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【世界遺産・短編小説】「先生の言葉を探して」後編

 高橋は三島みしま駅前のホテルに泊まっていたので、次の朝、伊豆箱根鉄道駿豆すんず線に乗って、韮山高校近くの韮山駅まで行く。駿豆線のホームはどこかレトロなつくりで、外国人観光客が珍しげに写真を撮っていた。線路は単線で、車両も三両のみと短い。
 韮山駅の改札を出て、さて、どちらの道で行こうか少し迷う。一方は農道で、もう一方の道は少し遠回りになるが、店などがある通りだった。あの頃、友人や恋人たちと賑やかな方の道を行く学生らを尻目に、高橋は常に農道の方をひとりで通っていた。今日は日曜で学生はいないが、そのころの気持ちが痛いような、懐かしいような不思議な感覚で蘇る。まっすぐ延びる農道の脇には水田が続いており、青い稻が七月の風にそよいでいた。
 韮山高校に着くと、もう黄色い車で土屋が待っていた。
「おはよう高橋君。朝から暑いね、乗って」と言われる。「おお、ありがとう」と言いつつ助手席に乗り込んだ。思えば土屋とは同じクラスになったことは一度もない。男兄弟しかいない高橋は、女子というものを前にすると緊張しがちで、高校時代、気安く土屋に話しかけたりはできずにいた。土屋もあまり男子と話すタイプではなかったので、部活の中ではそう親しくはしなかったはずなのに、今や助手席に収まっているのをなんだかくすぐったく思う。お互い、大人になったんだなあ、という当たり前のことを思う。車の中はクーラーがよく効いていて、なんだか良い香りがした。
 土屋は取材でもよく運転するのか慣れていて、安心して乗ることができた。

「じゃあまず、あの日の高橋君案内・名所撮影ツアーのコース通り、韮山反射炉からね」
 韮山反射炉の脇には、当時はまだなかった気持ちの良さそうな芝生広場と、ガイダンスセンターができていた。ガイダンスセンターの中では映像も見られるようなので、土屋と見る。映像ホールにあるスクリーン自体が、反射炉を模したつくりになっていて、炎や光のCG演出で、どうやって鉄を溶かして大砲を鋳造したのか、目の前で見られるようになっている。これを春木先生が見たら、きっと「素晴らしいッ」と言ったろう。春木先生は歴史の話となると熱が入る。「こう……火が上がりますでしょう、この熱を反射するッ」と言いつつ手ぶりで熱が集まったことを示し、鉄が熔ける様子、そして斜めに傾いた床に沿って鉄が流れていくさまを、その場で見てきたように説明した。そんなだから日本史の授業は面白いと言ってわりに人気があったし、高橋も好きだった。
 当時、軽部が欄干から落ちかけた古川も変わらずにあった。反射炉が稼働していた当時は、できた砲身を筒の形にするべく、古川から引いた水で水車を回し、その動力で内部をくりぬいていたという。今見ても古川は結構流れが速いので、落ちたら軽部自身も軽部のカメラも大変なことになっただろう。春木先生は、反射炉を背景に全員で集合写真を撮ることも忘れなかった。観光客みんなに見られて恥ずかしかったことは覚えている。
 次も土屋の運転で、韮山反射炉の生みの親であり、また、韮山高校の学祖でもある、伊豆韮山代官、江川英龍えがわひでたつが暮らした江川邸を見に行く。ここにも覚えがある。江川邸は建物の中にも入れるのだ。ここの主屋の土間はちょっと見たことが無いくらいに広く、柱やはりも立体的に組み合わさっていて、しばらく上を眺めた。当時、春木先生は、「ほら、みなさん梁をごらんなさい。うろこみたいな、手斧目ちょうなめの跡が残っているでしょう。かんなより前の時代のものだったんですね。これはね、とても貴重ですよ」と説明した。
