道後温泉に流れる柔らかな時間の話(後編)
さて、湯から上がった我々の楽しみはもちろん夕飯である。この浴衣はあまり上等じゃないから宿に戻って洋服に着替えたいとぐずぐず言う恋人をなだめすかし、予約していた居酒屋へ向かう。商店街から少し路地へ抜けたところにある海鮮が売りの居酒屋で、入り口に置かれた狸の信楽焼が目印だった。通されたお座敷の席は掘り炬燵になっていて、長身で腰の悪い彼は喜んだ。海鮮といえば刺身、と思っていたが、塩茹でや醤油煮の貝やエビの品揃えが多く、興味をそそられる。「亀の手」「チャンバラ貝」「セミエビ」を頼んでみる。酒は、夏目漱石先生が好まれたという日本酒「白牡丹」を頼んだ。
「亀の手」はフジツボのような生き物らしい。見た目はまさに亀の前足、言い得て妙である。子供の時分に大人にからかわれて、これは亀の前足なのだと言われたら信じていたに違いない。外皮をぺりぺりと剥がし、小さな薄ピンク色の身をしゃぶる。磯臭い香りがぎゅうっと詰まっていて美味である。珍味嫌いの彼にも案外ヒットし、黙々と皮を剥いては旨そうにちゅうちゅう吸っていた。無論、酒の当てになる。白牡丹は儚く透き通った上品な甘みの日本酒であり、あまり酒を召されない漱石先生が愛飲されたのも納得であった。チャンバラ貝は安全ピンを使って身を捻り出して食べるのだが、身の端っこに赤茶色の小さな針のようなものが付いている。どうやらこれは貝の蓋らしく、それを振り回す姿からチャンバラ貝という名前がついたそうだ。セミエビは扁平形の大ぶりなエビで、淡白なあっさりとした味だ。翌日桂浜の水族館で生きているものを見て、その味をしみじみ思い出したのであった。
食事を済ませた我々は商店街を抜けて道後温泉駅前へ出た。駅舎の小洒落た明治時代風の建物にはスターバックスの店舗が入っており、店員が閉店の準備をしていた。駅舎、商店街、時計台、足湯がぐるりと円形に連なる広場に心地よい秋の風が吹く。坂道を登って宿へ戻る。道後温泉は全体的にまちが小作りであるが、それが独特の居心地の良さを生んでいる。広ければ、大きければ、高ければいいというわけではなく、人間にはちょうどいい広さ、大きさ、高さというものがあるのではなかろうか。
翌朝は、ぐうぐう寝ている彼を尻目にひとり起き出して周囲を散策した。夜には気づかなかったが、まちの至る所に俳句や短歌を刻んだ石碑があった。ちょっと過剰なんじゃないかというくらいに。極め付けは、子規記念館に掲げられた大きな垂れ幕である。
名月に思ふことあり我一人 子規
そういえば昨夜は中秋の名月だった。記念館の職員が気を利かしてこの句を選んだのだろう。朝の賑やかなまちの光りの中で、子規は名月に何を思ったのだろうかと思いを馳せた。それはきっと哀しいことのような気がした。同じ名月を、私は彼と手を繋ぎながらおお、でっけえなあ、きれいだなあと雑に鑑賞したことを恥じた。宿で朝食が出ないので駅前でパンと牛乳を買って帰った。のそのそと起きだした彼とパンを食べていると、扉の前でお茶置いときますねえ、と女将さんの声がした。急須に入った緑茶と、なぜか冷えたリポビタンDとオロナミンCが1本ずつお盆の上に置いてあった。ファイト一発、元気ハツラツ。子規が名月に何を思ったかはわからないが、健康な若者は若者らしく、呑気に元気がいちばんである。