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2024年1~6月に観たアートまとめ

今年もあっという間に半年が経過…。ときが過ぎ去ることの早いことにびっくりしつつ、備忘録としてアート展まとめしておきます。では行くよ~!


ニューイヤー・ミュージカル・コンサート2024(シアター・オーブ)

YouTubeで海外のミュージカルの映像を観るようになってから、ブロードウェイの方々の歌唱力に驚き、本物を聞きたくなったので珍しく行ってみました。ベン・クロフォードのねちっこい(濃い)オペラ座の怪人と、会場を緑色にしてしまいそうなケリー・エリスの歌声にしびれました。J・ハリソンのキンキー・ブーツ聞けて目標達成だし、テリー・リアンのアラジンを日本で聞けた。本物っているんだなあ~。

お隣の席の方に「今年観るべきミュージカルは?」と聞いたら「ムーラン・ルージュ」とのことで、チケット抽選に申し込んだけど外れた…。ので、今年も行けないかもなあ。

テラダ・アート・アワード2023・ファイナリスト展(寺田倉庫)

冨安由真さんの作品を追っかけて天王洲アイルへ。やんツーさんは六本木の森アートで観たことが…と記憶がつながりました。

金光男氏の溶けていく船や、カーテンに隠されて時間にならないと観れないやんツーさんの展示など、展示数が少ないながらも広い空間でじっくり観れました。
冨安氏の絵が示す「存在の不在」を部屋の中で体感するインスタレーション。部屋はときどき電気が消えたりして、ドキッとした不気味さを感じる。警備員の監視室から観られている風景を自分が観るという、どちらが観ている側かわからなくなる展示。

梅田哲夫展(ワタリウム美術館)

時間ごとに人数が区切られて、ワタリウム美術館の中を案内人と一緒に体感していく劇場型作品でした。ワタリウム美術館の建築物の歴史や時代の流れを感じつつ、自分が観られる側から観る側になったり、大きな窓が開閉する建築の構造や、普段観ることのできない美術館内部を探検したり。
場面が移り行くごとに、さっき起こったことの答え合わせができて「ああ~そういうことね!」という面白さや、「自分もこの演劇に参加していたんだ」という気恥ずかしさのある展示でした。

公園(緑の一角)から手を振り私達の船出を見送る人が…。最後に自分たちも公園に出されて見送る側になるという仕掛け。美術館前の緑の土地もワタリウム美術館所有なんだそうです。

東京造形大学卒業展(東京造形大学)

若き才能を吸い取りに(?)今年は卒展を色々観てました。この院生の方のイラストに引き込まれました。一枚のイラストなのですが、どれも一コマ漫画のように風刺が聞いていて、観ていて笑ってしまったり考えてしまったりするものでした。こういうイラストを描けるようになりたいと羨ましく思いました。

人間は進化して、また猿に逆戻り!? 韓国の方の作品でした。海外へ留学するパワー!

東京藝術大学卒業展(上野・東京藝術大学)

日本の最高峰!東京藝術大学の卒業展へ。さすがの作品数と質。目の付け所、技術、色。たくさんの才能に触れられて楽しいい~~~。

日常を切り抜けば、それはデザイン。
えええ?んん?あなた誰?奇妙な存在自体に引き込まれる。

東京5美大展(国立新美術館)

というわけで春は、卒展巡りをしていました。作品数がさすがに多くて、全てをじっくり観れるわけではないのですが(人も多いし)、こんなに才能あふれる人たちがいる中、職業として芸術に携わることができるというのは、本当に戦いだし、それだけですごいことなんだと思わされます。

描き込まれた人をじっくり観たくなります。こういう絵をコツコツ描いてみたいです。

第27回・岡本太郎現代芸術賞2023(岡本太郎美術館)

「これを観ないと春が来ない!」私の中の春の祭典、岡本太郎芸術賞。毎年おなじみの顔ぶれもありつつ、立体作品は楽しいな。

質感と、魂が入ってそうな存在感のある作品。1年でここまで作り上げれるって、やりがいのある仕事だし、やりきるところがすごいと思う。
今年の大賞作品。一つ一つの部屋に小物たちキャラクターのストーリー本が入っていて、作り込みがすごい。作者の脳内にある架空ワールドの世界に、一般人もお邪魔できる作りでした。
ミニチュアのようでいて実物大のアニメな世界。脳内のイメージをちゃんと(言語化・色・形にして)排出できるのもアートの技術に必要なことだと思う。岡本太郎賞は、新鮮な熱意とアートを通して他の人の感性や情熱に触れられる楽しさがあります。

横浜トリエンナーレ2024「野草・今ここに生きてる」(横浜美術館)

