったことだ」
 「これからどうするの」
 「別になにも考えていない。当分、ここの近辺で生活していくことになる。ここでは肩書も必要ない。金もかからない、名前も聞かれない。まるで天国だ」

達観したのか

 「天国って。けがをしていたら、力仕事なんてできないでしょう」
 「そうだな。でも、ほかにやることはない。今さら俺ができることなんてなにもない」
 「さっき、自分のことを『弱い人間だ』と言ったよね。逆だよ。河野さんは強い人だよ。自分で正しいと思ったことを貫いたんだから。確かに経営がしっかりしていないと、組織ジャーナリズムはぐらついてしまう。私が大けがを負わせたのになかったことにしようとしてくれている。強い人じゃないとできないことだよ」

 「そうだ、君ができることはまだまだいっぱいある」。井上が割り込んできた。
 「下河原の側近として仕えて、いろいろなことを見聞きしてきたはずだ。その情報は我々の活動にとって極めて有益だ。のどから手が出るほど欲しい。君が『白蛇島』に現れたのには驚いた。君はあの島についても大抵のことは知っているはずだ。教えてくれ、あの島にはいくつの遺体があったのか。一体誰なのか」
  河野はしばらく黙っていたが意を決したように話した。
 「白蛇島の遺体は全部で20体。ジャーナリストが13体。後は弁護士と大学教授。政府から反体制派として認定された人たちだ」
 「反対勢力を処刑する場所だったということでいいのか」
 「その通りだ」

 「楓が小部屋で監禁されていた時、スクリーンに後藤田が現れたらしい」。井上が言った。
 「後藤田、そう後藤田は今、どこにいるの? 居場所を知っているの?」
 後藤田という名前を聞いた途端、大神が前のめりになった。
 「富士山麓ということは聞いたことがある。後藤田だけの拠点を建設中だった。もう完成していると思う。富士五湖の西湖近くだと聞いたが、正確にはわからない。どうしても知りたいならば探ってみる」
 「そうか。でも河野さんはこれ以上危険なことはしないで」
 「危険を冒さなければいいネタはとれない。君が一番よく知っていることだ」
 「後は私がやるから」
 「いや、いくら君でも無理だ。総理の執務室に入り込む必要がある。俺だったらできる。居場所が判明したらメールで送るよ」
 「総理の執務室なんて勝手にはいっちゃだめよ。今度は殺されちゃうよ。本当に私がやるから。私は河野さんに会ったら自首しようと思っていた。でも、後藤田の居場所をなんとしても突き止める。そして会って問いただす。後藤田とは刺し違えてもいいと思っている」
 
 「刺し違えるとか物騒なことは言わないでくれ。自首ってなんだ。俺をめがけて撃ったなんてことはなかったんだ。俺の右手首は父の工場でバイト中に機械にはさまれてケガをした。父が証言者だ。それだけだ。絶対に自首なんてしたらだめだ。警察にのこのこ出て行ったら、すぐに捕まってしまう。そして殺されてしまう」
 
 「報道関係者の誰を殺害するのかという選別は誰がしていたんだ。下河原か後藤田か蓮見か。あるいは別の人物がいるのか」。井上が聞いた。
 「下河原総理でないことは確かだ。ブラックリスト作りは総理の指示で、出頭までは蓮見が指揮した。あとは民警団に任せていたはずだ」
 「殺害は、民警団会長の後藤田が最終決定していたということね」。大神が確認するように言った。

 大神と井上は河野と別れて、ワゴン車に戻りアジトに向かった。
 楓は何も聞かなかった。

(次回は、第五章青木ヶ原の決闘 ■大統領からの密書)

                   ★      ★       ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物           
目次 (章立てを一部変更)
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発 
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読 
第七章 戦争勃発 
第八章 最終決戦
エピローグ

主な登場人物
大神由希 
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
下河原信玄 
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
後藤田武士 
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。

★朝夕デジタル新聞社関係者
橋詰 圭一郎 
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
井上 諒   
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
興梠 守   
警察庁担当キャップ。

★大神由希周辺の人物
河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。

★下河原総理大臣周辺の人物
蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        
鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。

★事件関係者
水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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