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読書についての呟き
中高生の頃は試験勉強に明け暮れて本が読めなかった。いや、正確には読む時間はあったのだが、楽しみのための読書を不真面目なことに感じて読めなかったのだ。私の暗黒時代である。
最も本を読んだのは小学生の頃だ。お気に入りはE.ケストナー「点子ちゃんとアントン」。貧富の差がある世の中でどう振る舞うべきかということを、やさしい物語で教えてくれるドイツ版「君たちはどう生きるか」である。母子家庭のアントンがスクランブルエッグを作るシーンをなぜか鮮明に覚えている。
大学生になって読んだミラン・クンデラ「存在の耐
えられない軽さ」。ニーチェの「永劫回帰」をテーマとして、プラハの春の時代を生きる男女の恋模様を描いている。みな誰もが思春期に太宰治の「人間失格」を読んで「なぜ俺の心の中を知っているのか」と衝撃を受けるものだが、この「存在の耐えられな軽さ」も心の内をドンピシャリ言い当てるような小説としての凄みがありつつ、ニーチェ哲学を紐解く解説書としても優秀である。
そういえば、大学生の時にひどい失恋をした。普通ならカラオケでHYの「366日」を歌って鬱憤を晴らすものだが、私はエーリヒ・フロム「愛するということ」を風呂で号泣しながら読んだ。なかなか鼻につく学生だ。
友達と遊ぶより本を読んでいる方が楽しかったから、本を読んでいた。子供の頃、本は私をいろいろな世界に連れて行ってくれる最高の遊び友達だった。成長するにつれて現実もなかなか刺激的な場所だと知り、本から離れていった。しかし、恋愛や仕事に人生に絶望した時、気づけばまた本の中に助けを求めていた。本は久しぶりの私に嫌な顔ひとつせず、寄り添ってくれた。本は内気なやつで、こちらから見つけて開いてあげない限り言葉を発さない。本は古今東西の賢者の言葉で色々アドバイスはしてくれるが、最後に決めるのは自分だよ、と言う顔で本棚に収まり静かに眠る。
私の恋人は活字を読まない人だ。最初は彼に本を読むようしつこく勧めたが、彼は「本を読まないのがそんなに悪いか」とかえって気分を害してしまった。確かに、本を読むことを一種のステータスのように感じる自分がいたことに気づき、恥じた。それはそれとして、これからも私は本が好きだし、本を読む人生を選ぶ。私は読書というものが趣味・娯楽を超越した行為だと信じているところがある。読書好きの皆さんなら、少しは共感していただけるだろうか。