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暗黒報道⑮ 第二章 報道弾圧

■セイラが毒物を入れた? 府警キャプは笑い転げた


 大神は東京に戻った。松本市に残ってもセイラにこれ以上、話を聞くのは難しいと判断した。さらに取材を続けたら、本当に誘拐容疑で告訴されていただろう。

 翌日も、内閣府報道管理局と警察庁からの呼び出しはなかった。東京社会部にいても、毒物混入事件のことばかりが気になった。セイラの別れ際の行動が気になって仕方がなかった。大阪府警はどこまでの情報を握っているのか。セイラからも話を聴いているはずだが、どのように受け止めているのだろうか。

 夕方、新幹線「のぞみ」に飛び乗った。新大阪駅に着くと同時に、朝夕デジタル新聞の大阪府警ボックスに電話して「今から行きます」と伝えた。タクシーで大阪城に面した大阪府警本部に向かった。そして府警ボックスに入った。普段は15畳ぐらいの狭いスペースに事件担当記者6人が詰めている。捜査一課、二課、三課、四課、防犯・交通、警備・公安など担当が分かれている。それを統轄するのがキャップだ。
 5人は、すでに刑事宅を直接訪ねる夜回りに出払っていて、府警担当キャップの滝川が1人でボックスの留守番をしていた。

大阪城のしゃちほこ。城の周囲に高層ビルが立ち並ぶ。


 「東京社会部のスクープ記者が府警ボックスになんの用事ですか。警察庁に行った方がいいのでは。政治力でネタがとれるらしいし」。早速、皮肉の言葉を浴びた。
 「ホテルでの捜査一課長の会見では当たり障りのないことばかりしか言わないので、実際の捜査がどうなっているのかわかりません。会見では出てこないところの細かい情報を聞きたくて来ました」
 「一課担当の夜回りメモは、『情報ボックス』に入れているけど。それを見たら」
 「もちろん見ていますし、参考にさせてもらっています」
 「じゃあ、それでいいだろう」

 「あそこに出ていない内容もあるのではないですか。『情報ボックス』にはないデータで記事が出稿されていることもありますよね」
 「何が言いたいんだ。俺たちが隠しているとでも言いたいのか」
 「いえ、メモには書けないような情報とか、府警担当記者の中で出回っている話とか噂とかでもいいんです。教えてもらえませんか」
 「回りくどい言いかたをしないではっきり言ったらどうなんだ。一体何が知りたいんだ」。滝川キャップの顔が真剣になっていた。

 「ビーフシチューの鍋に毒物を入れたのは誰なんですか」。大神がストレートに聞いた。
 滝川はしばらく黙ってしまった後、呆れたように言った。
 「いきなりなんだ。それがわかれば誰も苦労しないだろ」
 「滝川キャップの見立てはどうですか」
 「俺の見立てを聞いてどうするんだ。それともなにか、スクープ記者さんは何かをつかんだのか。それならば先にそのネタを言ってくれるか」
 
 大神はまじめな表情で質問を続けた。
 「捜査一課は夏樹さんの犯行だと見ているのですか」
 「最初はそう見ていた。だから厳しく取り調べたのだ。しかし、死んでしまっておじゃんだ。暗礁に乗り上げてしまった」
 「夏樹さんは取り調べに対して何と言っていたのですか」
 「私はやっていない。鍋にヒ素を入れていないと言い張った」
 「誰が犯人だと言っているのですか」
 「それは言っていない。その点については完全黙秘だ」

 「パーティ会場にいたのは、夏樹さんだけですか」
 「どういう意味だ」
 「長女は一緒ではなかったのですか」
 「長女?」
 「娘です。小学3年生。夏樹さんの一人娘です」
 「ああ娘か。一緒だったかどうかは俺は聞いていない」
 「防犯カメラには映っていないのですか」
 「だから俺は聞いていない」

 「刑事部長に確認してもらえますか」。府警本部長と刑事部長に面会できるのは、原則大阪府警担当キャップと決まっていた。
 「『重要参考人浮かぶ』の記事で、今、刑事部長とうちの社との関係はあまりよくないんだ。会えるかどうかわからん」
 「私が面会の予約をとってもよろしいでしょうか」
 滝川はしばらく黙った。そして言った。
 「どうしてその娘が気になるんだ」
 「長女が会場に来ていたかどうかだけでも知りたいんです」

