わたしの見えている聞こえている世界

前書き

私はどうやら過集中・不注意らしい。物事を目に入れていても意識のうちからなくなるという特質を持つ傾向にある。都合のいいものだけを見られるだけでなく、ものを認識できなくて人に迷惑をかけたことも多々あり、申し訳ない限りである。


保育園期 

保育園に通っていた頃の話。トイレに行きたかったので廊下を走って急いで駆け込んだ。

「寄石恋ちゃん、ちょっと」

出た後に先生に呼ばれた。

トイレに入る前に廊下で誰かとぶつかって泣かれたらしいが、その時の私は謝りつつも、「ぶつかったかもしれないけれど本当にぶつかったっけ?」という思いでいっぱいだった。解せない。

今思うと本当に周りが見えていなかった。ぶつかった記憶はぼんやりあるものの、ほとんど残っておらず飛んでいたと言った方が正しいかもしれない。



小・中学校


次は小学校・中学くらいだったか。
元旦、新聞を取りに行ってくれと家族に言われ、ポストを見に行った。開けると何も入っておらず、困惑した。

元旦の新聞は広告もかなりの厚みがある。そんな存在感あるものが入っていないのはおかしい。

「ねえ、新聞入っていなかったんだけど」

私のその一言で新聞店に電話した親は、5分後担当の人に謝ることとなった。

新聞はポストの中にこそ入ってはいなかったが、玄関わきによけてあった錆びた自転車のかごにきちんと入れてあった。

普段私は自転車に乗らないし錆びている古いものなので意識に留め置くことさえしなかった。本当に不注意だったし、私の中で存在しないものだったのである。

たった2m、辺りを見回していればあることに気づいたのに。


今思い返すと小学校の頃は特に忘れ物が多かった。何回ものを取りに行ったことか。ほんとうにひどいレベルだったと思う。

長女でしっかりしなければと思っている中、忘れ物系の失敗が特に多く親に迷惑をかけまくっていた。自己肯定感などなくだめな人間だと思っていた。

ADHDなどの症状があったのか。今もないわけではないが、この時は特に顕著だった。

現在

例えば広告。
見ていない訳では無いが意識からふっと飛ぶ。慣れてしまうとページの広告部分だけ穴があるようになる。
(実際に黒塗りや光が入るわけではないが情報として認識しなくなる。)
意識から抜けたものは記憶からも消去され、なかったものになる。

人の話を聞いていないこと。


自分の考えごとに集中しすぎて、近くで話しかけられても気づかないことがある。音声として届いてはいると思うのだが、意味を理解しないまま耳から抜け落ちていく。


改善策

改善策を考えてみた。以上の経験が社会に出てから顕在化すると本当に危ない。今のうちから直すことが肝要である。。

・人や物事に興味を持つ
・事務的なミスに気をつける
・もっと慎重に動く

意識だけではなく習慣の問題かもしれないが、できることはやっていきたいし、他人に迷惑をかけないよう学習していきたい

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