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【世界遺産・短編小説】「追憶の炭細工」前編


明治日本の産業革命遺産ミステリー小説

新人ミステリー作家の登竜門『このミステリーがすごい!』大賞受賞者をはじめとした新進気鋭のミステリー作家たちが、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の地を実際に訪れて短編のミステリー小説を書き下ろし。広域にまたがる構成資産を舞台とした物語をミステリー作家陣が紡いでいきます。
ものづくり大国となった日本の技術力の源となり、先人たちの驚異的なエネルギーを宿す世界遺産を舞台にした不思議な物語を通じて、この世界遺産の魅力をより多くの方に感じていただき、価値が後世に繋がっていくことを願っています。


追憶のたん細工ざいく

蒼井 碧

 鉄骨のやぐらは八月の晴天を悠々と突き上げていた。
 櫓の下では、国内外から訪れた観光客たちが両手を掲げ、写真撮影に興じている。その光景はさながら櫓を囲んで練り歩く盆踊りのようだったが、ここは祭りの会場ではない。

 熊本県荒尾あらお市。「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として、世界遺産にも登録されている三池みいけ炭鉱の中心的採掘場がここ、万田坑まんだこうである。その中心にそびえる「第二竪坑たてこう櫓」を前にして、夏目なつめ八雲やくももまた、櫓が放つ重厚な存在感に目を奪われていた者の一人だった。
「見事なもんでしょう。高さにして約十九メートル、ほぼ建設当初のままの姿で現存しておるのですよ」
 背後から声をかけられ振り向くと、健康的に日焼けした男の笑顔があった。この万田坑を管理している副施設長の築島つきしま両次りょうじだ。炎天下で滝のような汗を流している。
「東京から遠路遥々はるばるご苦労様です。夏目さんは確か、卒業論文のための実地調査でこちらにいらしたのですよね。いかがです、何か参考になりそうですか?」
「すみません。まだ到着したばかりで、これから見て回るところです」
 八雲は再び櫓を仰ぎ見る。築島から目を逸らしたのは、胸の内に秘めたやましさからだった。
 築島に卒論のためと伝えていたのは真意ではない。
 この地を訪れた本当の目的は、別にあった。
                                    
 ふた月ほど前、八雲は急逝きゅうせいした祖父の遺品整理に駆り出され、久し振りに博多の実家に帰省をしていた。
 四十九日も終わり、あるじ不在となった祖父の書斎は伽藍堂がらんどうとしていながら、壁も床もきちんと掃除が行き届いており、ちり一つ残されていなかった。てっきり父の仕業かと思ったが、つい先ほどほこりを掃いた程度らしい。いわく、祖父自らがこまめに掃除をしていたのだという。あれだけ元気だったのになあと、いつもは厳格な父の目が赤くなっていたが、八雲は気付かないふりをした。
 八雲がその彫刻を見つけ出したのは、遺品整理も佳境に差し掛かった頃だった。亜麻色の包装紙に包まれた何かを押し入れの奥に見つけ、それとなく引き出してみる。
 包み紙を開けていくと、縦横四十センチほどの白い小箱があらわになった。
 希少な骨董品だろうかと期待しながらふたを開け、詰められた紙の緩衝材を除いていくと、黒い彫刻のようなものが姿を現した。取り出してよく観察してみる。
 四つ足の動物を模しており、丸まった耳に高い鼻筋、胴体は丸みを帯びているが隆々とした筋肉の質感が窺える。犬やたぬきよりも荒々しい気迫に満ちたそれは、どうやら木彫りの熊のようだった。毛並みを表現するように、胴体に無数の切れ込みが刻まれている以外、模様や装飾の類は施されていない。ごつごつとした手触りと相まって、野性味にあふれた猛々しい印象を与えてくるが、つぶらで愛くるしい両目がその勢いを和らげていた。
 裏返すと、後ろ足の裏に小さく、「夏目きち」という名前が記されていた。
 父に聞くと彼の祖父、八雲にとっては曾祖父にあたる人だという。
 足裏には名前のほかにも、一九〇四という数字と、「万田坑」という文字が確認できた。この彫刻が造られた年と題名かと思いきや、父いわくそうではないらしい。
 弥吉にはその昔、熊本の炭鉱に働きに出ていた過去があった。彼は足に怪我をして帰ってきたが、その炭鉱が万田坑だった。この彫刻は確かに炭鉱から帰ってきた弥吉が彫ったものだが、それは一九〇四年よりずっと後のことだったという。怪我によりうまく歩けなくなった弥吉の趣味が工芸だった。晩年の弥吉が、彫刻刀を振るっていた姿を、おぼろげながら父は覚えていた。
 彫刻が素人の作品であると知った八雲はがっかりしたが、美術品としての価値はともかくとして、真心を込めて丁寧に彫られたことは伝わってきた。
 しかし、彫刻を調べているうちに、八雲は不可解なことに気が付いた。
 まずこの熊の彫刻だが、てっきり木彫りに、黒の絵の具やペンキで着色されているものとばかり思っていたが、実は大きな石炭の塊を彫り出して造られていることが分かった。
 石炭は、大昔に堆積たいせきした植物が地下深くで高熱高圧にさらされ、炭化することで生成される物質だ。よって木彫りという表現は厳密には間違ってはいないのだが、少なくともそこらに出回っているような木彫りの熊ではない。木の化石を彫って造られたと言えば分かりやすいだろうか。
 炭彫りの珍しさの由縁は、「目無めなたん」という、国内において、ごく一部の地域でしか出土しない石炭が使われていることにある。
 一九〇五年、北海道夕張市にあったクリキ炭鉱が改称され、谷地やち炭鉱の歴史が始まった。目無し炭はこの真谷地炭鉱の周辺で採掘され、柔らかく破れにくい材質であることから、加工がしやすく、石炭細工の材料として用いられた。宝石のようなあでやかな輝きを持つ石炭細工は、夕張市の伝統工芸品としても知られている。
 北海道でしか採掘されないはずの目無し炭が、なぜ熊本の炭鉱で働いていた炭鉱夫の手に渡っているのか。通販で大抵のものを買うことができ、熊本と北海道を日帰りで往復できる現代とは違い、当時は簡単に手に入るような代物ではなかったはずだ。
 父に尋ねたが、彼も経緯を知らなかった。東京の大学に戻ってからも、彫刻のことを思い出す度に、その謎に対する好奇心が湧き上がってくる。
 とうとう我慢できなくなった八雲は、炭鉱への訪問を取り付けた。曾祖父の彫刻のことを伝えるべきか迷ったが、結局黙っていることにした。唐突にこんな話を持ち掛けても困惑されるだけかもしれない。現地に着いてから直接説明して協力を仰ぐ方が望ましいだろう。ひとまず卒論のための取材を建前とした。
 そして大学の夏季休暇に入って間もなく、この三池炭鉱へとおもむいたのである。
 福岡と熊本の県境にまたがる三池炭鉱は、明治から昭和までの石炭産業の栄枯盛衰を現代に伝える遺構として学術的価値も高く、炭鉱施設としては初めて、一九九八年に国の重要文化財に指定されているほか、二〇〇〇年には国の史跡に、二〇一五年には世界遺産にも登録されている。
 三池炭鉱の中心的存在であった万田坑では、一九〇二年に出炭操業が始まった。当時にして最先端の採炭技術が用いられており、採掘された膨大な石炭は戦後の復興に大きく貢献したという。その後はエネルギーの主役が石油へと移っていく中で徐々に規模が縮小していき、一九九七年に閉山。今は文化施設として、当時の工業施設や設備が展示されている。
 彫刻に刻まれていた一九〇四という数字が、万田坑で弥吉が働いていた時期だとすると、ちょうど炭鉱の黎明期にあたる。
 八雲は携帯で弥吉の彫刻を何枚か撮影していた。情報を集めるためのきっかけとして、どこかで役に立つかもしれないと考えたからだ。
 そんな八雲の思惑など知るよしもない現地の職員たちは、唐突な取材依頼にも、快く応じてくれた。それだけに八雲の心も痛んだが、弥吉の件を明かすには、一定の信頼関係が必要だという考えがあった。
 特に、築島の一人娘であるかおるという女性が進んで協力を買って出てくれていた。毎年、夏季の繁忙期には、万田坑のガイドの手伝いを務めているのだという。マリンスポーツが趣味というだけあって、例年以上の猛暑の日差しにも臆することなく、今も万田坑の敷地内を元気に駆け回っている。高校時代、水泳に打ち込んでいた八雲とは話が合い、いつの間にか意気投合していた。
 第二竪坑櫓をひとしきり眺め終えた八雲と築島の元へ、その薫が走り寄ってくる。
「お父さん、八雲さんの案内は私がやるよ」
「それは構わんが……」
 せっかくだから私も、と言いかけた築島をさえぎって薫が手を叩いた。
「大丈夫、任せて。暑くなってきたし、お父さんは休憩に入ったら?」
「そうだな。じゃあ」
 頼んだぞ、と築島は落ち着かない顔でうなずいた。薫と連れ立って歩きだすと、背中に視線が向けられているのを感じる。年頃の娘を持つ身としては、何かと気がかりなのだろう。
 最初に薫が案内してくれたのは、第二竪坑櫓に隣接する赤レンガ造りの建物だった。

「ここは第二堅坑巻揚まきあげ機室。足もとに気を付けてくださいね」
 先導する薫の後を追い、階段を上っていく。階段の途中に踊り場があり、ワイヤーロープが幾重にも巻き付けられたドラムからなるウインチ(巻揚機)が展示されていた。
「この機械はジャックエンジンという、蒸気動力時代のウインチです。掘削作業で出た土を外に排出するために使用されていたそうです。この万田坑の中でも一番古い機械なんですよ」
 さらに階段を上がった中二階にも、また別のウインチがあった。歯車が付いており先ほどのジャックエンジンよりもひと回り大きい。薫の説明が続く。
「こちらのウインチは主に重量物を搬入、搬出するために使われていました。稼働させる際には、人員昇降用のケージを外していたそうです」
「このウインチで人の運搬もしていたのですか?」
「いえ。この巻揚機室には、これまでの二つのウインチを含め、全部で三機のウインチが展示されているのですが、炭鉱夫を昇降させるためのケージ巻揚機は、二階にある三つ目の機械だったんです」
 二人は最上階である二階に到達した。正面奥には、八雲の身長を優に超えるほどに巨大なウインチが設置されている。ワイヤーロープが巻き付いたドラムの周囲には、原動機(モーター)や深度計、安全装置、ウインチを操作するためのものとおぼしき運転台などがずらりと展示されていた。
「実際にウインチを運転するときには、この運転台で、坑口や坑底の状況を把握したり、指示を出したりしていたそうです。連絡手段はベルの合図や電話などが用いられていました」
「このウインチに巻き付いたワイヤーロープは外の第二竪坑櫓へと渡っていたんですよね」
「その通り。櫓の滑車にワイヤーを引っかけて、ケージを吊り下げていました。ケージは二台あって、片方のケージが地上にあるときは、もう片方は坑底にある、という仕組みの、つるべ式になっていました。ぜひケージの実物も見てほしいので、このまま坑口にご案内しますね」
 巻揚機室を出た二人はその足で第二竪坑坑口へと向かう。坑口は櫓を挟んだ巻揚機室の先にあった。
 入口こそトンネルのようになっていたが、最奥部の天井が開けており陽の光が差し込んでいるため、内部は明るい。ケージは奥へと続く通路脇に置かれていた。屋根のあるトロッコのような見た目をしているが、成人男性が二列から三列縦隊で立ち乗りできるだけの高さがあり、横幅も三から四メートルはある。しかし、二十五人という定員数を聞いた八雲はぞっとした。とてもそれだけの人数が乗りきれるようなスペースが確保されているとは思えず、乗り降りするための側面には扉もない。作業員はこのエレベーターに乗って、地下約二百六十四メートルをわずか一分間で昇降していたという。事故防止装置も付帯していたというが、昇降中に何かのはずみで弾き出されたらどうなるか、想像にかたくない。
 突き当りまで進んだ先には、金網に囲まれた穴が見えた。
「こちらが坑口です。穴の大きさは約八・三メートルかける四・四メートル、深さにして二百六十四メートルとなっていました」
 薫の説明を受けて穴をのぞき込む。過去形だったのは、既に穴が埋め立てられており、穴底まで見通せる状態になっているからだと分かった。本来ならば、上から差し込む光も届かない、深い暗闇が広がっていたはずだ。「第二竪坑は人員の昇降だけでなく、坑内の排水や排気の役割も果たしていたんですよ」
「では空気を入れるときはどうしていたんですか」
「この後にお見せするつもりでしたが、万田坑には第一竪坑という施設がありまして、こちらの竪坑が主に入気や、石炭の引き揚げの役割を担っていました。規模としては第二竪坑をしのぐほどのものでしたが、残念ながら現存しておらず、跡地となっています」
 なるほど、と八雲は納得する。第二竪坑という名を聞いていた時点で、その存在は予想できていた。だが、それらしき竪坑櫓が見当たらなかったことから、旧型の第一竪坑を取り壊して、新しく第二竪坑を建設したのだと思い込んでいた。
「竪坑が二つあるのは一般的な設計なのですか?」
「そうですね」薫は首肯しゅこうする。
「三池炭鉱には、万田坑のほかにも膨大な出炭量を誇る主要施設がいくつかありました。ここから北に少し向かうと宮原みやのはら坑が、北西の方角には三川坑があります。宮原坑では、万田坑と同じく第一竪坑と第二竪坑が稼働していたほか、三川坑には竪坑はありませんでしたが、斜坑しゃこうという地下の鉱床へと続く、斜めに掘られた坑道がありました。斜坑は第一、第二とあって、第一斜坑は入気や排水のほか資材や人員の運搬に使用され、第二斜坑では主に石炭の引き揚げが行われていたそうです」
「換気や分業のために、二つの坑口があったわけですね」
 坑口を覗き込んでいた八雲が薫の元に戻ると、ここからは野外展示となると言われ、その場を後にした。 
 
 連れだって歩きながら、薫は次々に施設の紹介をしてくれた。ボイラー室に変電所、採掘した石炭を港まで輸送するための炭鉱電車、排水された水を一時的に溜めておくための沈殿池等々――。それらの中には、先ほどの話にも出てきた第一竪坑の跡地もあった。
 ちょうど敷地内を一周するようにして、二人は万田坑の正門前へと戻ってくる。
 三池炭鉱では石炭の採掘に始まり、鉄道での搬送、そして港からの輸送という一連の仕組みが機能的に確立されている。とりわけ万田坑は、それらのシステムを限りなく当時のまま留めている点において高く評価されているのだと、八雲は身をもって理解した。
 周囲に目をっていた八雲は薫に尋ねる。
「入ってきたときにも気になっていたんですが、あれは祭壇ですか?」
 示した先には、|紙垂《しで)の付いたしめ縄が巻かれた石壇があった。
「はい。鉱員の安全祈願のために神様をまつった祭壇ですね。炭鉱や鉱山では、主におおやまつみのみことが守り神とされています。万田坑で働いていた人たちは、仕事の前に必ず山の神様に一礼して、安全を祈っていたそうです」
「やはり坑内での仕事は危険と隣り合わせなんですね」
 弥吉も例外ではない。彼もまた、坑内の作業で足に怪我をしたことで、帰郷せざるを得なかったのだ。
「ええ。崩落、火災、水害、そして一酸化炭素やガス中毒。ひとたび事故が起これば、数十人から数百人規模の犠牲が出ることも珍しくありませんでした」
 ですが、と薫が続ける。
「もちろん坑内では作業員の保安が最優先とされていました。決して神頼みではなく、当時最先端の欧米の技術を導入しつつ、安全面にも配慮がなされていたんです」 

 薫の目線の先には第二竪坑櫓がそびえ立っている。
「二〇〇九年に行われた修復の過程で、あの櫓には英国製の鋼材が用いられていることが分かりました。櫓周辺のレンガ造りの建物も、強度の高いイギリス積みという方式が取られているんです」
 薫は少し声を落とした。
「欧米から持ち込まれたのは建築技術だけではありません。炭鉱での心構えや慣習もそうです。あくまで例えの一つですが、人では気付けない無色無臭のガスを感知するため、よりガスに敏感な反応をする特定の動物を持ち込むこともありました」
「その話なら聞いたことがあります」八雲は頷いた。
「ガスを感知したカナリアは鳴き声を止める。危険を知らせる前兆を意味する『炭鉱のカナリア』という言葉は、ここからきているんですね」
 ありとあらゆる欧米の技術を模範として、この万田坑を有する三池炭鉱は開かれた。
 西洋の先進技術と、日本の伝統的な匠の技を組み合わせ、国内に適したシステムへと昇華させたからこそ、当時のアジア圏における有数の産業国家として、日本は発展を遂げることができたのだ。



後編へ続く