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思えばとおくへ来たもんだ(日記100)

10日前に、こんな記事を書きました。


そして、それから10日後のいま、また、おだやかな気持ちに戻りました。



11/1から、働くことになりました。
就職活動、おしまいです。
就労移行支援、卒業します。



思えばとおくへ来たもんだ。


この言葉が、今朝、ぽやんとあたまに浮かんだ。


正式に内定が出たのが、10/21の、月曜日。
会社の方々と、就労移行支援の担当支援員さんを交えて、「合理的配慮」の面談をして、正式に内定になった。


「合理的配慮」の面談ってなにかっていうと、「はじめさんを雇ううえで、どんなことに気をつけたらいいですか?」っていうことを、擦り合わせてくれるもの。
わたしは障害者雇用なので、この面談をしてくれた。



就労移行支援に通うところから、内定をもらうまでは、また、別の記事で書こうと思う。
いつかの自分のように、自分の行先がまっくらで、かと言って後もどりもできなくて、どうにもこうにもならない、この世界にいるだれかのもとに、届いたらよいと思うから。



内定が決まって、飛び上がるほどうれしいとか、テンションが爆上がりとか、そういう風になるかと思ったけど、今回は違った。
じんわり、じわじわ、うれしかった。
そして、ほっとした。
ああ、また、社会のなかで、働くんだなって思った。


前だったら怖かったと思う。
でもいま、怖いきもちは、まったくない。
かと言って、万能感にあふれているわけでもない。
不思議な気持ち。
この気持ち、なんなんだろう。
「やれることを、やれるぶんだけやろう」
「むりだったら、たすけをもとめよう」
「たすけをもとめて、相談したうえで、工夫しながらやっていこう」
そんなふうに、思っている。


実は、実習が終わった次の日から、ちょっとずつ調子が落ちていた。
なんだか疲れたなあ、から始まって、いつものように、ああ、何もしたくないなあ、顔洗うのもおっくうだなあ、着替えたくないなあ、動きたくないなあって、どんどんどんどん、その思いがつよくなった。
それは10/21に内定をもらったあとも変わらなくて、おお、これは鬱の波だなあ、ああ、調子が落ちてるなあって、思ってた。
10/24の木曜の朝に、ついに動けなくなって、午前中だけ就労移行支援を休んだ。


でも、その日が「鬱の底」だったみたいで、10/25の朝になったら、なんだかケロッとしていた。
ん?今日はふつうだなあ、と思って昨日を過ごして、今朝もまた、今日もふつうだなあって、過ごしてる。


2023年の12月から、「体調記録表」を毎日つけているのだけれど、それを見返してみたら、2024年3月にも同じように調子を崩した期間があって、そこから半年ぶりくらいに、長く調子を崩したみたいだった。



これが、わたしの障害なんだなあって、やっぱり思った。
上がったり、下がったりの、波がある。
それをゼロにはできないから、その波の幅がなるべくちいさくなるように、工夫する。
波と波の間隔が長くなるように、工夫する。


そういうことを、ずっとできなかった。
波にのまれていることが、わたしだと思ってた。
波にのまれていて、くるしくて、たくさんのことを考えるから、創作できるんだって思ってた。
それが自分なんだと、信じてた。



今はどうだろう。
どうですか?自分。
波にのまれて、溺れることが少なくなった自分。
これは「わたし」じゃないですか?
こんな「わたし」、つまらないですか?


答えは、「つまらなくないよ」、だ。
これも、「わたし」。
こんな「わたし」も、「わたし」だよね。



思えばとおくへ来たもんだ。
11/1からは、どんな「わたし」になると思う?
たぶん、たぶんだけれど、今日の「わたし」と、変わらないんだよ。
人生は、魔法ばかりじゃないからね。
昨日と今日は、続いているから。
そうやって繰り返して、いつのまにか、あれまあ、こんなところにやってきたって、気がつくものなのかもしれないよ。
そうやってたどり着いたところは、どんなところだと思う?
わたしは、意外と悪くないんじゃないかなあって、思うよ。
今日のわたしが、そう思ってる。
今日のわたしがみている景色は、意外と悪くないよ。



生きてて、よかったね。
生きることをえらんで、よかったね。
生きることを手放さなくて、よかったね。
また11/1から、がんばりましょう。
わたしは、あなたのこと、意外と好きみたいだよ。
わたしは、「わたし」のこと、意外と好きみたいだよ。
覚えておいてね。
忘れないでね。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい