緒方眞琴

エッセイを書いている、つもり。

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お父さんお母さんおやすみなさい。

祖父が亡くなった。 病院嫌いの祖父だった。強情な彼は意地でも病院へ行かず、いよいよ食事がを通らなくなり、寝たきりになって初めて病院へ連れて行かれた。大腸癌による消化管閉塞であり、すぐに人工肛門を造設した。癌はもう彼の全身を蝕んでおり、肺にも肝臓にも転移していた。すなわち、もう手の施しようがなく、痛みを和らげて安らかな時間を過ごすことが我々の目指すべきゴールであった。 ここで一つ告白をする。 私は医師である。専門医をまだ取得していない修行中の身であるものの、現役の産婦人科医だ

    • ギャルたちと山に登る(前編)

      この前の三連休の最終日、病院の助産師たちと登山をした。きっかけは、勤務先の病院が設立100周年ということで、なぜか全国の百名山を登るキャンペーンを行っていたことだった。病院職員の好きな者同士で好きな山を登り、山頂で病院の旗を持って写真を撮ればいいというゆるい条件であったし、百名山も「日本百名山」「花の百名山」「関西百名山」などなどなんかしかの百名山であれば良いということだった。行楽シーズン真っ盛り、青空を見ているとそわそわして何かせずにはいられなくなる私は、このキャンペーンに

      • 良夫賢父の男ってどうでしょう

        久々に部長と話した。私を産婦人科にリクルートしてくれたのはこの部長先生であり、私が鬱病になった際にもいろいろと仕事の面倒を見てくれた人なので、私は部長に頭が上がらず、足を向けて寝れず、五体投地をひゃっぺんしたって足りないくらいの恩がある。私は今の研修が終われば病院との契約が切れるので、次の就職先に悩んでいた。遠距離恋愛中の恋人のもとへ行き落ち着くべきか、もうすこし都会で独り身で頑張るか。 部長は、彼のもとへ行ったらどうかな、と仄めかした。これは決してセクハラの類ではなく、部

        • ゴーストバスターズは突然に

          明日の朝ごはんを買いにスーパーへ来た。今までは出勤途中のコンビニでサンドイッチを買い、職場でもそもそ食べていた。しかし、朝一番に職場で腹ごしらえというのはなんだか出遅れている感じがしていたので、よし明日から朝ごはんは家で食べよう!と気まぐれに決心したのだ。コーヒーに合う朝ごはんをイメージして、パンと卵とベーコンを買う。スライスチーズと苺ジャムも買っておこう。ヨーグルトに手を伸ばしかけて、やめた。コーヒーを淹れて、トーストとベーコンエッグを焼き、ヨーグルトを器に盛る時間などある

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        お父さんお母さんおやすみなさい。

          みかん盆のある静物

          祖父の葬式で、久しぶりに母の実家に行った。自宅葬だったので親戚は皆準備に明け暮れており、誰からも相手にされない私はスーパーに食料を買い出しに行った。葬式が終わるまで肉と魚は食べられないと言われたので、おにぎりや煮物を買い込んだ。フライドポテトの前で、これは…と迷ったが、なんだか不道徳な気がしてやめた。買い物カゴの中は辛気臭かったが、葬式なのだから仕方ない。ふと、早もののみかんが目にとまった。爽やかな香りのする青いみかんは、いかにも栄養が詰まっていそうだったので1籠買って帰った

          みかん盆のある静物

          サバンナ銭湯

          夕方、小銭を握りしめて銭湯に行った。 私は小さい頃からよく母に銭湯へ連れて行かれた。もとは母が義実家に泊まる際、風呂に入るのを遠慮して私と銭湯へ行ったのが始まりだった。幼い子供を連れて公共の風呂に行く方が大変なように思うが、母にはそのほうが気楽だったらしい。その後、銭湯での振る舞いを覚えた私は自宅近くへの銭湯にも連れて行ってもらった。ぶら下がり健康器でぶらぶらしたり、置いてある漫画を読んだり、コーヒー牛乳を飲んだり、銭湯は子供にとって十分にアミューズメントであった。銭湯好きの

          サバンナ銭湯

          読書についての呟き

          中高生の頃は試験勉強に明け暮れて本が読めなかった。いや、正確には読む時間はあったのだが、楽しみのための読書を不真面目なことに感じて読めなかったのだ。私の暗黒時代である。 最も本を読んだのは小学生の頃だ。お気に入りはE.ケストナー「点子ちゃんとアントン」。貧富の差がある世の中でどう振る舞うべきかということを、やさしい物語で教えてくれるドイツ版「君たちはどう生きるか」である。母子家庭のアントンがスクランブルエッグを作るシーンをなぜか鮮明に覚えている。 大学生になって読んだミラ

          読書についての呟き

          愛と芸術

          恋人と出会ったのは大学の陸上競技部だった。すらりと背が高く、褐色に日焼けした長い手脚をぶらぶらと持て余していた。彼は400m障害を得意としていた。私には果てしなく広くて冷淡な400mトラックを、彼はいつものびのびと走った。一着だろうが五着だろうが彼の走りは変わらなかった。そこには傲慢さや恥ずかしさといったものはなく、極めて原始的なスポーツの喜びがあった。 2歳年下の彼のアプローチはとてもあどけなかった。あきらかに目が合うようになり、ある日突然ぎこちないメッセージを送ってよこ

