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秋の夜長、キャンドルの火を見ていたら、
久しぶりに無性に文章を書きたくなりました。

火はわたしたちにとても身近でありながら、
神秘的なエレメントであり、
わたしは幼い頃からとても魅力的なものに感じています。

生命を象徴するのもでもあり
死を象徴するものでもある。

人間に安らぎもたらすものでもあり
恐怖をもたらすものでもある。

文明の発展に寄与したものでもあり
神話では世界に終焉をもたらすものでもある。

ファンタジー物語においては
善として登場することもあれば
悪として登場することもある。

あらゆる二面性を持つ火は
この世に存在する対照的なふたつの事象が
実は表裏一体であることを暗に示してくれているようです。

かつて火は、人間には制御できない自然現象として存在し、手には負えない勢いであらゆるものを焼き尽くす、恐るべき存在でした。

その恐るべき火を日常でうまく使用することを覚えた人間は、火で暖を取ったり、食料を調理したり、周囲を照らしたり、獣を追い払ったりと、その恩恵を受けてきました。

火は我々の生活には欠かせないものであり、用途も多様であるために、必然的に相反するものを含む様々なものを象徴する存在になっていったのでしょう。

わたしが火を見て思うのは
この世に存在するあらゆるものは
二面性を秘めていて、
その境界線は曖昧であるということです。

暖かくて近づきたいけれど
触ったら火傷してしまう。

安らぎをもたらしてくれるけれど
激しく燃え盛る様は恐ろしくもある。

何色とも言い難い色で
形という形もなくゆらゆらと揺れる。

火という物質自体がもつ二面性と曖昧さと
それに対峙した時のアンビバレンスは

人間が物事を捉えるときに覚えておくべきことを教えてくれているような気がします。

物事の見たくない側面から目を背けて
一部だけを見ようとするのではなく、

その両面を受け入れてこそ
すべてが美しく愛おしく思えるのかもしれない。

この世の二項対立は見せかけで、
実は表裏一体かもしれない。
あるいはグラデーションかもしれない。

たとえば、人間の永遠のテーマである
生と死の二項対立。

死があってこそ生があるととらえるならば、
死を受け入れてこそ本当の意味で生きられると言えるかもしれない。

生と死は分断されているようでいて
実は大差ないのかもしれない。

生きるということは死ぬということで、
死ぬということは生きるということなのかもしれない。

善と悪も然り。
すべては曖昧なのです。

火を目の前にしたときの両面感情を
心に留めておいたら、

自分の中の相反する感情や
矛盾に気がついたときの心のざわめきを

キャンドルの火のような、
ぼんやりと暗がりを照らす穏やかな心に
落ち着けることができるような気がします。

火ってすてき。

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