暗黒報道㊹第五章 青木ヶ原の決闘
■謎解き 大神が名探偵になる
青木ヶ原の樹海の一角に立つ屋敷の近くに、大神由希らを乗せたタクシーが停まった。
「大きい。樹海の中に、こんなでかい建物があったのか。知らなかった」。井上はそれだけ言うと黙ってしまった。岸岡が続いた。「ここは国立公園の中ではないか。ということは国の施設なのか」
大神は後部座席でスマホの画面を凝視していた。防犯カメラの映像を早送りしてチェックしていた。
「最近新築された屋敷のようです。この場所が国有地なのか、一部に残っている民間の敷地なのかは調べていないのでわかりません、もっとも、下河原総理がその気になればなんとでもなるのでしょうが」
「えっ、総理が関係する屋敷なのか。ひょっとして別荘か」
「いえ、別荘ではありません」
「ここが数々の事件の真相にたどり着くきっかけになる場所なのか。一体誰が住んでいるんだ。もういいでしょ、教えてくださいよ」
「誰がいるのかはすぐにわかります。もう少しだけ待っていてください」
大神の目はスマホに注がれたままだ。沈黙が続いた。
突然、「よしっ」と大神が気合をいれるように言って、スマホをしまって車を出た。井上と岸岡が後に続いた。大神は躊躇なく、正門横のインターフォンを押した。応答はない。もう一度押した。
「どちら様ですか」。5分ほど経った時、突然、男の声がした。屋敷の中からだった。
「大神由希です。記者です。スピード・アップ社の岸岡社長と、朝夕デジタル新聞社会部の井上デスクと一緒です。御主人様に極めて重要な用事があって伺いました。こちらは、タクシーの運転手さんを除いて3人です」
インターフォンは沈黙した。1分、2分、5分、10分……。時間が止まった。静寂が一帯を包み込む。
「ご主人様とは誰なんだ」。岸岡がしびれを切らせて大神に聞いた。
「静かにしてください。誰だかはすぐに分かると言ったでしょ」
「応答がないじゃないか。来訪の予約はしたのだろうな」
「していません」
「えっ、予約をしていないの?。いきなりだったのか。めちゃくちゃだ。記者が突然インターフォンを押して、住人が家に入れると思うか? あり得ない。計画性が無さすぎる。もう十分だ、帰ろう」
岸岡がしゃべり終わった、まさにそのタイミングで、鉄の門が音もなくすっと開いた。3人は顔を見合わせた。タクシーを外に待機させて中に入った。屋敷の玄関まで20メートルほどあった。玄関のドアが開いていた。そこに立っていた大柄の男に、大神は見覚えがあった。
江島健一。
大阪のホテルで起きた毒物混入事件で注目された水本夏樹にマンションの部屋を貸した男。国民自警防衛団(民警団)大阪の代表だったがその後、東京に出て、民警団本部の初代事務局長に就任した。民警団にまつわる事件が多発した時、大神は江島に再取材しようと事務局に何度も電話したが、会うことはできなかった。
「お久しぶりです」。江島が大神に向かって頭を下げた。
「門がなかなか開かないので、ご主人様は会う気がないのかと思いました。でも開いた。よかったです」
3人は屋敷の中に足を踏み入れた。江島の先導で、長い廊下を通り、突き当りの大広間に通された。
奥の庭に面した場所で、大きなリクライニングチェアに男が寝そべっていた。大神らに気付くと、ゆっくりと椅子を回した。大神と目が合った。
民警団会長の武宮を名乗る男、後藤田武士だ。
「よく来たな、大神由希」
「ご無沙汰しております。武宮会長、いや、後藤田武士。門を開けていただけないのではと思っていました」。井上も岸岡も後藤田のことは、知っている。
「一体、なんのまねだ。ここに来客はない。俺が静かに過ごすだけのところだ。鳴るはずのないインターフォンの音で、江島がここに飛んできた。外の映像を見ると、大神由希が立っているではないか。著名なジャーナリストがわざわざ、こんなところまで出向いて来られたんだ。お通ししないわけにはいかんだろう。それにしても、お前は相変わらず勇敢だな。というか無謀なバカだ。以前となにも変わらない」
「あなたは自殺したと見せかけ、他人に成り代わり、整形までしてこんな所に隠れている。実は気の弱い方なのですね」
「ふん、なんとでも言え。民警団総会で、お前が目の前に現れた時にすぐにピンときていれば、その場で取り押さえていた。俺ももうろくしたもんだ。なぜ、俺がここにいるとわかったのだ」
「いろいろな情報、証言を繋ぎ合わせてこの近辺であることがわかってきました。後は地元の自治体で建築確認申請を調べたり、事情通の方々に聞いて回りました。青木ヶ原近辺で建物を建てられる場所はごく限られているし、新築されたばかりの家はここしかない。以後、一週間、この家のすぐ前で張り込みを続けた。荒涼たる樹林が広がっているので隠れるところはいっぱいある。そして後藤田武士が車で出入りしているのを目撃しました。向かいの木の上に高性能カメラを仕込んであなた方の動向をチェックしました。そして今、後藤田武士がこの屋敷に滞在しているということを確信してインターフォンを押しました」
「それを全部一人でやったのか。たいしたもんだな。さすがは大神由希だ。誉めてやろう」
「死神として恐れられている後藤田さんに誉められて光栄です」
「それでなんの用だ。井上、岸岡はなんだ。お前が連れてきたサルとキジか。お前にとっての敵陣に丸腰で乗り込んでくるとはな。よほどの用件があるのだろう」
これまで一言も話さなかった岸岡が突然、声をあげた。
「気を付けてください、会長。この女は丸腰ではありません。拳銃を持っています。ズドンがあります」
「ズドンだと」。後藤田が不審な顔をした。
大神は笑って言った。「拳銃なんて車の中に置いてきたわ。身体検査でもする? もともと銃弾も込めていなかった」
「なんだと」。岸岡がうめいた。
「ここに来たのは、お前たち3人だけなんだな」。後藤田が聞いた。
「そう言ったはずですが、なにか?」。大神が言うと、岸岡が「3人です。すべてが大神の個人プレーです。私は拳銃で脅されてきた。井上も車の中で、『どこに行くのだ』と大神に何度も聞くなどびびっていました」と言った。
「3人だけというのは信じよう。大神は癖の強い女だが、嘘はつかない。それならばゆっくりしていってくれ。初めての来客だ。もっとも40分だけだ。江島が近くの自衛隊の演習場にいた民警団の精鋭部隊に連絡をとったようだ。今日は精鋭隊員は3人しかいないようだが、こちらに向かってくる」。後藤田が言った。
「あなたはいつも助けが必要なのですね。40分もあればすべて済みます」。そう言った大神はゆっくりと語り始めた。
「私は、大阪のホテルで起きた毒物混入事件から白蛇島まで続いた奇怪で残忍な事件の真相を解明したかった。残念ながら私の取材不足で不明な点、わからないことだらけです。これ以上、周辺をあたっても時間ばかりかかって埒が明かない。ということで、相次ぐ事件の主役と考えられる後藤田民警団会長にインタビューし、説明していただきたくてここに来ました」
「事件の真相を解明しようというのか。名探偵のようなことをするんだな。だが、面白そうだ。付き合ってやろう」。後藤田は面白がって言った。
「残念ながら、私は名探偵ではない。すべての事件をあっという間に解決してしまうような芸当はできません。しかし、みなさんが私からの質問に正直に答えていただければ、真相が明らかになってくるはずです」とそこまで話した時、すぐ横の長いソファの上で微動する小さな塊に目がいった。
毛布が掛けられていた。犬か、猫か。それにしては少し大きい。すると、上にかかっていた毛布が動いて床下に落ちた。中にくるまっていたものが立ち上がった。
大神は一瞬にして固まった。見覚えのあるはっきりした顔立ちの少女だった。
「セイラちゃん」。思わず叫んでいた。
後藤田と江島については、この屋敷に入っていくのを樹海の木々に設置したカメラで確認していたが、水本夏樹の一人娘のセイラがいるなどとは全く予想していなかった。
「おねえちゃん」。セイラも久し振りに見た大神に驚いていた。
「ど、どうしてこんなところにいるの?」。大神が聞くと、セイラは「あのおじさんが助けてくれて、ここに連れて来てくれた。欲しい物なんでもくれる」と言うと、後藤田の方を指さした。
「どういうことなの。この人についていったりしたらだめよ。この人は殺人鬼なのよ」。大神は取り乱していた。犯罪サイコパスと言われる後藤田に会うことは相当な勇気が必要だった。捕まったら何をされるかわからない。だが、真相究明のためには、後藤田にインタビューするしかなかった。インターフォンを押す時には、覚悟を決めていて、すっかり落ち着いた気持ちになっていた。
しかし、セイラの登場は全くの想定外だった。しかも、後藤田を信頼してしまっている。後藤田との1対1の真剣勝負に臨むはずが、心が動揺している。分が悪くなっていた。
「少女に向かって『殺人鬼』はないだろう。怯えてしまうじゃないか。セイラが松本の小学校でいじめに遭い、親代わりの叔父からも虐待を受けていたので、江島に言って助け出したんだ。俺は賢いこの子なら、親になってもいいと思っている。殺人鬼どころか、実は心優しい男でね。ひどい目に遭っている人や子を見ると放っておけないんだ。この子の母親もそうだった」
「母親? 夏樹さんのことね。夏樹さんを救ったというのはどういうことなの」
「かわいそうに、美容液商法をマスコミにたたかれて、追いかけまわされていた。挙句に経営していた会社が倒産して、路頭に迷った。すぐに部下に命じて声をかけたよ。困っている時に助けてもらうと、人間、心底、恩にきるもんだ。資金も援助したし、江島に言って大阪で住むマンションの部屋も用意した。随分と感謝されたな。『指示を出してくれればどんなことでもやる』とまで言っていた。とにかく諸悪の根源はマスコミだ。弱い者を見つけると、よって、たかってたたきまくる。俺は報道機関をつぶすためならなんでもやってやる。報道機関に恨みを持つ人間はみな同志だ」
「とんでもない男に目をつけられたものね。大阪のホテルでの毒物混入事件の背後には、殺人鬼のあなたがいたのね」。セイラの存在はいったん忘れて、本題に戻った。
「おっと、それは違うな。すぐに思い込み、断定調に発信するのはマスコミの悪いところだ。各地の民警団に『身近な報道機関と記者を襲え』と指令を出したが、具体的な指示はしていない。それぞれの地区の民警団が勝手に動いたのだ」
「事件を起こせば、褒美の金が補助金の名で回ってくる。そんな指示を出せば、事件を起こそうとする人が増えるのは当然です」。橋詰が調べたメモに書かれていた内容だった。
「フフフ、よく調べているな。大阪の毒物混入事件については江島がてがけた大仕事だ。事前に何の予告も俺にはなかった」
大神は江島の方を向いた。
「江島さん、橋詰記者と2人であなたに会いに行った時、あなたは夏樹さんのことを入居するまで知らなかったと言いましたね。最初から嘘をついていたわけですね」
「それがどうしたと言うのか。お前たちに最初からホントのことなんか言えるか」。ふてぶてしく言い放った。
「改めて聞きます。後藤田会長は今、あなたが毒物混入事件の仕掛け人だった、という趣旨のことを言われました。間違いないのですね」
「大神さん、あなたがどこまで知っているのかをまず説明してもらいましょう。いらんことをしゃべらずに済む」
セイラは大人たちの会話に関心がないかのように、ソファに腰かけてスマホをいじっていた。ゲームを楽しんでいるようだ。
「これを見てください」。大神はそう言って、1枚の写真を胸ポケットから取り出した。黒い帽子に濃紺のジャンパーを着た男が映っていた。
「これは江島さん、あなたですよね」。江島は写真を凝視した。無言だった。
「毒物混入事件が起きた1時間前、ホテルの従業員専用出入口の防犯カメラに映っていた映像です。事件とは直接関係ない場所なので、映像を見せてもらえました。最初に見た時は気付きませんでしたが、江島さんに会った後に再び映像を見た時、背丈と、歩くときの特徴が江島さんに似ていたのでピンときました。そしてよく見ないとわからないのですが、胸のポケットに『J』のマークがついています」。江島は観念したようにうなずいた。
「この写真の人物が私だということは認めましょう。よくわかりましたね。ただ、私がホテルに入ったとしてもそれが一体どうしたというのです」
「あなたはオールマスコミ報道協議会の総会があのホテルで開かれることを知り、事件を起こすことを計画した。民警団の部下をホテルのコック見習いとして就職させ、事件当日は、この部下のカードを使い、従業員出入口からホテルに入った。部下がいつも『J』マークのジャンパーを着ていたので同じ服装にした。そして調理場にも入った。調理場の出入口の防犯カメラにも、部下ではない、江島さんの姿が映っています。江島さんと夏樹さんの2人が、事件発生前の同じ時間帯にあのホテルにいた。夏樹さんは宴会場にいて、壁一つ隔てた調理場には江島さんがいた。江島さんはなぜホテルの調理場にまで入ったのか。説明していただきたい」
「別に説明する必要はない」
「江島さんが夏樹さんに命令して、ヒ素を持たせてシチューの鍋に混入させようとしたのですね」
「私がなんのためにそんなことをするんだ。動機がない」
「6月ごろからマスコミ関係者に対する襲撃が始まっていた。通り魔のようなケース、集団での暴行、ターゲットを決めての狙い撃ちなどさまざまな犯罪が全国各地で起きた。マスコミ憎しで凝り固まった民警団のトップからの指令が出ていたことはさきほど伺いました。一方、江島さんは民警団活動に熱心で、さらに東京に行って幹部として登用してもらいたいという気持ちが強かった。しかし、マスコミ関係者の襲撃という点でかなり出遅れてあせっていた。そんな時、地元大阪で、オールマスコミ報道協議会の総会が開かれることを知り、大混乱に陥れることを思いつき実行した。『江島がてがけた大仕事だ』という会長の言葉がありましたが、その働きが評価され、本部の事務局長に抜擢された。動機についての説明は以上です」
大神はこれまでの取材の中で得られた情報をもとにストーリーを組み立てた。毒物混入の核心部分には触れていなかったが、江島は明らかに動揺していた。後藤田は不敵な笑みを浮かべている。セイラは相変わらずスマホのゲームに興じていた。
「あなたの推理は大したものだ。ただ肝心なのは、鍋に毒物を入れた人間が誰かということでしょう。罰せられるのはその人物だけだ」
「それは一体、誰なんですか。教えてください。江島さん」
「知らない」
「知らないはずはないじゃないですか。仕掛け人なのでしょ」
「私ではない。誰が混入したのかは言えない」
「そういうわけにはいかない。この際、はっきりしてください」
江島が追い詰められ目をしばたかせた時、後藤田が口をはさんだ。
「まさに、真相は驚くべきことだ。そのカギを握っているのは、この小娘だ」
ゲームに興じているセイラの方を見た。
セイラの目が一瞬、光った。
(■サイコパスは小型核爆弾を持っていた)
★ ★ ★
小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。