 春木先生は、黄色いジャケットを着た解説ボランティアの人とも顔見知りなのか、親しげに話していて、「この一年の高橋君が越してきたばかりでね」と説明した。十年以上経つと、さすがに当時を知るボランティアの人はいないようだったが、学芸員の人とは話すことができた。春木先生とも親しかったようで、自分たちが、かつての韮山高校写真部だったことを話すと、それはそれは……、とひとしきり昔を懐かしんだ。
「春木先生が言った、”島津斉彬も、ジョン万次郎も――”この後に続く言葉がわからなくて、先生が何を言いたかったんだろうって、今になって調べているんです」と言うと、学芸員の人は、どうぞこちらへ、と案内してくれた。それは一つのパネルの前だった。パネルの写真には木箱のようなものが写っていた。
「これはジョン万次郎がサンフランシスコで買って、日本に持ち込んだカメラと同型のものです」
 ジョン万次郎というと、漂流して数奇な運命をたどった日本人だとは知っているが、カメラという印象はあまり無かったので驚いた。「江川邸内にある江川文庫には、ジョン万次郎が撮影した幕末期の写真も残されています。島津斉彬も、撮られるだけではなく、自分でカメラを使って撮影もしました。だから、共通する要素としては、”島津斉彬も、ジョン万次郎も、カメラを使って写真を撮っていた”ということではないでしょうか」
 二人で礼を言って江川邸を辞す。
 頭の中で文を組み立てる。”僕は人の写真を撮りたくない”それに対する答えが、”島津斉彬も、ジョン万次郎もカメラを使って写真を撮っていた”だと、方向性は合っているにしても、答えとしては微妙に噛み合っていないような気がする。まだ他に、なにかあるはずなのだ。
 次に、「高橋君案内・名所撮影ツアー」のコースだった願成就院がんじょうじゅいんに向かう。守山もりやまという小高い山を背にした願成就院は、鎌倉幕府の初代執権北条時政が建立した寺院で、国宝に指定されている仏師運慶作の仏像があることで知られている。山門をくぐると、奥にお堂、参道の脇にお地蔵さんがあって、お地蔵さんの足下に、小さなだるまがずらりと並べられていた。ふと、お堂の脇から犬が顔を出す。大きな秋田犬だった。許可を得てでさせてもらう。案内してくれたのは女性の副住職で、春木先生のことも知っているようだった。拝観料を払い、お堂の中に入れてもらう。
 そうだ、あのときも、春木先生は「運慶うんけい、素晴らしいッ」と小さく言い、目の前の阿弥陀如来あみだにょらい座像を拝んだのだった。高橋は正直、先生に連れられて来られるまでは、仏像についてそれほど興味も関心も無かったが、この運慶の阿弥陀如来座像に関しては、圧倒的だ、と素直に思った。今もそう思う。運慶の初期の作品がこれほど間近で見られる場所はめったにないという。不動明王ふどうみょうおう立像も毘沙門天びしゃもんてん立像も、今にもぬるりと動き出しそうだ。
 副住職の、仏像の取っているポーズに関する解説は面白かった。確かに、写真をかじった者として、中央に阿弥陀如来座像、右に不動明王立像、左に毘沙門天立像が並び、それぞれの腕の高さが左右対称になっていて、構図的に、より荘厳さを感じられるというのはわかる。
 春木先生を偲ぶ会で、部員たちが十年ぶりに集まったんです、という話をすると、「春木先生は、良い先生だったんですね……」と副住職はしみじみと言った。
 願成就院の山門を出ると、すぐ近くに鳥居があり、源頼朝も崇敬した守山八幡宮もりやまはちまんぐう舞殿ぶでんが見える。その後ろには、本殿への石段が、守山の上の方までずっと続いていた。土屋は石段の上を見上げながら、「結局、わからなかったね」とつぶやいた。後になってからでは、わからないこともあるのだろう。高校生の当時はなぜだか、誰にも時間は無限にあるように思えていて、春木先生にだって、訊こうと思えばいつでも訊けると思っていた。実際はそうではない。いつもは気づかないだけで、誰の時間も限られている。その流れを止めることはできない。
