私が書道を好きになった瞬間
私は習字が嫌いだった。
習字では、お手本通りに書くことが求められ、私は型にハマっている感じがしてとても嫌だった。
もっと自由に書きたい!
そんな風に思いながらも、なんだかんだ習字を年長~中学3年生まで続けていた。
転機となったのは高校に入学し、書道を担当する先生と出会ったことだ。
先生は前衛書(文字か絵がわからないような書)を中心に作品を作る現役の書道家で、先生の作品の作り方を見て、
なんだこれは!?
おもしろい!!!!!!!!
そう思って、すぐに書道部に入部した。
入部すると、半紙を用意され、教室にあった本の中から好きなものを選んで自由に書いていいと言われた。
私はペラペラと本をめくって、ある書に目を留めた。
「空に若竹のなやみなし」
実際に真似して書いてみると、本に書かれた筆線と自分が書いた筆線が全然違う。
そりゃそうだ。私は習字で扱う線の書き方しか知らなかったのだ。
先生に手本をお願いした。
先生が書いているところを見ると、筆の穂が開いたり閉じたりしている。筆を運ぶスピードも緩急さまざまだ。
今まで穂先がキレイに揃ったように書くことしか知らなかった私が、穂先が開いたまま終わる(穂先がバラつく)ように書いてもいいんだ、その表現の仕方もアリなんだ!と、これまでの固定概念の壁を1枚破った出来事だった。
さらに、先生は私に
「この言葉ってどんなイメージ?」と聞いてきた。
・竹が空に向かって勢いよく、すっと立っている
・悩みを振り払って空に向かっている
そんな風に答えたと思う。
すると先生は
「そうだよね、竹の勢いがあるよね。じゃあ、それをイメージしながら書いてごらん」
そう言った。
言葉の意味をイメージしながら書く、そんなことは10年以上続けた習字では一切したことがなかった。
おもしろい!!!!!!!!!
竹をイメージし、勢いをつけながら筆を運ぶ。悩みなんか抱えていない竹…
出来上がった書は、1枚目と比べると全く別の物となった。
この体験が、まさに私が書道を好きになった瞬間である。
言葉を見て、その意味を考え、どんな書き方をすると言葉のイメージと一致するかを考える。そして、筆の持つ能力を発揮させながら書く。
習字だけではこのことに気づけなかったと思うし、''嫌だ''というマイナスの感情を持ったまま辞めてしまっていたと思う。
そのマイナスの感情を、同じ筆と墨と半紙で プラスのもの、''楽しいもの'' に変えてくれた書道が私は好きだ。
※ここまで読んでいただきありがとうございます。
このnoteでは、習字と書道は別の物として書いています。
・習字…教育的、誰が見てもきれいな字を書く
・書道…芸術的、表現方法の一つ