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独り身の生きがいを学生から問う

生きがいという言葉は日本語にしかないらしい。

生きがいを求める心とはなんだろう。

私の祖父が入院中、そんなことを考えた。

祖父はやもめとなり、一人暮らしの毎日を過ごしている。

私は、祖父が入院中にお見舞いに行ってはリハビリの意欲を持たせられるような声がけをし、何とか生きるモチベーションを維持させようと心がけていた。

祖父は無事に退院し、また一人暮らしがスタートした。

先日は退院祝いということもあり、電気がつく部屋が限られた祖父の広い家ですき焼きをした。
祖父は何年ぶりだと言いながら一缶のビールを開けた。

私は思う。

高齢になってからの生きがいってなんだろう。
祖父は私たちがいるが、本当に家族も誰もいない高齢者は何をもって生きる価値を見出すのだろうか。

こんな言い方はよくないだろうが、改めて生きがいについて考える。

誰かが自分を必要としている、自分の存在を認識している誰かがいる間は考えないのかもしれない。
しかし、家にポツンと過ごす毎日の独り身高齢者は自問自答していそうだ。

神谷美恵子さんは生きがいについてこう述べていた。


生きがいとは使命感に生きるひと
他ならぬ自分が生きる意味があり、必要がある


そういえば、在宅医療をする先生は、これからの在宅医療は家族を必要としない医療を提供する必要があると述べていた。

独り身高齢者が増えていく今、彼らの生きがいとは何かを問いたい。


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