今年は賛否両論あった横浜トリエンナーレ。横浜美術館のリニューアルオープンも兼ねて半年遅れの開催でした。美術館本体自体の展示は、市民運動や多様性・格差・男女差別など、時代や社会的な問題をアートとして展示する試みが大きなテーマのようでした。皆さんも感想でおっしゃる通り、文字を読んで一つ一つその物語の背景を読み、理解していくことに疲れてしまい、アートというよりは「市民抗争運動博物館」へ行った気持ちになったような…。
確かに世界の実情を知るのは大切なことだと思います。でも、疲れ切った日常から別の世界へ飛び出して気分転換しようと思っていたら「弱い自分には、どうしようもできない世界の情勢。逃げられない現実」を観て共感疲労を起こし、悲しい気持ちになってしまったのです。「今回はフェスではなく、世界の痛みを知る展示である」という前情報や心構えがあったら、また受け取り方も違ったと思います。嫌悪感にせよ感情を呼び起こすという点で、アートとしては正解だと思います。

横浜美術館リニューアルオープン!
台湾で起こった海外からの労働者のストライキをモチーフにした作品。観覧者もベッドに座って、しばしストライキに参加した気分になれます。ひとつひとつの作品に背景があるので、それを全部理解していくため、文字を読むのが大変でした。

Bank ART Station1929(横浜)

同じく横浜トリエンナーレの一貫として別の場所に点在しているアート展です。その他、旧横浜第一勧業銀行、黄金町などでも開催していました。その中でも、一番現代アートっぽかったのがバンクアートステーションでした。駅チカだったし、行きやすいのも良かったです。

街に一瞬にして落書きされた跡をわざわざ木を彫るという手間暇かかる行為で捉え直した作品。脇にあるQRコードを読み取ると、実際の街のマップと写真に飛んで実物を鑑賞できます。リアルと再構築の両方を見比べて、体験できる楽しさがありました。

ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?(上野・国立西洋美術館)

主に巨匠と呼ばれる芸術家で、すでに死んだ人(過去の人)の作品を展示している国立西洋美術館が、現代アートに問いかけるという新たな試みでした。入口の解説から大学の論文のように高尚すぎて、素人には理解しづらかったのですが、どうにか難しい文章を追いかけて理解しようと努力しました。
西洋美術館で展示されるような巨匠たちの作品を見て育った、現代の芸術家が過去作を踏まえてどう成長を遂げたのか?を比較検証するのがこの展示の意図なのかなと思いました。
内藤礼氏の作品は「あ、内藤礼だ」という常にブレない姿勢。妙に納得しました。

藤田嗣治がもしインドネシアへ行っていたら?という架空の物語を映像にした展示(と、理解したが合っているのかな?)
新しい画塾?が開かれているらしい。アートには正解がなく、いつも新たな挑戦だから、いろんな表現方法や展示があるのだけど、幅が広くて理解するのに時間がかかりました。

VOCA展(上野の森美術館)

映像作家・笹岡由梨子さんの作品を観に、西洋美術館の帰りに寄りました。こちらも現代アートの若い人の作品がてんこ盛りで、新たな表現方法が刺激的でした。写真表現から絵画、アニメっぽい絵もあり、アートも漫画と同じくネームみたいなプロット(物語の筋立て)が求められるんだなと考えました。

上野の森美術館は初めて来たかも?こじんまりしていて静かで良かった。上野の美術館というと人が多くて、ゆっくり作品と対話できないことが不満なのです。
笹岡由梨子さんの映像作品。働くとは?なんだろう。音の出る作品がこの一点だけだったので、目立つし、静かな会場にリピートする音楽に脳がぐるぐるして、惹きつけられます。鮮やかな色とデザイン、「どういうこと?」と作者のメッセージを考えてしまう構成。

翻訳できないわたしの言葉
サエボーグ・津田道子展
ホー・ツイニェン エージェントのA
MOTコレクション常設展(東京都現代美術館)

ちょっと駅から遠く行きにくい東京都現代美術館ですが、やっぱり展示が面白いので年に2回ほどは訪れます。行きにくい分、人も少なくて落ち着いて見れるところも良き。というわけで、今回は以下の4つを一気に観ました。

4つまとめてどぉーんと観てきたけど、時間が午後の4時間では足りませんでした。観るなら午前から行って、お昼休憩を挟み、休み休みいかないと作品のパワーにやられる。

常設展、MOTコレクションは企画展を観れば無料で観れます。14時からの学芸員さんの説明(毎日開催)を聞きながら、展示を観ると理解が深まるのでオススメです。

旅の記録をイラストや立体で展示した作品。旅の心躍る雰囲気や、柔らかなイラストに波長が共感した。
美術館までの道のりをさわれる立体作品で表現。近くにカフェもあり、曲がりくねった道もあり、段々道、でこぼこ道…誰かの体験を手の指で想像する。
津田道子氏の「人生はちょっと遅れてくる」の意味が、作品を観たあとに「ああ…」と腑に落ちる。子どものときに感じたことが親になってから別の視点で再認識するような。「人生の答え合わせはいつも遅れてくるよなあ」という、じんわりした感動がありました。
テーマパークのような架空の世界へ入り込み、日常とは違う世界へ。おおきなうんこにはハエが群がっています。ええと、どうしたらいいんだべ~~?
サエボーグ~! 会場へ入ってびっくりするよ。泣いている犬がいた。人間に飼われる家畜や動物の気持ちを表現しているとか。
ホー・ツィニェン展。映像作品がたくさんあり、これまた全部は観きれなかった。というわけで次回もう1回鑑賞できる半額チケットが帰りにもらえます。映像作品を多彩な展示方法(布や床に投映など)で展示していて、飽きさせない工夫もありました。VR体験もありましたが、私は説明をちゃんと聞かなかったので、茶室から出れなかったという失態…!

