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罠にはまる(日記69)

勉強をはじめて3日。
早々に罠にはまってしまった。


朝から、そわそわとしたきもちで起きる。
そわそわの正体は、勉強のこと。
やりたくてやりはじめたことなのに、3日目で、きもちがいっぱいいっぱいになりつつあった。


こういう時わたしは、同居人氏たちに、たすけて、と言う。
たすけて、を受け止めてもらえる環境にいられることは、ほんとうに、奇跡のようなことだなと、思う。


今朝も、同居人氏1に、たすけて、と言った。
勉強のことであたまがいっぱいだ、どうしよう、と言った。


同居人氏1は、こう言ってくれた。


やらなきゃいけない、という気持ちなら、やめなさい。やりたいなあと思うなら、やりなさい。
見栄を捨てなさい。プライドを捨てなさい。完璧主義を捨てなさい。全部をいっぺんにやろうとしないで、目の前のことを、ひとつずつひとつずつ、まずやりなさい。
苦しい気持ちから出発することは、長続きしないんだよ。
人生はなんとかなる。そう思って、いろんなしがらみを手放してごらん。


わたしは、はっとして、自分の中に芽生えている「完璧主義」に、気がついた。


学ぶたのしさからはじめたことなのに、この3日で、いつのまにか、あたまのなかが、「完璧主義」に、支配されていた。


やるからには、合格しなきゃ。やるからには、出題範囲を全部完璧にしなきゃ。
やるからには。
やるからには。
これをしなきゃ。
あれをしなきゃ。


振り返れば、「学ぶたのしさ」は、とおく海の向こうに、流れてしまっていた。



同居人氏1に気づかせてもらって、わたしは慌てて、「学ぶたのしさ」の手綱を、たぐりよせた。
そうだ。
スタートはここだった。
わたしは、勉強するってたのしいなって、思っていたんだ。


満点じゃなくていい。今回合格しなくてもいい。誰に言われたわけでもなく、自分のたのしさから、選んだこと。
せっかく選んだことなのに、苦しさで塗りつぶしてしまったら、もったいない。
わたしは、たのしいきもちから、はじめたの。
そうだ。
そうだった。


そう思ったら、きもちがすぅっと、落ち着いた。


いつのまにかはまってしまっていた罠から、抜け出すことができた今日、午後に始めた勉強は、たのしくて、集中できて、ここちのよい疲れを連れてきた。


無理しない。いじめない。
長距離マラソンを走るように、自分のペースで、こつこつと、ひとつずつ。
また罠にはまっても、焦らない。
わたしは、たのしくて、はじめたの。


合言葉のように、自分に言い聞かせていこう。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい