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日本一の中高一貫校出身者が考える中学受験をすべきかの話 ~メリット編~
はじめに
2月 それは受験の情報が飛び交う時期。
近所のAさんとこは○○中に受かったらしいよ、とか
どこどこの私立行ったBさんとこは大学がエスカレーターで安心らしいわ、とかそういう情報が飛び交うのが目に浮かぶ。
2022年の首都圏私立・中高一貫公立校の受験者は約6万人、出願数だけを合計した延べ受験者数は約34万人と発表されている。
これは首都圏の小学生の実に17%に上る。
つまり5人に1人は中学受験をしているのだ。
そんな話を聞くと世のお父さん、お母さん達は
「将来のことを考えたら、うちの子も塾に行かせたりして受験をさせて私立に入れた方がいいのだろうか」とか、
逆に
「このまま子供を塾に行かせて受験させるのが正解なのだろうか」とかいろいろ考えるだろう。
そういう親御さん達の参考になれば、と思い今回は2月の前に中学受験が自分に与えてくれたもの等をつらつらと書いていきたい。
なお、前編では筆者の受験歴とメリットと感じていることを、後編ではデメリットと感じでいることとそのうえで親としてどういう判断基準で子どもに受験をさせたらよいかについて筆者の考えを書いていく。
1 筆者の受験歴とこのnoteのバックグラウンド
このnoteを書くにあたって、まずは筆者が中学受験に対してどういうスタンスなのかと受験歴などを提示しようと思う。
そうしないと、どの視点からこの文章を書いたかが分かりにくくなると思ったからだ。
筆者は中学受験については条件付きでやってみたほうがいい派である。(デメリットが深くかかわってくるため後編で条件については触れようと思う)
ここからが筆者の学歴や受験に関するエピソードだ。
自分語りなんか興味ないよ、という人は目次からこの項を飛ばしても構わないのだが、この中にこそ筆者が中学受験から得たものを認識する上での重要な要素が詰まっているので、できたら読んでほしい。
さて、筆者の学歴だが
公立小→公立中→開成高校→SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)
というものである。
これだけ見ると、あれ?中学受験は?と思うだろうし、開成を東大にめちゃくちゃ合格する学校として認知している人からすると、東大とかじゃないんですか?となる。
まず筆者は結果だけ見れば、公立中学に進学しなければならなかったのだから中学受験に失敗したといえる。
筆者の中学受験結果は下の通りだ
1月下旬 渋谷幕張(合格※)
2/1 開成(不合格)
2/2 聖光学園(不合格)
2/4 聖光学園二次(不合格)
渋谷幕張は合格していたものの、自宅からの距離の都合で体力的に通えないと両親が判断したため、入学金を払わなかったので実質全敗である。
渋幕に入学金を払っていないという事実を、2月3日の、それも開成も聖光も落ちて翌日の試験に備えていた夜に聞かされた私の心情ったら、そのまま中学受験の読解問題にでも出したいくらいだが、それはまた別の機会にでも書こうと思う。
小学校の時の筆者はとにかく単純で、「受験をするなら一番の学校に行きたい」という理由でとにかく開成に入りたかった。
記憶が正しければ4年生後半か5年生の2月くらいには開成を意識していたと思う。
筆者はSAPIXに通っていたのだが、常に一番上のクラスをキープ出来ていたし、成績も上位にいた。
6年生になってからの志望校別模試の成績も上位だった筆者はそれを根拠に合格を確信していたわけだが、現実は残念な結果に終わった。
そうして、中学受験が失敗に終わり、公立中に通いながら更に三年間の受験勉強をしたのだがこの中身はさして大事ではないので割愛する。
迎えた高校受験、こちらは結論からいえば大成功だった(第一志望に受かっているのだから当然といえばそうなのだが)。
1月中旬 渋谷幕張特待生入試(不合格)
1月下旬 渋谷幕張(合格)
1月下旬 ラ・サール(合格)
2月上旬 慶應義塾志木(合格)
2/10 開成(合格)
2/13 慶應義塾(補欠合格)
念願の開成合格も手にし、他もほぼ全勝でうきうきの筆者と両親
しかし、ここで受験期の様々な抑圧から解放された筆者は目標を見失う。
日本一の学校に入りたかったのだが東京大学に入りたい、とはならなかったのだ。特になりたいものもない。
そんな状況で筆者の通学路には特大の誘惑が横たわっていた。
そう、「アキバ」である。
めちゃくちゃ遊んでしまい成績は急降下、定期試験などでも下から数えたほうが早い順位が定位置になった。
大学受験の勉強をしなければならない時期になっても私の遊びたい欲は収まらなかった。
結果、センター試験はボロボロであったから当然国立など受けられたものではない。
小論文と数学だけなら何とかなる、と受けたのがSFCである。
小論文は開成を受験するにあたって国語の読解問題をかなり練習し、殊文章の要約と意見をくみ取り自分なりに意見を出すこと、記述することに長けていたおかげで自信があったので、数学さえなんとかなれば合格する見込みはかなり高かった。
さて、この試験の数学において本稿の根源となる事件が起きる。
数学の試験が始まり、問題用紙を開いてどの問題から解くかを考えてきた私の目にある問題が飛び込んできた。
下の図のような問題で「ミニカー問題」、と個人的に呼んでいる問題だ。(光が反射するやつのほうが多いみたいだが中学受験ではイメージしやすいように車を使っていた気がする)
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入射角と同じ角度で反射しながら進むミニカーがどこの角にぶつかるかを問うような問題なのだが、同様の問題を私は中学受験期にたくさん解いていた。
もちろん解法の解像度は中学受験と大学受験で多少異なるが、根本の考え方は一緒であるから私はその問題を見て「あ、これは勝ったな」と思ったのである。
自信は余裕を生むとはよく言ったもので、筆者は問題をすらすらと解くことができ、無事SFCに合格したのである。(その余裕を感じたせいで慢心して基礎問題の問題文を読み落として間違えるというオチもあったが)
以上が筆者の受験歴だ。
SFCに受かった時、これは中学受験時の経験値の余力で受かったなぁと筆者は思ったのだ。
小論文も数学も、中学受験で培った基礎力がキーとなっていたように思えてならなかった。
そして、社会人になった今も中学受験の時に得た物事を順序だてて考える癖や、課題を整理する力が役立っていると感じているので、子供の中学受験で悩む保護者の方に向けて、このnoteを書こうと思ったのである。
2 中学受験が私に与えてくれたものと筆者の考えるメリット
ここからが本稿で伝えたいことだ。
中学校受験は本人に何を与えてくれるのだろうか。
まず、大手中学受験塾がHP等に掲載している中学受験にチャレンジするメリットをHPから抜粋して列挙してみた。
学校ごとに異なる教育理念で子どもの長所を伸ばすことができる
大学進学の準備がしっかりできる
困難に打ち勝つ力が鍛えられる
(栄光ゼミナールHPより抜粋)
ネガティブな話題なので、大手塾などが言うわけにはいかないのだろうが、地域によっては地元の公立中学が荒れていて、通わせたくないなんて事情もあるだろう。
私立の多くは各々の理念に基づいた特色のある教育をしているから、そこで過ごす6年間は中学受験のリターンとしてはとても大きいことだ。
大学進学の準備については大学附属の学校を受ければ進学準備から受験勉強すらも省くことができる。
明確な合否や順位がつくことに目標を設定して頑張る、ということは人生では必要なことで、これを困難と表現するならそれらに立ち向かう訓練にもなろう。
また、親としてはわが子の受験のたびにハラハラしたりしなくてよいし、学費がどうなるかもある程度見通しが立つという利点もある。
筆者としては、それに加えて大きな利点が3つあると考えている。
(1)本人のレベルにあった教育を受けることができる
(2)同じレベルの友人を作ることができる
(3)思考のショートカットを作ることができる
(1)本人のレベルにあった教育を受けることができる
義務教育で通う公立の小学校中学校にはありとあらゆるレベルの子がいる。
理解力の高い人の例えとして「1を聞いて10を知る」という言葉がある。
これは、10伝えたいことがあって、そのうち1を伝えただけで10まで理解してしまうということの例えな訳だが、10のことを伝えるのに、1から10まで全部を説明しないと理解できない子もいる、もしくは1から10まで説明したけれども5くらいまでしか理解できない子もいる。(ここについては教える側の力量もあるのだが)
教える側は、10教えるのに10の時間をかけるだけでなく、場合によっては15や20の時間をかけなければならないだろう。
そして、公立の小中学校にはそのような教育が求められている。
すると、1を聞いて10知ることができる人には当然退屈で無駄な時間となる。
しかし、もし集団のうち大多数を占める人が1を聞いて5を知ることができる力を持っている人だったらどうだろうか、教える側はそのつもりで要点を教えればよいから、教える時間は半分くらいで済むだろう。
あえて極端にレベルの高いものを挙げるが、読者諸兄も開成中や灘中の算数の入試問題を1問見てみてほしい。
その問題を理解できることが前提の集団を相手に行う授業は、必然的にある程度レベルの高いものになるし、本人が退屈しづらいものとなりやすい。(ついでに言うと教員側にもそれなりのレベルが求められるため、質の良い教師にも当たりやすい)
本人のレベルにあった教育を受けることができるというのはそういうことである。
(2)同じレベルの友人を作ることができる
そして、それは友人を作る際にもある程度同じことが言えると筆者は考えている。
内面がどうとか、趣味がどうとかそういう話は一旦置いておいて、人間は自分と近い理解力を持つ人とはスムーズに話を進めることができる。
自分と相手が同じ情報をインプットした際に、理解力ベースで出てくるアウトプットが近い形になりやすいため、自分も相手もそこのすり合わせをする必要がない。
余計な情報をやり取りする必要がないため、必然的に情報のすり合わせに関するストレスのすくない会話が展開されることになる。
入学試験とはつまり、学力という名の理解力を試し、一定のラインを超えているものを選抜するものであるから、少なくとも理解力の分野において、同程度の実力を持った者の濃度が濃い空間に身を置くことができる。
同じ趣味嗜好を持ち、ストレスなく会話できる友人を作ることができる確率は、当然高くなるだろう。
そういう友人を中学校、高校で作れれば、うまくいけば一生の友達になる。
以上2つが受験をして自分にあったレベルの学校に入ることができた場合のメリット、転じて中学校受験をするメリットとして筆者が大きいと感じている(1)(2)の部分である。
(3)思考のショートカットを作ることができる
さて、(3)についてが実は本稿で一番言いたいことである。
(1)、(2)の部分は合格し、入学することで初めて手に入るものだ。
しかし(3)の「思考のショートカットが手に入る」ということについては別だ。
そもそも”思考のショートカット”と私が呼んでいるものはなんなのか。
それを説明するために次の問題を考えてほしい。
「1000円札を渡して、300円の商品を3個買いました、おつりはいくらですか?」
読者諸兄は直感的に答えが出たことだろうし、考えれば計算式もすぐ思い浮かんだことだろう。
1000-(300*3)=100
300*3=900
1000-900=100
つまり答えは100円だ。
(ここで、税込か税抜が明言されていないし税率も明示されていないから答えが出ない、とかいう人は賢すぎる可能性があるので今すぐIQテストを受けてきてくれ。あと筆者と仲良くなれるかもしれないから名乗り出てほしい(笑))
では、問おう。
なぜ、その式を組み立てることができたのか?
こんなものは常識だから?普段から買い物をしているから?学校でそう教わったから?
日本語という言語を知っているし、おつりという言葉の意味も知っている、それに引き算と掛け算のやり方も知っているから?
本当だろうか?それらを単独の知識でしか知らない場合、式を組み立てることはできなかったはずだ。
それらを組み合わせることができるよう訓練したからだ。
「日本語という言語」「おつりという言葉」「引き算」「掛け算」これらそれぞれは「知識」という形で多くの人が持っている。
目の前の事象を解決するために適切な「知識」を組み合わせる力を「思考力」「応用力」と呼び、それらをスピーディに出せる、かつなぜそうなるのか言語化できるようにすることを筆者は「思考のショートカットを作る」と呼んでいる。
ためしに式を立てるときの思考をバラバラに分解してみよう。
1、1000円を渡した。
2、300円のものを3個買った。
3、「おつりの金額」を出すには「出した額」と「代金」の差額を知る必要があるから、1000円から「代金」を「引き算」すればいい
4、では「代金」はいくらだろうか。
5、300円のものを3つということで、同じものが複数ある時は「掛け算」がいい。300円*3個ということだ。
6、掛け算は同じ回数足す、ということなので300円を3回足すのと同じだから「300円+300円+300円」だ。
7、つまり「代金」は900円である。
8、1000円-900円=100円だから答えは100円だ。
本当はもっと細かいが、ともかくこれらのことを一瞬で組み立てることができているから、すぐおつりは100円だとわかるのだ。
それは無意識に自分の持つ知識を組み合わせているからに他ならず、結果としていろんな場面に応用されている。
この組み合わせた知識がすぐに出てくること、必要に応じてその中身を説明できる状態を筆者は”思考がショートカット化できている状態”と呼んでいるのだ。
例えば
「300円のものを3個買うときの代金は900円」
であることと、
「日本円のお札は1000円、5000円、10000円がある」
ことは別々の事象だ、これらが
「300円のものを3個買うときに1000円札を出せばおつりがくる」
という形でショートカット化できているとしよう。
するとあなたは
「300円のものを3個買う」時に財布の中からすぐ1000円札を選んで出すことが出来るし、遠足のおやつが1000円までの時に残りの100円でバナナを買うことを会計前に思いつくかもしれない。
10000円札を出して店員にちょっと面倒な顔をされたり、おつりのお札を確認される時間を取られなくても済むし、100円を使いきるためにレジに並びなおす時間も無駄にしなくて済むのだ。
こうして、いろんなことをショートカット化しておけば、なにか課題に直面した時に素早く問題の本質を突き止め、解決方法を考える時間を多くとることができるし、思いもよらない解決策が浮かぶ可能性だって高くなる。
中学受験、特に中位校以上では応用力を試される問題が出題されることが多く、受験塾でも対策としてそうした問題に触れる機会が多くなる。
そうした機会は公立の小学校に通っているだけでは限られてくるし、それに対応するための力は鍛えないと手に入らない力だ。
小学生くらいまでの年齢では、習慣や知識が定着しやすいということも相まって、この時期にそうした癖が手にはいることは大きな財産になる。
それは単に知識が豊富な人物になるということではなく、今多くの会社などで求められる「課題解決力」を持った人物になれる第一歩ということだ。
本人がしたいことができたとき、その課題に立ち向かうための道筋を見つける力を手に入れるということに他ならない。
仮に合格をつかめなかったとしても、それは人生のどこかで本人を助けてくれることがあるだろう。
この”思考のショートカットを作る癖”こそが筆者が中学受験の経験から得たものであり、中学受験をする大きなメリットの一つだ、と筆者は思うのである。
ここまでつらつらと中学受験をするメリットを前編として書いてきた。
メリットだけに目を向ければ中学受験は必ずやったほうがいいことになるし、大小問わず受験塾はその必要性を殊更強調してくることだろう。
こんなにいいことづくめで、周りもやっているなら、と。
しかし、まぁ表があれば裏はあるものなので、
後編では中学受験にチャレンジさせることのデメリットにも触れていこうと思う。