 帰ろうとしたとき、高橋と土屋のスマホに、元部長の矢田から同時にメッセージが来た。〔春木先生を偲ぶ会のことを先生の奥さんにお伝えして、何気なく、部員の中のひとりが、先生の言葉の続きを探している、ということを言ったら、”主人の蔵書も写真もノートもそのままになっているので、何かわかるかもしれません。よかったらぜひいらしてください”って〕
 春木家は願成就院にほど近い、大きな家々が連なる寺家じけという地区にあった。手土産として、韮山反射炉近くの茶畑で作られている、「茶の庵」の緑茶を持参する。

 春木先生の奥さんは「よくいらっしゃいました」と言い、二人で仏壇に線香を上げさせてもらった。先生の遺影は、春木先生らしい笑顔の写真だった。いつもそうだったように、(素晴らしいッ)と言いながら、笑みを浮かべているようにも見える。
 お茶とメロンとをいただきながら、先生の話をした。”島津斉彬も、ジョン万次郎も――”の続きも、残された資料や本を見ればきっとわかるのではないかということで、先生の書斎へと案内してもらう。扉を開けるなり息を呑んだ。背の高い書架がそこかしこに置かれ、本の回廊のようだった。天井まで続くような膨大な書籍と資料に目が回りそうになる。歴史関係だけでなくカメラ本も多い。これは一日ではとても見つけられないかも知れない。あらかじめクーラーをつけておいてくれたのか、部屋はひんやりとしていた。
 まず、土屋がジョン万次郎関連の本をいくつか抜き出して調べる。先生は付箋ふせんの代わりに、細長い紙を切ったものを挟んで目印にしていたようだった。高橋は島津斉彬の方を担当した。先生の目印は無限に見つかりそうなほどに多い。あれだけ生き生きと、見てきたように日本史の授業をするために、こんなにも資料を集めていたのだな、と思う。 
 無言の書斎に、ページをめくる音だけが響く。探しても決定的な何かは見つからず、もう、さすがに無理か、とあきらめかけた頃。
 土屋が、「ほら、ここ見て。ジョン万次郎が、カメラを指して言った言葉」と一冊の本を差し出してきた。「――ハワイ教会誌フレンドによると、万次郎のサンフランシスコでの購入品には、母の姿を写すためのダゲレオタイプ装置があり、母を写し終えたらもはや無用である――と伝えている、っていうところ、”母の姿を写すための”に薄く線が引いてある」
 ということは、江川邸のパネルで見た、ジョン万次郎が買ったという木箱のようなカメラは、もともとは母の姿を写そうと思って購入したカメラだった、ということになる。
 高橋も、うず高く積まれた島津斉彬関連の本の目印をたどっていく。そのページに行き当たったときに、なぜだかぞくりとした。部屋の隅にいる土屋を呼ぶ。さっきと同じように薄く線が引いてある。
「島津斉彬の本のここ、これは写真のことだ。――父母の姿をも百年の後に残す貴重の術――」
 当時、写真というものはまだ日本には無かった貴重な技術だった。フィルムなんてもちろん無い時代、現像のための薬品も売られておらず、教本だってほとんど存在しない。カメラの存在を知った二人が、真っ先に撮りたいと願ったものは、宝物でも、風光明媚ふうこうめいびな景色でもなく、母や父母の姿だった。
 階下から足音がして、「韮山高校の写真部のアルバム、持ってきましたよ」と奥さんが言った。「みなさんが卒業するとき、うちの人も退職になったんです。だから部活動の、最後のアルバムになりますね」
 そこには、いろんな写真があった。
 部員たちの集合写真、みんなまだ若い。土屋も生真面目な顔で立っている。ニキビ面の高橋は目をそらし気味だ。「も、もういいですから」と顔を隠しながら逃げようとしている高橋の写真があれば、丸ポストの前で、軽部が妙なポーズを取っている写真もあった。パン祖のパンを全員で座って食べている写真もある。パン祖のパンは、江川英龍によって日本で初めて作られたパンをレシピ通りに復刻したものだが、兵糧用のパンであるため、とにかく石のように硬く、みんなすごい顔になっている。韮山反射炉の前で集合する自分たちもいた。誰かに撮ってもらったのか、先生もちゃんと隣にいる。
 土屋が、集合写真を見ながらつぶやいた。
「わたし、わかったかもしれない。日本にまだカメラが無かった頃、日本にカメラを持ち込んだジョン万次郎も、写真を撮影しようとした島津斉彬も、母や父母の姿を撮ろうとしていた。つまり、大切な人の写真を撮りたいと思った、ということじゃないのかな」
 ――先生、僕、あまり人を撮るのは好きじゃないんです――
 ――高橋君。島津斉彬も、ジョン万次郎も、父母や、大切な人の写真を撮りたいと願っていたんだよ――
 時は流れていく。誰もその場にとどまることはできない。韮山反射炉の前で、集合写真を撮っていた頃には、人間の記憶というものがこんなにもあいまいで、うつろいやすいものだということを知らなかった。手の中から、ぽろぽろと思い出がこぼれ落ちては消えていく。今から思えば、こんな風に、みんながそろって写真を撮ることは、とても貴重な瞬間だった。
 春木先生はそのことを知っていたのだろう。
 だからたくさん写真を撮った。
「うちの人は、皆さんと写真を撮るのが、本当に好きでしてね。このアルバムも、よく眺めていました」
 奥さんが懐かしげに言う。

 挨拶をして外に出ると、夏の形をした雲が、西日に照らされて光っていた。
 土屋に車で三島駅まで送ってもらう。赤信号で止まった土屋が、「なんだか、急に写真撮りたくなっちゃったなあ、仕事以外で」と言う。ちょうど同じことを思っていたので「俺も」と言う。
 大学に進学し、就職したら忙しくなって、いつの間にか、カメラからはすっかり離れていた。今、高橋の膝の上にあるのは、先生が遺したカメラ、二眼レフのローライフレックスだった。
「売ったり処分するのもなんだか気が引けて、カメラは残していたんですけど、ぜひ使ってください。部員の方に使ってもらえるなら、あの人も喜んでいると思います」奥さんはそう言っていた。
 カメラを手に、高橋がしみじみつぶやく。
「もういいですから、とか言わないで、先生にもっといっぱい撮ってもらうんだったな……」
「高橋君、本当に嫌がって、箱とかかぶってたもんね。それでも先生、おかまいなしに“素晴らしいッ”って言って撮って」
「きっと先生、空から見て笑ってるよ」ふたりで笑った。
「そうだ。今度どっか撮りに行こうか」と高橋が言うと、「いいね」と土屋も笑って答える。 
 ジョン万次郎が写真を撮った万延まんえん元年ごろから、スマートフォンで誰でも簡単に写真が撮れるようになった現代まで、百六十年以上経とうとしている。その間、環境も、人々の生活も大きく変わったが、人の心は――大切な人の姿を、ずっと残したいと願った気持ちは変わらない。
 春木先生のカメラで、これからどんな写真を撮ろう。高橋は、真四角のファインダーを覗きながら思った。




柊サナカ(ひいらぎ・さなか)

1974年、香川県生まれ。
第11回『このミステリーがすごい!』隠し玉『婚活島戦記』で2013 年デビュー。
他の著書に『谷中レトロカメラ店の謎日和』シリーズ、『人生写真館の奇跡』、『ミステリー殺人事件』(宝島社)、『天国からの宅配便』シリーズ(双葉社)、『お銀ちゃんの明治舶来たべもの帖』(PHP)、『機械式時計王子』シリーズ(角川春樹事務所)などがある。