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【世界遺産・短編小説】「追憶の炭細工」後編

 万田坑のガイドツアーを終えた八雲は、少し涼みませんかと薫を誘った。
 休憩所で喉を潤し、ひと息ついてから、弥吉の彫刻を撮った写真を彼女に見せる。
「実は――」
 八雲は万田坑を訪れた本当の目的を明かす。求めていた答えへと着実に近付いている感覚はあったが、あと少し、何かが足りない。薫の助けがその突破口になる気がしていた。
 彫刻をじっくりと観察していた薫は、「少し時間をください」と顔を上げた。
「心当たりがあるんです。こちらで探してみます」
 
 薫からの調査結果が届いたのは、翌日の昼だった。
 滞在先のホテルで電話を受けた八雲は、薫の話を聞き、自分の考えが当たっていることを知った。
「ありがとうございます。薫さんのおかげです」
「ではこの写真に写っているのは……」
「私の目的は、自分が納得できる答えを見つけることでした。恐らくその願いは叶ったと思います」
 八雲は自分が見出した答えを薫へと明かした。
 
 その日の夜、築島家の夕食に誘われた八雲は、荒尾市のはずれにある築島の実家で厚意にあずかっていた。
 浴衣に着替えていた薫や彼女の友人たちが、庭先で花火をしているのを眺めつつ、八雲は築島と並んで縁側に腰かけていた。
「築島さんに話しておきたいことがあります」
 このまま黙って去ることもできたが、やはり本当のことを話しておくのが礼儀だろう。
 先に卒論を建前にしていたことを詫びてから、
「実は私の曾祖父は万田坑で働いていました。これは彼が晩年に制作した彫刻です」
 築島に写真を見せる。目無し炭の彫刻は、彼にとっても珍しいものだったようで、
「興味深いですね。私も実物に触ったことはないんです」
「ということはやはり、万田坑では目無し炭は採掘されないということですね」
「ええ。確か北海道、夕張の炭鉱だけだったかと思いますが」
 これで弥吉の目無し炭が、この炭鉱で採掘された線は完全に消えた。ここまでは事前に下調べした通りだ。
「そうなると、可能性としては二つ。弥吉が自ら夕張の炭鉱に出向いたか、もしくは弥吉のもとに目無し炭が持ち込まれたか、この二択になるでしょう」
 だが前者は考えにくい。なぜなら、 
「弥吉は炭鉱での仕事で足に怪我をしたと聞いています。旅客機どころかようやく鉄道が整備されて間もない時代、足に不自由がある状態での九州と北海道の往復は、酷に過ぎるでしょう」
「では、目無し炭は弥吉さんのもとに持ち込まれたと考えてよさそうですね」
 築島の言葉に八雲は頷いた。
「だとすると、持ち込まれたのはいつだったのか。炭鉱で働いていた時だったのか、それとも博多の地元に帰郷してからのことだったのか」
 八雲は彫刻の足裏を写した写真を見せた。
「この彫刻には一九〇四という数字が彫られています。普通ならば作品を制作した年代かと思われますが、実際にこの彫刻が造られたのはもっと後だったそうです。であるならば、記念の意味で、この目無し炭を受け取った年だと考えていいでしょう」
「一九〇四年というと、万田坑の操業が始まってから二年後ですね」
「弥吉が万田坑にいたのもその時期だと考えられます」
「つまり弥吉さんは一九〇四年にこの万田坑で、誰かから目無し炭を受け取った、ということですか」
「その誰かを紐解く鍵が、炭鉱だったんです」八雲は両手の人差し指を立ててみせた。
「遠く離れた夕張市と荒尾市ですが、炭鉱都市として栄えたという点で共通点があります。そして夕張市の真谷地炭鉱が稼働したのが一九〇五年で、万田坑の操業開始は一九〇二年のことでした」
「何となく分かってきました」築島がつぶやく。
「真谷地炭鉱を操業するにあたり、経営者や作業員が見学として万田坑を訪れていたのではないか、そういうことですね」
「ええ。私もこの場を訪れて体感しましたが、万田坑を中心とする三池炭鉱は、当時の国内において最先端の採炭施設であり、完成されたシステムによって運営されていました。ほかの地域の炭鉱にとって模範となるのも、考えるまでもなく当然のことだったでしょう」
 三池炭鉱は西洋を模範として確立されたが、同様に、今度は三池炭鉱が模範となることで、各地の炭鉱も派生的に発展を遂げていったのではないか。
「この目無し炭は、真谷地の鉱員から、万田坑の鉱員に向けて、感謝と友好の証として贈られたものだった」
 八雲は服の内から一枚の白黒写真を取り出した。
「この写真は、薫さんが万田坑の資料保管庫から見つけてくれたものです」
 そこには、万田坑の第二竪坑櫓を背景にして、すすけた炭鉱夫たちが笑顔で肩を組んでいる光景が写し出されていた。薫からは、一九〇四年当時、夕張から来訪した鉱員を万田坑内に案内した際に撮った記念写真だと聞かされている。写真の中央では、大きな石炭の塊を抱えた男が微笑んでいた。きっと彼が夏目弥吉その人なのだろう。
 炭鉱での日々は決して楽なものではなかったかもしれないが、彼らは自分の仕事に誇りや喜びを抱いていた。あなたもそうだったのでしょうと、八雲は心の中で弥吉に問いかける。
 この彫刻は、熊は熊でも、ヒグマをかたどったものだ。日本にはヒグマとツキノワグマの二種類が生息しているが、この炭彫りにはツキノワグマ特有の胸の模様はない。北の大地にしかいないヒグマを彫りながら、弥吉はかつての交流を懐かしみ、しのんでいたのだろう。
 花火の煙が夜空高くへと昇っていく。
 いつかの三池炭鉱を見下ろしていたであろう満月が、煙たさから逃れるようにして、うんの影へと隠れ、消えていった。
 八雲はその光景を、ただ黙って見送っていた。
 
 万田坑から地元へと帰る特急列車の中、土産にもらったメロンパンを手に八雲はふと思う。
荒尾市の名物がメロンパンと知って不思議に思ったが、夕張もまたメロンの産地として有名な場所だ。
 もちろん直接的な関係はないが、こういった巡り合わせがあるのも面白いと、八雲はパンを頬張ほおばった。
 
 翌年の夏、再び実家に帰省した八雲は、父と墓参りに向かった。
 祖父の墓の隣には、曾祖父、夏目弥吉の墓も建てられている。
 線香をき、両の手を合わせる。生前の弥吉が、炭鉱の山ノ神の祭壇に向けてそうしていたように。
 北に南に、産業革命は名もなき人々の努力の上に結実した。
 地下深くに潜り、命を懸けていた炭鉱夫たちのように、日の目を見ることのなかった人々が、それでも未来を採掘することを諦めずに掘り進めたからこそ、今がある。
 八雲は曾祖父の安らかな眠りを願って祈り続けた。 
 
 この身に流れる血を誇りとして、胸を張って生きていく。
 だからあなたも見守っていてください。
 
 いつまでも。いつまでも――。




蒼井碧(あおい・ぺき)

1992年、ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。
上智大学法学部卒。2018年『オーパーツ 死を招く至宝』で、第16回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。その他の著書に『遺跡探偵・不結論馬の証明 世界七不思議は蘇る』がある。世界遺産検定1級認定。



写真提供:熊本県観光連盟