          荒野の狼 吠えても 朝が怖い

          宇多田ヒカルが好きだ。 そういったところでみんな宇多田ヒカルが好きなのだから没個性的な嗜好であるのは百も承知だ。ただ、私は基本的にあるアーティストのファンになり系統的にその楽曲を聴くということがなく、アーティスト横断的に気に入った楽曲をつまみ聴いていた。これは音楽をCDではなくYouTubeやサブスクリプションサービスで聴くことも影響しているかもしれない。そんな私がアーティストとしてはじめて好きになり、アルバムを通して聴いたのが宇多田ヒカルなのである。ちなみにサンボマスターも

          荒野の狼 吠えても 朝が怖い

          ライターのみなさま(すごい)

          私は物書きに関してはズブの素人である。数学よりは国語の方が得意だったな、というレベルであり、私の書き物が褒められたり何かを受賞したりなんてことはなかった。いちどだけ学年で応募したNTTコミュニケーション大賞で佳作かなんかをとったが、それは超弩級の過保護である母親が入念に添削したものであり、その作文のコピーライトは99%母親にあった。 スキをつけてくれた方々のクリエイターページを覗くと、お仕事依頼のリンクが貼ってあることがある。すごい。もし映画の推薦文を書いてくれと頼まれて、そ

          ライターのみなさま(すごい)

          仁淀川でのあまりに馬鹿馬鹿しい思い出たち

          件の四国旅行の記録の続きを書こう、と思っている。思っているのだが、順番的に次は高知の仁淀川の話になる。私は躊躇っている。なぜなら、仁淀川での思い出はあまりにも下品で低俗で馬鹿馬鹿しいものだからである。私は夏目漱石先生のようなユーモラスだが知性と気品を湛えた文章に憧れており、差し出がましくも、自分もこのペンネームのもとではそのような文章を綴りたいと願っていたのだ。この悩みのために筆が止まっていたわけだが、仁淀川のチャプターを飛ばすわけにはいかないので、ここで観念する。 道後温

          仁淀川でのあまりに馬鹿馬鹿しい思い出たち

          ある男の抑圧されなかった記憶

          医師であることを告白したので、書けることが増えたのは良かった。医師は決して愉快な仕事ではないが、通常の暮らしでは決して知り得なかった世界と、人間と、関わることができる。疾病のメカニズムや人体の構造、薬の作用機序なんかももちろん面白いのだが、それ以上に面白いのはやはり人間のこころである。現在、初期臨床研修制度というものが採用されており、医師としての最初の2年間は研修医といういわばインターンのような身分で働くことになっている。これは、研修医時代に出会ったある患者さんの思い出である

          ある男の抑圧されなかった記憶

          道後温泉に流れる柔らかな時間の話(後編)

          さて、湯から上がった我々の楽しみはもちろん夕飯である。この浴衣はあまり上等じゃないから宿に戻って洋服に着替えたいとぐずぐず言う恋人をなだめすかし、予約していた居酒屋へ向かう。商店街から少し路地へ抜けたところにある海鮮が売りの居酒屋で、入り口に置かれた狸の信楽焼が目印だった。通されたお座敷の席は掘り炬燵になっていて、長身で腰の悪い彼は喜んだ。海鮮といえば刺身、と思っていたが、塩茹でや醤油煮の貝やエビの品揃えが多く、興味をそそられる。「亀の手」「チャンバラ貝」「セミエビ」を頼んで

          道後温泉に流れる柔らかな時間の話(後編)

          道後温泉に流れる柔らかな時間の話(前編)

          前回(ラーメン旅情)で四国旅行をしたと書いた。愛媛の道後温泉に始まり、高知の仁淀川にダイブして、香川でうどんを食べ、徳島のお遍路第一札所と第二札所を参ろうと思っていたが、旅の後半はひどい大雨であったので大塚国際美術館に変更した。今回は道後温泉がなかなか、いや、とても素敵な温泉街であったという話。 ちょうど旅行の前にドラマ「坂の上の雲」の再放送を見ていたこともあり、伊予の国というのはたいそう偉人が多いのだなと思いながら道後温泉へと向かった。旅行サイトで宿を予約していたが、そう

          道後温泉に流れる柔らかな時間の話(前編)

          ジャズ・バーの夜

          皆さんはジャズ・バーというものに行ったことがあるだろうか。レコードではなくライブステージのあるものだ。私は幸いにもあるジャズ・バーと巡り合い、素晴らしい体験をしたのでここに記す。 もとはといえば恋人が、どこか素敵なところで生演奏を聴きながら食事をしてみたいなあ、と呟いたのがきっかけだった。彼はこのような類の願望をぽつぽつ口にするが、そのほとんどは色々の理由(時間がないとか、お金がないとか、面倒くさいとか)によって黙殺されてきた。しかしその時はなぜだか私も乗り気になって、よっ

          ジャズ・バーの夜

          ラーメン旅情

          9月に恋人と四国へ旅行へ出かけた。車の旅である。私は車の運転が大の苦手だ。下道は標識やら信号やら気をつけないといけないことが多すぎるし、高速では時速100キロを超えると冷や汗が止まらなくなる。対して彼は運転が好きであるが、それは何もせずに座っているのは暇だから、という能動的とも受動的ともつかない理由だった。ともあれ、私たちは車の旅において良きパートナーであり、私は助手席に腰かけて旅のプランを練り直したり、信号が赤だの青だの口を挟んだり、うたた寝をしたりするポジションに甘んじた

          ラーメン旅情