遠距離現在(国立新美術館)

外へ出かけると「せっかくだから何か近くで美術展やっていないだろうか?」と考えます。この日は友人たちとランチの約束があり、その後皆は別の場所(確か警視庁の見学会?)へ行くようでしたので、私は近くの美術館へ。特に下調べをしていなかったけど、コロナ禍後に皆が感じた、人との距離感「近いのに遠い」をテーマにした展示でした。
最近はインバウンドで人も多くなった美術館ですね。

中国の監視カメラ(自由に誰でも観れる映像)をつなぎ合わせて、勝手に解説をつけることで、ストーリーになっている映画が面白くも「常に誰かに観られている」恐怖を感じてゾクゾクしました。映像作品なので、撮影不可。
今までにネットで検索した画像を壁一面に。私達の思考は、あふれる情報に支配されている。自分の考えや判断は、正しいのだろうか?時代や世論、多くの情報、自分の思考は世界の海で溺れているのだ…答えは無量大数にあり人生の正解などみつからないから生きづらい…気がする。
外で展示されていた小規模パブリックスペース展。彫刻家・和田礼治郎氏のガラスに挟まるフルーツの作品。果物は時間の経過とともに腐って下に落ちる。時間の経過も芸術の一部。

セルフゲージ・リフレクティブイメージ(国家撮影文化中心台北館・台湾)

台北駅付近をフラついていて、暑くて休憩所を探していたとき「あ、そういや映像ミュージアムがあるよな。確か無料だったはず」と入った映像ミュージアム。無料とは!もったいないくらい建築物もすばらしく、企画展も優れていたのでびっくり。ここは日本統治時代に「大阪商船株式会社」だった歴史的建物。リノベされていますが、建物の作りが日本時代の和な面影を感じます。

館内はがんがんクーラーも効いていて、中庭では飲食もできるので、近くで買った胡椒餅を中庭で食べて休憩。人も少ないので生き返りました。1階にはおしゃれなカフェとショップもあります。
アニメのイラストに寄せた自分と実際の映像を投映させて、リアルと虚実の答え合わせをするような作品。近づきたい理想と現実との差のギャップを楽しんでいるよう。
台湾の風景と作家の思考が写真の中に配置されて、画面にリズムを感じる。生活の中に印象深い何かがあるのかな?何を意味しているのか知りたいなあと作家に興味を持ちました。
タイルや階段の色、カーブは当時のものだろうか?静かで落ち着く空間。台湾にある日本統治時代の史跡は、日本と台湾のつながりを感じられて、当時の人の生活に思いを寄せさせる。時代に翻弄されつつも、嬉しいことや悔しいこと、きっと今の私達と同じ気持ちを感じ生きたんだろうな。
謎が多すぎて、表情も面白くて惹きつけられた映像作品。結局17分全部見て、また次の日も見に来てしまった。そして1週間後また彼に出会うことになるとは、そのときは思いもしないのであった。

ICCアニュアル2024 とても近い遠さ(NTTインターコミュニケーションセンターICC)

この日も近場でランチの約束があり、折角都心まで出てきたのだからと寄ってみたICC。デジタルを駆使した新しいアートを見せてくれるNTT主催のギャラリーです。「近くて遠い」は、コロナ禍をへて皆が感じるテーマですね。
そしてここで、なぜか私は気になる彼と運命の再会をしてしまうのでした。

映像、デジタルを中心とした作品展でした。ちゃんとしたシアターで2本映像上映もあるので鑑賞は余裕をもって2時間ほどあると良いと思います。
あ、先週台湾で会った彼やないかい!また最初から最後まで観ちゃったよ。しかも今回は和訳もついて、彼が結構CG制作について、真面目に(!?)面白い話をしているということがわかりました。
下の階のシアターで30分ほどの新作も観れました。ちょっとホラーだし、気持ち悪さとエログロもあるけど、なぜか目が離せない。新作は「視覚の恒常性」を破壊される気持ち悪さもあり、現実の視覚とデジタルの計算された視覚との差に脳が破壊される世界観!

というわけで、上半期もなにげに美術館へ行く機会も多く、自分の観ている世界とは何か?を考えていました。自分がこうだと信じている、感じている世界も、遺伝的に過去から形成された脳の構造と、自分が今まで生きてきた経験によるスキーマ(一般知識だと思っているもの)を通して観ている世界です。他の人(主に作家さん)の目を通して観る世界と感じ方との違いを知ることで私は驚き感動し、また世界を見る目を構築しなおします。
現象(現実)は同じでも感じる脳と経験で、人生は色んな意味に捉えられるので、常に「本当だろうか?」「こういう意味だろうか?」と考えてしまいます。そして「自分だけの感じ方」ができるのも自分が生きている間だけなので、できるだけ色んな感性に触れて、この世界をたくさんの視点見たいと思うのでした。私にとってアートは知的好奇心の旅なのです。