 不審な顔をしていた滝川がふとなにかに気が付いたように目を見開いた。
 「えっ、まさか……」
 滝川はいきなり笑い出した。「まさか、その娘が、小学3年生が犯人だとか言うんじゃないだろうな」
 「そんなことは言っていません。娘がパーティ会場の防犯カメラに映っていたかどうかを知りたいだけです」

 「やめてくれ。さすがは、天下のスクープ記者だ。突拍子もないことを考え出す。いやー、驚いた」。しばらく腹をかかえて笑った後、「よし、わかった。『小学生の長女が毒物混入 近く逮捕へ』と一面トップでうとうじゃないか。ただ頼みがある。その原稿は東京から出稿してくれ。大神由希の署名入りでな」。笑いをかみ殺すようにして言った。
 
 「笑わないでください。真剣に聞いてください」
 「真剣も真剣だ。だがどうしてそんなに娘にこだわるんだ。毒物を混入したというところを見たスタッフがいるとか、防犯カメラに決定的な瞬間が映っているとか、なにか証拠でもあるのか」
 「それは……」
 松本市で、セイラが別れる時に振り返って「せ・い・ら」と口を動かしたように見えたことについては言わなかった。あいまいだったからだ。

 「証拠はないのか。つまり、大神記者の勘ってやつだな。わかった、捜査本部のしかるべき幹部にあてて感触を探ろう。冤罪第2号になるかもしれないけどな」
 「よろしくお願いします」
 滝川はまだにやにやと笑っていた。大神はこれ以上ここにいても話にならないと思い、ボックスを出た。


時が刻まれる。現実世界には目もくれずに。

 
 ホテルエンパイヤー大阪の記者会見場では、大阪府警捜査一課長による記者会見が開かれていた。
 「夏樹さんが亡くなられた件についてうかがいます。事故なのでしょうか。事件の可能性はあるのですか」。幹事社が代表して質問した。
 夏樹について毒物混入事件の関係で新聞社が記事にしたのは、朝夕デジタル新聞が匿名で報じただけだった。しかし、夏樹は世間では悪徳商法で捜索を受けた加害企業の代表として知られた人物だ。死亡したという事実については、すべての新聞、テレビが報じ、毒物混入事件で参考人として事情を聴かれていたと初めて触れた。ネットでは、自殺というニュアンスで書いたところもあれば、他殺をうたったメディアもあった。

 「事件、事故の両面で捜査をしています」。捜査一課長ははっきりと言った。亡くなった当日は朝から大阪府警が事情聴取をしていたという。午後5時には警察を出た。その後の足取りは梅田の地下街の居酒屋で1人で酒を飲みながら過ごしていたことが確認されている。相当な量のアルコールを飲んでいた。そして店を出た後、自宅に戻る途中の夕方、歩道橋の階段から転落して死亡した。
 「その歩道橋は帰宅の際にいつも通るところなのでしょうか」
 「帰路からは少し離れているようだがそう逸脱はしていません。酔い覚ましで歩いていた可能性もあります」
 
 大神は捜査一課長による会見があるということでホテルに駆け付けた。大神がマスコミ規制法の関係で事情聴取されたことはニュースで流れたこともあり、会見に参加した報道関係者は、大神の姿を見ると、不思議なものを見るかのように視線を集中させた。
 会見の中身はなかった。大神は途中から、捜査一課長と記者とのやり取りは耳に入らず、頭の中では別のことを考えていた。

 毒物を入れたのは、夏樹ではなく、セイラだったのか。もし、セイラだったとしたら、指示した人物がいるはずだ。それは夏樹の可能性が高い。しかし、動機はなんなのか。マスコミが憎くて、混乱させるためにやったのか。可能性はあるが、あの夏樹がそんなことを考えるだろうか。もっと単純なやり方をするように思う。明らかに夏樹に因果を含めて指示した人物が存在するはずだ。

 オールマスコミ報道協議会のパーティを大混乱に陥れようとする動機を持った人物、組織。夏樹は、知っていても言えない、あるいは言わない事情があったはずだ。そして命を落とした。口封じのために殺されてしまったのだろうか。 

(次回は、■大阪府警本部長との共同戦線?)


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