自分の曲を、思い出す(日記92)
晴れの日曜日。猛暑だ。
もう9月15日だというのに、今年の夏もすごい。
去年の夏も、あちぃ、あちぃ、と言っていた。
同居人氏1も同居人氏2も暑さにつよいから、わたしだけが、暑さにめげていた。
去年の夏は、ただ、部屋にいた。
ソファーに横たわって、ぼんやりしていて、ただ「休む」をしていた。
就労移行支援にもまだ、通っていなかった。
今日から一週間後くらいの、9月の終わりに、就労移行支援の説明を聞きに行ったんだった。
だから、1年前のわたしはまだ、「休む」しか、していなかった。
今日のわたしは、おやすみの日で、たしかにおなじ「休む」をしているのだけれども、1年前とちがうのは、この暑さの中、外に出たことだ。
美容院を予約して、前髪カットと、ヘッドスパをやってもらった。
美容院に行くから、と、最近再開したお化粧をして、家を出た。
お化粧ができるようになったのは、8月末のこと。
そこから、就労移行支援に行く日には、お化粧をするようになった。
去年のわたしは、お風呂も、ちゃんと入れなかった。
いつも、パジャマだった。
今日のわたしは、お化粧をして、大好きなワンピースを着て、好きな美容師さんに髪をかわいくしてもらって、街に出た。
駅前の無印良品で、同居人氏1に頼まれた小物入れを4つ、カーテンを2つ買って、えっちらおっちら、持って帰ってきた。
いま、同居人氏1が、わたしが買ってきた小物入れを使って、いそいそとお部屋の模様替えをしている。
同居人氏1は、お部屋をきれいにするのが大好き。
同居人氏2の、ちらばったいろんなものを、ひとつの箱にまとめて、にこにこしている。
またちらばらないことを祈りながら、わたしはそれを見守っている。
「両足がもつれながら 手をついても 立ち止まらない」
「君はずっと負けなかった それがずっと まぶしかった」
わたしたちが昔作った曲の、歌詞。歌詞は、わたしが書いた。
今朝、急に、この曲が頭に浮かんで、繰り返しながれていった。
「両足がもつれながら 手をついても 立ち止まらない」
「君はずっと負けなかった それがずっと まぶしかった」
昔の自分は、だれかを見て、進み続けるだれかの背中をみて、進み続けるだれかの横顔をみて、まぶしくて、自分にはできないかもしれないと思いながら、この歌詞を書いたんだと思う。
進み続ける誰かは決していつも「勝っている」わけじゃなくて、「負けなかった」。「勝てなくても、負けなかった」。
そんな姿にあこがれて、この歌詞を、書いたんだと思う。
それは、理想の自分だったのかもしれない。
勝てなくていい。勝てなくてもいいから、負けたくない。
誰かを負かしたいわけでなく、自分に、負けたくない。
そういう気持ちが、あったのだと思う。
今の自分は、どうかな、と、おもった。
今の自分は、両足がもつれても、手をついても、立ち止まらないでいられているだろうか。
去年のわたしは、立ち止まっていた。
立ち止まって、うずくまって、眠っていた。
目を閉じていた。世界をみつめることが、こわかった。
今の自分は、どうかな?
目を開けることができるようになった。
立ち上がることができるようになった。
歩くことができるようになった。
立ち止まっても、また、歩き出すことができるようになった。
世界をみつめられるようになった。
こわい、こわい、と思いながら、「負けない自分」に、手を伸ばせるようになった。
事実はどうでもよいのだ。
実際に「負けていた」としても、それは、どうでもよいのだ。
ただ、自分のなかで、「負けなかったかどうか」。
それをわたしは、確かめたかった。
今、自分、「負けなかった」かな?
そう問うたときに、「負けなかったよ、がんばったよ」と、自分に言える自分になりたかった。
すぐにはそうはなれなくても、そんな自分に、手を伸ばしたかった。
そのために、立ち止まっても、また歩き出して、進み続けたかった。
だからきっと、今日、この歌があたまに流れてきたんだと思う。
明日、いよいよ、緊張の模擬面接がある。
そして明後日は、本番の面接がある。
この面接をしたからすぐに就職、というわけじゃないけれども、大事な実習のための面接だから、わたしにとっては、おおきな出来事だ。
「君はずっと負けなかった それがずっと まぶしかった」
わたしは明日、負けないぞ、と、思っている。
自分で自分に負けないぞ、と、思っている。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい