村上春樹の小説を数年ぶりに読んだ話
とある日曜の昼下がり、数年ぶりに村上春樹の小説を読んだ。
村上春樹の小説を読むことも久しぶりなら、「小説」と呼ばれるもの自体を読むことも久しぶり。ましてや日曜の昼下がりに小説を読むなんて、記憶の糸をたどってもいつ以来だかさっぱり思い出せない。
それでも私は、とある日曜の昼下がりに村上春樹の小説を読んだ。
読んだのは発売されたばかりの「一人称単数」という短編集。
この短編集に出会ったのは本当に偶然だったのだけど、今思えば必然だったんだろう。そんな気がする。
私が小説をむさぼるように読み始めたのは高校3年生の夏休み。
当時高校から無理矢理行かされた予備校の夏期講習帰りに、本屋さんで手当たり次第に10冊の文庫本を買ったのが最初だった。
今思えば受験勉強から逃げたかったんだろうと思うけど、当時は突然「読みたい」と思い、ただひたすらに読んだ。
三島由紀夫、谷崎潤一郎、太宰治、芥川龍之介、夏目漱石、五木寛之、村上龍、山田詠美、宮本輝・・・。
他にも思い出せない多くの作家たちの小説を読んだのだけど、その中の一人が村上春樹だった。
自分の手で村上春樹の小説を手に取る前、私にとっての村上春樹は母が買った「ノルウェイの森」の鮮やかな装丁でしかなかった。
母に「面白いよ」と言われて読んだ記憶もあるけれど、残念ながら当時中学生だか高校生だかの私に理解できるわけもなく、あまり良い印象すら持っていなかったと記憶している。
そのため、小説にどっぷりはまり始めてからも村上春樹に手が伸びるのは少し遅かったのだが、読み始めてみるとその面白さに夢中になってしまった。
そして今では、小説として私が唯一読み続けている作家となってしまったのだ。
「村上春樹の小説の魅力は?」
と聞かれて、私はうまく答えられない。
日本語の美しさや比喩(メタファー)の心地よさなど、ありきたりなことは言えるけれど、じゃあそれが村上春樹の小説の魅力を的確に言い当てているかというとそうじゃない。
世界に、飲み込まれるのだ。
元々私の本の読み方は少々変わっている(と他人に言われた)。
海にもぐるように物語に入り込むので、読み終わっても話の筋をほとんど覚えていない。それぐらい「ずっぽり」はまってしまう。
その読み方は他の小説でも同じなのだけど、村上春樹の小説の場合は「うねりに飲み込まれる」といった表現の方が適切なように思う。
抗えないほどの力で飲み込まれ、渦に巻かれ、吐き出される。
その感覚がとても好きで、それが私にとっての魅力なんだろう。
他の人にとってはまったく違うかもしれないけど。
久しぶりに読んだ村上春樹の小説は、やっぱり村上春樹だった。
心地よいうねりに身を任せた日曜の昼下がり。
贅沢な、幸せな時間をありがとう。